孤独を見つけ、孤独になる

#毎日出す 20190927

今はクライアントの期の変わり目で組織変更があったり、クライアントも自分の会社も人事評価が出たり、新しい期の目標設定をしたりしていて、なんだかソワソワした雰囲気の中で仕事をしている。

いつもより、あけすけに人物評が話されていたりする。それも加味して、オフィスの中を眺めていると気になることがある。
特に気になるのは、いつも明るく振舞っているけど、ふとした瞬間、深夜に仕事をしている時にはわき目も振らずに黙々と作業に向かう人。
いつもは、仕事が大変なんだなとか、真面目に集中してるなと思っているが、疲れた横顔を見せる瞬間などがあると、それだけではないのかもしれないと感じはじめる。

感じたことを考えていって引っかかるのは、仲間や組織の中にいるはずなのに、孤独を身にまとっている矛盾だ。

それは、なんとなく当たり前に自分も受け入れているけど、沢山の人との関わりの中で仕事をしているのに、より一層の孤独を深めているという事実だ。

例えば昔、もしかすると多くの場所では今でも、会社に行って部署で飲みに行って、隣近所の人と挨拶がてら近況を語り、家に帰って家族との団欒をしていて、孤独を感じたのだろうか?

でも、いま自分が会社に行って仕事をしている時、同僚と会議をして、雑談でたわいのない話もする。家に帰り、同じマンションの人とエレベーターで会えば挨拶をして、先に眠っている家族を眺めてから、リビングで少しくつろぐ。それでも、本当に落ち着く瞬間は真夜中の家でスマホを見ている時だけなのかもしれない。

会社の同僚とたわいのない話をしてるとき、ご近所さんと管理組合の問題を困ったもんだねと話す時、家族のすやすやと眠る横顔を見たとき、僕は本当に心の底から安心しているのだろうか?

どうしても、それに確信が持てない。誰かが寄り添うとき、社会的な関係性のある人がそばにいるとき、疑問を持たずに安心しきれるとは、言い切れない。

そう考えると、真夜中に全ての今日のうちに対応することを終えて、スマホを見ながらただただ映し出される画面に没頭する様なほんの限られた瞬間にしか真の安心は訪れない。
あとの時間は、ただただ新しく発見した「孤独」に塗りつぶされるのだろう。

それは、今までは気に留めてなかった不調に「病名」がついて「患者」になってしまう様に自分で孤独にしてしまっているのかもしれない。

おわり。

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