冬戦争
冬戦争とは、第二次世界大戦の勃発とほぼ同時にソビエト連邦(ソ連)がフィンランドに侵攻した戦争のことである。フィンランドは激しく抵抗し、多くの犠牲を出しながらも独立を守ったが、モスクワ講和条約によって領土の一部が割譲された。
そもそもの発端は、スターリンが将来起こりうるヒトラーとの対決を想定して、レニングラード(現サンクトペテルブルク)市の防衛を固めるために、フィンランドを攻撃して領土を拡張しようと考えたことだった。
このときスターリンは、この戦いがまさか3ヶ月半(1939年11月から1940年3月)も続き、二十数万のロシア兵の命が失われ、さらに赤軍の評価に深刻な危機が訪れるとは思いもしなかった。スターリンはこの作戦を2週間もかからない「警察活動」と侮り、弾薬の需要予測は12日間だとの前提で作戦を立案したのだった。
複雑な地形と厳しい気候は、もちろんフィンランド兵に有利に働いた。さらに1939年から1940年にかけての冬は、フィンランドで記録が始まった1828年以来最も寒い冬だった。ソ連軍はドイツの電撃作戦を真似ようとしたが、北欧の地形と気候には全く合っていなかった。厳しい寒さと食糧供給の深刻な途絶がソ連軍をさらに弱体化させた。
それともう一つ、フィンランド軍の驚異的な耐久力を支えたのは、薬物だった。フィンランド軍は、ヘロイン、モルヒネなどの薬物をソ連軍の侵攻に備えて大量に備蓄し、使用していたのだった。ヘロインは、極寒の地で戦う兵士の最良の治療薬として多用された。過剰摂取が危惧されたが、冬戦争が進むにつれて、アスピリンのように使用された。鎮痛剤の投与量を守るよりも、極寒の中での戦闘の苦痛や兵士の死の恐怖を和らげることの方が人道的だと考えられた。
こうしてフィンランドの兵士たちは、105日間にわたる冬戦争で、勇ましく、献身的に戦った。
他方、ソ連軍はどうだったか。
ソ連軍は、兵士の体力増強、不屈の精神、疲労回復、戦争トラウマの予防のために、あくまでも伝統的な方法に忠実であり続けた。かれらは、「トレンチカクテル」と呼ばれるウォッカとコカインを混ぜた飲み物を、身体能力向上剤としてだけではなく、手術の際の麻酔薬としても常用した。
もちろんかれらも献身と粘り強さを持って勇敢に戦った。しかし、その戦い方にフィンランド兵は驚かされることがあった。かれらは理解できないような宿命論で突撃してきたからである。
歩兵は整然とした列を作り、地雷の中にストイックに行進し、党歌を歌い、地雷が爆発して隊列に穴を開け、行進者の脚や腸を浴びせ始めても、同じ一定の自殺的リズムで進み続けたのである。このような人波が目標が達成されるまで繰り返された。
信じられないことだがかれらには、他に選択肢がなく、自分たちの体を使って地雷を除去することが賢明な選択だったのだ。命令を拒否すると、即座に頭に銃弾を受けた。要するにそこは確率論だった。ソ連兵は大量のウォッカを胃に流し込んで自分を麻痺させた。差し迫った運命への無関心がかれらを前に進ませたのである。(了)
[参考]
・Lukasz Kamienski:Shooting Up-A History of Drugs in Warfare(2012)