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薬物所持に対する罰則は、薬物の使用そのものよりも個人に大きなダメージを与えるものであってはならない
実は、1977年にジミー・カーターが大統領に当選したときに、アメリカでマリファナを一挙に合法化する動きが表面化したことがあった。かれは、就任1年目の8月2日に行われた米国議会での演説で、次の有名な言葉を述べた。
薬物所持に対する罰則は、薬物の使用そのものよりも個人に大きなダメージを与えるものであってはならない。
カーターは、1オンス(約28グラム)以下のマリファナ所持に対する連邦政府の罰則をすべて撤廃したいと考えていた。
カーターの薬物政策を担当したのは、イギリス生まれの精神科医、ピーター・G・ボーンだった。ボーンは、大統領の健康問題担当特別補佐官に任命され、連邦政府の薬物政策を再編成することを任されていた。しかし、仕事は順調に進んだのも束の間、スキャンダルが発生した。
1978年、医師の資格を持つボーンは、アシスタントの一人にクアルデス(Quaaludes)を違法に処方した疑惑が問題になった。
クアルデスは1950年代にインドで最初に合成され、1960年代にアメリカに入ってきた薬で、バルビツール酸系に似た合成催眠鎮静剤であり、不安神経症の治療に使われていた。しかし、ストリートドラッグとして非合法にも流通し、とくにディスコでは「ディスコ・ビスケット」として人気のレクリエーショナル・ドラッグになっていた。
1973 年には有効成分であるメタカロンが規制物質法(CSA)の〈スケジュールⅡ〉に入れられ、処方が難しくなったとともに、処方箋なしで所持することが違法になっていたのであった(その後、1984年に〈スケジュールⅠ〉に移されたため、アメリカでは合法的に入手できなくなった)。
結局、ボーンはみずからも薬物を摂取していると非難され、辞任に追い込まれた。その後、大麻合法化に反対する人びとの勢力が強くなり、カーター政権は薬物政策に関して後手に回っていった。
そして、1980年11月、カーターの後継者としてロナルド・レーガンが第40代アメリカ大統領に選出された。彼は当初から違法薬物の使用に厳しい態度で臨み、懲罰的対応を強化していったのだった。
しかし、冒頭に紹介したカーターの言葉は、現在でもその輝きを失っておらず、薬物問題を論じる際にはよく引用されているのである。(了)