添付人間の恐怖
電子メールが未だに悪者によって使われてしまうのは、プロトコルにきちんとした認証機能を持たないことが原因だ。認証機能が無いわけではないが、後付けでかつ複雑でもあり、なかなか使われない。認証機能が無いということは、送信者の身元を確認しないということなので、怪しい人間が送信者であっても気づけないし、誰かに成りすますことも難しくないということになる。完璧に成りすますのは難しい面もあるが、多くの人を騙すのには十分な程度には成りすませる。
メールの添付ファイルが怪しいかどうかも送信者情報からは判断できない。雑な偽装でも専門家でなければ気づけないし、まっとうな送信者(のコンピューター)が技術的に攻撃されて、本人に取って代わられることもあり、そうなると専門家でも気づくことが非常に困難になる。おれもそのあたり実は素人ではないので一般人よりは知ってるのだが、見分ける自信は全然無い。
そんな、セキュリティ機能もろくに備えていないメールという仕組みを使って人間を添付して送りつけることができるようになったのは、新型コロナウイルスが世界的に流行し、人々が家に閉じ込められるようになる直前だ。仕組みはわからないが突然人間が添付して送りつけられてくるようになった。人間が添付されたメールを受信し、添付人間を開くと玄関のチャイムが鳴る。室内に招き入れるといろいろと伝達してくれる。迎えるのにお茶を出したり、仮装背景機能のおかげで油断して散らかり放題の部屋を片付けたりいささか面倒ではあるが、人間と人間の対話になるので伝達情報量が多いのは良い。どんなに長距離であってもメールが受信できれば添付人間は届いた。だが一方的に届くだけで、こちらから添付人間付きメールを送ることはなぜかできなかった。届く頻度もごく少なかった。
添付人間の外見は送信者自身と似ているが、もっと没個性的だ。身ぎれいで、よそ行きの格好をしている。礼儀正しく丁寧。親しい相手からの添付人間が他人行儀で違和感はあった。
去るときは来たとき同様玄関から出て行くが、玄関のドアを閉めた直後にまた開けて確認すると、姿は消えている。いろいろ試したがドアが閉まった瞬間に消えるのだ。そういうところを見ると人間、と書いたが本当に人間なのかどうかは怪しいところだ。
来るようになって二週間ほど経った頃、そんな添付人間に、新型コロナウイルスに感染した者が出始めた。少し苦しそうに呼吸して時に咳き込むような状態なのだが、ピンポンと玄関チャイムが鳴って出てみて、そこで見る姿からは感染が検知できない。招き入れて、咳き込まれて初めてわかるくらいだ。超品薄になっていたリモート体温計をやっとの思いで通販で入手し、玄関で計測してみたが無駄だった。理由はわからないが添付人間はみんな体温が高めなのだ。一般的な指針は役に立たない。ただの風邪かもしれないがおれには確信があった。報道されている症状情報と完全に一致していたし。二週間。もしかしたら最初から感染したやつしか来ていなかったのかもしれない。症状があらわれはじめた、ということか。
感染が怖ければ添付人間全部を拒否するしかない。幸いおれの家はインターフォンがあるので扉越しに対話できる。そこで用向きを聞き、添付人間とわかったらお引き取り願う。願うと添付人間は一瞬で消えるので罪悪感も無い。情報伝達としてはいささか不自由だが大きな問題は無い。
しかし厄介なことに、玄関のチャイムを鳴らして、おれに認められてから扉を開けてもらって中に入るという正規ルートを経由しない添付人間が出始めた。いつの間にか入って食卓のところに座ってたり、応接間でくつろいでいたりする。勝手に窓を開けて入って来るとか、換気扇(!)から入り込むとか、どこから入ったか聞くと教えてくれるのだが、聞いたところで全ては防ぎようが無い。実際、窓は戸締まりしたら使われなくなったが、どうも空気の通り道があると入れてしまうらしい。
仕方無く空気の通り道的に外に通じている部屋を緩衝地帯として使うことにした。念のため他の部屋はすべて厳重に目張りして空気が通らないようにする。不思議なことに一旦室内に入ると、部屋の扉を越えたりはできないようで、おれ自身が窓の無い部屋に閉じこもってそこから別な部屋に通じるドアを閉めておけば、緩衝地帯で足止めすることができた。宅配を頼むときは置き配にするか、時間帯指定にした。指定した時間帯はメールを受信せずに玄関に通じる部屋で待つことにした。受信しなければ添付人間はやってこないので助かった。
そう、メールを受信しなければ添付人間は来ないのだ。けっこう厳重に添付人間の来訪をコントロールする仕組みを構築したが、基本おれは高をくくっていた。いざとなったらメールの受信をあきらめれば良いし、添付人間を開かなければ良いのだ。自動的に開いてしまうようなことが万が一にも起きないように、メールソフトウエアの設定も徹底して見直してHTML形式のメールデータが来てもタグ解釈をしないモードにした。
ところが、今度はSNSなどのメッセージに引っ付いてくる添付人間が出始めた。ロック画面やホーム画面でメッセージを見かけたくらいでは入ってこないが、ついつい表示されたものにタッチしてしまったりすると添付人間を開いたと解釈されて室内に入ってきてしまう。仕方無くロック画面やホーム画面での表示をOFFにして、メッセージアプリのアイコンに未読数のバッヂが付くだけにした。メッセージを多用する友人や同僚から「最近反応が遅くない?」と非難めいた感じで言われたが仕方がない。そもそも添付人間はおれのところにしか来ていないのか?確かめてみたいところだが、おれのところにしか来ていないのなら変人扱い、どうかすると狂人扱いされてしまうかもしれないので聞けていない。おれのことを責めるやつらもどことなくわざとらしいが、演技かどうかなんて確かめる術は無い。一人でやれることをやるしかない。
引きこもり状態になるのを覚悟の上で、極力メッセージを連絡手段に使わないようにした。これで入り口はすべて閉じたと思ったら、添付人間はまだ出現した。誰かのことを心の中で考えただけで室内に添付人間が出現することがあるのだ。考えた全員について出現するわけではないものの、これは悪夢だ。
そのうち誰も彼もではなく、出現するのは新型コロナウイルスに感染している人のことを想像したときに限ると気づいた。出現のきっかけになった数人が感染して入院した、隔離されたと知らせてくれたのでその事実に気づけた。
思考がトリガーになってしまうとなると打つ手が無い。そもそも友人や仲間、同僚のことを一切考えないなんて無理だし、向こうから教えてくれない限り誰が感染しているのかなんてわかるわけがない。意識しないようにするとむしろ意識してしまう。考えてはいけないのに考えてしまう。でも考えたくない。
追い詰められたおれは、侵入してきた添付人間を衝動的に殺してしまった。おれに殺された添付人間はすぐに消滅した。やっぱりやつらは人間じゃなかった。
おれにとっては幸いなことに、いったん添付人間を殺してしまえば、その添付人間を出現させた人間のことを再び考えたとしても出現しないことがわかった。殺すのにはためらいがあったが、安心には代えられない。見た目は人間ぽいけどどうせ人間じゃないだろうし、人権とか気にする必要も無いだろう。
さらに数人、添付人間を殺した。きっかけとなった人のことを考えても添付人間は出現しなかった。それならいっそのこと、感染者のことを片っ端から思い浮かべて、出現した添付人間を全部殺してしまえば良い。そこに気づいたおれは、スマホの連絡帳や交換した名刺をもとに思い浮かべては添付人間を待ち受け、殺すというルーティンを構築した。
しかし当たる率は低い。日本は感染率が低い方の国で、おれの知り合いは日本の平均よりもさらに感染率が低いようだった。とはいえ一旦おさまったように思えた感染者数も最近はまた増加に転じて、増加度合いも日々激しくなっている。思い浮かべても添付人間が出現しなかった=そのときは感染していなかった知り合いがいつの間にか感染していたようで、そいつのことをふとした瞬間に思い出したら、途端に添付人間が現れた。これはまずい状況だ。感染者は増える一方で、コロナ禍はおさまる気配すら無い。添付人間をもっと効率良く始末したい。効率を上げるために感染者情報が知りたい。おれは接触確認アプリのことを調べた。インストールしている人はまだまだ多くないようだが、まとまった数の感染者情報を持っている可能性が高いことは間違いない。保健所を襲撃することも考えたが、入手できるデータ量とリスクを考えると非効率すぎる。
とはいえ、当然アプリは個人情報なんて教えてくれない。それでも諦めきれずにいろいろ調べていると、感染拡大防止のためになればと突貫工事で超短期にアプリを作り上げたボランティア開発者がセキュリティの研究者からいいがかりをつけられたりしていて泣けた。でもその非難されている内容を見て、ある脆弱性が存在しそうだということに気づき、試してみると案の定だった。小躍りしながらおれは、異常検知に引っかからないように少しずつデータを抜き出した。その全員のことを「思い浮かべる」ことはできなかったが、思い浮かべることができた人物の分の添付人間はすべて殺した。
あるとき警察がおれを捕まえに来た。データを抜き取ったことをとがめられるのかと思ったら殺人容疑だと言う。添付人間しか殺していないのに、なぜ「殺人」なのだ?警察が示した証拠によると、おれは十数人もの人を殺してしまったらしい。添付人間ではなくリアルな人間。全く身に覚えが無かったが、おれの部屋の現場検証のときにおれ自身がしたとされる杜撰な後始末の証拠を見せられて、そのときに「思い出した」。確かにおれは十数人もの友人を呼び寄せて殺していた。めまいがするほど鮮明な記憶が蘇った。
なんていうことをしでかしてしまったのか。たぶんおれは死刑になるだろう。それだけの人数を殺めてしまったのだから仕方が無い。それにしても、いつからおれはおかしくなっていたのだろう?なぜ電子メールに人間が添付される、なんてことを考えるようになってしまったのか。未だにおれの裡にはリアルな感覚としてたくさんの添付人間とのやり取りが残っているが、なぜその人たちを殺せたのだろう。いくら思い出そうとしても、人間が添付される、と天啓のようにひらめいた記憶しかない。だがその記憶はいったい誰の記憶なのだ?