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失敗しない道北移住 その5


「ハッピーな〈移住ライフ〉送ってます~。」

どこで聞いたんだっけ。
誰かがそう言いながらある集まりに現れました。
「移住ライフ」って何ですか?そんなのどこにあるんでしよう?
ただ、人生があるだけじゃないですか??


人生は変わらない。ただ濃厚になる。

住む場所を変えれば人生が変わるっていうのは、誤解じゃないですかねえ。
変わったように見えるかもしれないけど実は何も変わらない。
ただ、「移住」に関わるさまざまな選択の連続で人生が良くも悪くも凝縮して濃厚になる。

だから「問題」はもっと「濃い問題」になるし、「喜び」はもっと濃くなる。バッドトリップなのかグッドトリップなのか、それは元々持っていた「人生」によるんです。

お前はどういう人生を送りたいんだ?

という問いに対する答えが「移住」だったり「移転」によって、形となって現れる。ああ、これ「結婚」に似てますね。どういう相手を選ぶかでそれ以後の人生が決まってゆく、みたいな。
結婚して幸せになれますか?っていうのは
移住して幸せになれますか?っていうのと同じ構造の問いですね!!

移住して幸せになれるか?
それは現在のあなたが抱えている問題に対する姿勢次第です。


本質に近づく。

お前はどういう人生を送りたいんだ?

この問いに対する答えや態度が曖昧であれば、移住先でも曖昧に人生は続いてゆくでしょう。登場する人々の顔が違うだけで、人生はなんら変わらないでしょう。

ただ、行動を起こすことで人生の問題がはっきりする、みたいなことも起こるかもしれないですね。移住によって、自分が抱えている問題がクリアーになる、そういうことはあるでしょう。
その場合は、クリアーになったという事実の方が尊いと思います。
だから、結果撤退したって全然かまわないと思います。
ステップアップは出来たわけですから。

私の場合は、自分はどういう存在なのか、という厳しい問いを受け取りました。商業誌の漫画作家という自分に執着していたら、移住なんかしなかったと思います。

より自分の本質に近い在り方とはなんだろう?
絵を描く、物語を描く、ことに執着することなく、人生自体を作品にすることじゃないか。そういう課題を自分に課すこととなりました。
そこでは、社会的な成功というものは何の意味もないのです。

私は私で在るためにここに来たのです。


人真似はできない。

「常識」も意味はなくなります。

「車の運転ができなかったら北海道に住むのやばい」
と、私はさんざん言われました。
公共交通機関を使えばいいじゃないですか。本数がなくてものんびり待てばいい。あくせくしたくないから道北に来たんです。

車通勤が必要ない町内で仕事をみつけて最低限の生活費を得て、町にあるもので生きればいいって思ったので来ました。実際、冬は使えないハンデはあるもののバイクの免許があれば充分です。(125ccと50cc所持)

他の誰かがそういう暮らしをすでにしていてその情報を頼りに移住したわけではありません。ただ、私はそういう暮らしがいい、という覚悟があっただけです。
知り合いを頼ってきたわけでもありません。

不便でもいい。欲しいのは自由と時間でした。
首都圏にいたとき同様の収入を得るつもりもありません。
仕事で一日が終わるなんてもう嫌だったんです。都会と同じ暮らしをしようと思ったら、結果、大部分の時間を失うことになるでしょう。

町の趣味グループに所属して手っ取り早く知り合いを作ろう、みたいな思いもさらさらなかったですねぇ。ひとりで充分楽しめる自信さえあればいい。

移住は結婚同様、自分の価値観が試されるトライアルなのです。


地味でもいい。自然に生きられれば。

移住ライフはどうですか?と聞かれたら、私はこうこたえるでしょう。

「今日も無事生きてます」。







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