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名指しされた者はそれに応えなければならない。
MANGAを描くにはMANGAに選ばれる、ということが必要です。漫画賞に入賞したとか雑誌やサイトに掲載されたってだけじゃたぶん不十分なんです。
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名指しされる、という経験があります。本を読んでいて、これは私のために書かれた書物に違いない、と思う。私が最初にそれを実感したのは「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォリシュ著)って書籍でした。ご存じかしら。当時、原作付きマンガを連載していた私は非常に不健康で自堕落な生活を送っていました。夢が叶った生活を送っているのに、とことん不幸でした。そんな私に本の中の神は言うのです。「あなたに向かって話しかけている」と。
たいがい人間というものは、そこに大切なことが書かれていても特に重要視しません。覚えておこうと思うかページの端を折るか、そもそもそんなこともせずに忘れてしまうか。でも「きみ」と名指しされると、人は振り返らずにおれません。名指しされた私はおかげでちょっとだけ「目覚めた」のでした。
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私のリソースが爆発する時間でした。
たくさんの目撃者がある事件と一人しか目撃者のいない事件と、どちらの場合が被害者が救済される割合が高いか、という実験をした者があります。その結果を読んだことがあります。たくさんの目撃者がいる場合のほうが通報やなんやかや各々それぞれに被害者の助けに動くように思いますけどあにはからんや、そうではないのですよね。どうせ誰かがやるだろうとみなが高をくくってしまう。一方、目撃したのが一人の場合は、名指しされたのと同じ状況になります。俺がやらねば誰がやる。
してみると、名指し自身が重要なのではなく「自分が名指しされている」と当の者が思うかどうかのほうが重要なのかもしれません。
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私のモットーは「思いついたことが馬鹿馬鹿しいと思えるなら馬鹿馬鹿しいと思えるほどやってみる価値がある」という妙なものです。「思いつく」ということは「それをやるべし」という名指しに思えるからです。
くれよんでMANGAすること。
NYセントラルパークでMANGA絵を売ること。
谷中の澤の屋さんに頼み込んで海外からきたお客さんを相手に
MANGA似顔絵のイベントをすること。
「雑誌での仕事を続けていれば楽にお金がはいるのに」とずいぶん言われましたっけ。でも、この「名指し」のおかげでそれまで思ったことのない自分を体験をすることになりました。自分で自分を閉じ込める間違いを犯さずにすんだのです。