オススメ映画を紹介するよ! 中野量太監督作品で泣く編
中野量太監督作品を初めて見ました。もう単純に泣けたので続けて3作品見てみました。結論から言ってしまうと、泣かせどころをバランスよく作品中に配置できる監督だなあって思いました。感動のピークをラスト近くに持っていくのではなく、あちこちに泣きどころがあって、後半に向けて盛り上がっていく、そんな感じです。どのあたりで泣いたか、紹介していきますね。今回は【ネタバレ全開】です。
湯を沸かすほどの熱い愛
双葉を演じるのは宮沢りえ。きっぷのいいお母さんでありながら、病に侵され弱っていく姿まで、流石の存在感でした。娘役は杉咲花と伊東蒼。今や演技派の2人です。だらしない父親はオダギリジョー。直後に見た「ルームロンダリング」でもだらしない演技が似合っていましたね。
中野監督の作品では、ちょっと複雑な親子関係がクローズアップされます。特に「父親の存在」がテーマなのかな。【以下核心ネタバレ】この作品では、蒸発して女性のもとへ出ていった父親、母親に捨てられた双葉、双葉とは血の繋がっていない安済(杉咲花)、母親に捨てられ同居することになる鮎子(伊東蒼)が「家族」として再生するまでを描いています。双葉は自分の余命を知ってから、だらしのない父や自分を押し殺してしまう安澄に喝を入れ、立ち直らせていきます。
学校で安澄はいじめられています。今時見ないくらい執拗に。双葉が彼女を送り出し、心配しながら家の前で待っている。自分の殻を破り、学校でいじめに立ち向かってきた安澄が、「お母ちゃんの遺伝子ちょっとだけあった」と双葉に告げる場面は泣きどころです。しかも実は安澄と双葉は血が繋がっていないということが後半に明らかになり、それでも「母親」の愛が「娘」に伝わっているという伏線にもなっています。二度泣けます。
双葉の愛は「家族」だけでなく、通りすがりの青年(松坂桃李)や探偵親子までも染み渡っていきます。さらに、安澄の本当の母親が登場するに至り、ずっと前から、「家族」に愛を注いでいたことがわかります(ここだけネタ隠し)。
さて、この作品で話題となるのは、ラストの超展開でしょう。舞台となった銭湯で、登場人物が湯船に入り肩を並べて口々に「すっごくあったかい」と呟きます。カメラは燃えたぎる銭湯の釜の炎を映します。そこにあるものがチラッと見え隠れし、最後に煙突から赤い煙が立ち上っているシーンとなります。音楽の入りも素晴らしく、完璧なシーンなのですが、このエンディングについて「ホラーだ」という感想がネットには上がっています。確かにそのまま受け取れば、ホラーとも言えますが、単純に映画ならではのファンタジーと受け取りました。登場人物が「あったかい」と感じる「湯を沸かすほどの熱い愛」というタイトルがビシッとハマった瞬間ですね。
チチを撮りに
実は中野監督にとって、「湯を沸かすほどの熱い愛」が商業映画デビュー作だったということで、それ以前に注目を浴びたのが「チチを撮りに」です。「湯を沸かすほどの熱い愛」に共通する複雑な親子関係や、ファンタジックなエンディングという軸は既に完成されています。
「死ぬ間際の惨めな父親の写真を撮る」という滅茶苦茶なミッションを受けた葉月と呼春は、その父親の突然の死により、2人だけで見ず知らずの人しかいない葬式に出なくちゃならなくなります。2人とも遊びに行くような服に着替えてしまい、服装だけでも浮きまくっています。父親の再婚相手からは遺産をねだりにきたと誤解されたり、おじさんからも「父親を恨んでいるのか」と言われたり。2人は悩みぶつかりながらも、母が何故2人を父の元に行かせたのかを考え行動し、成長していきます。姉妹が本音をぶつけて蹴飛ばし合う田舎道の場面に涙を誘われます。
しかし一番の泣きどころは、異母弟ちひろとの交流でしょうか。父を亡くしながらも健気に振る舞うちひろは、葉月や呼春と心を通わせます。一緒におにぎり食べたり、最後に「辛くなったら頼ってね」と葉月が仕事先(!)の名刺を渡したりする場面が印象に残りました。
エンディングでは、「父親の骨を川に投げたらマグロが食いついた」という、ちょっと何言ってるかわからない状態になります。この映画でも、映画的ファンタジーが炸裂し、あ、この監督は確信的にこの場面作っているんだな、ってわかります。これはこれで良いと思いました。因みに「チチ」には「父」と「乳」がかかっています(謎)。
浅田家!
実在の写真家の事実に基づいたストーリー。前半のコスプレ撮影では笑わされ、中盤の家族写真撮影ではずっと泣かされました。特に病気の少年との家族写真。このあたりずっとうるうるしてました。
後半は東日本大震災での写真救出プロジェクトの顛末が描かれます。思い出さえも奪われた人々にとって、過去の一瞬を切り取った写真は、その思い出を甦らせるものなんですよね。娘の遺影のために卒業アルバムを探す父親の話や、亡くなった父親の写真がないのは、いつも写真を撮っていたからということに気づく女の子の話など、涙腺が緩むエピソードが綴られます。
しかし、個人的になんとなく後半でブレーキがかかってしまったのは、映画が現実を越えられていないと感じてしまったからのようです。能登半島地震が起こり、再び地震被害の残酷さを見てしまうと、東日本大震災の被災地を再現した場面が急に作り物めいて見えてしまいました。決してこの映画が悪いのではなく、東日本大震災を振り返るシーンで、能登半島地震と重ねてしまった自分が悪いんですけどね。
エンディングはファンタジーではないですが、あるオチがあります。そしてモデルとなった写真家さんの本物の写真も登場します。マジでこんな家族写真撮っていたんですね。
中野亮太監督、本格的な長編作り始めてからの作品はそんなに多くありません。今後は確実に「泣ける映画」を作れる監督として引っ張りだこになるのではないでしょうか。