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展覧会場だけどショップにいるような感覚に - 鹿児島睦まいにち展


PLAY! MUSEUMで「鹿児島睦 まいにち」展。

陶芸、テキスタイルやパッケージ、様々な活動をしている鹿児島睦。私はどうしても「今をときめく」という枕詞をつけておしゃれなアート作家と感じてしまう。
初めて陶芸作品を見た時、フィンランドの陶芸家ビルガー・カイピアイネンに似てるなー、北欧の影響受けている人なのかな?と思った。
動物や人物の描き方が中川いさみやモーリス・センダック、レイモン・ペイネ風のもあったり。

TOBICHIが南青山にあった頃、小規模な陶器展を見た。作品は販売されていたけれど、抽選でかなりの倍率だったらしい。私には気軽に買える値段ではなかった。

今回の展示、鹿児島睦の陶器にインスピレーションを得て梨木香歩が書き下ろした『蛇の棲む水たまり』という物語と共に作品を鑑賞する部屋があった。素敵な音楽が流れ、黒い紗に囲まれ薄暗く、おしゃれさを演出したちょっと勿体ぶってる空間。物語は心に響かなかった。

陶器の他にも

ワンピースや
パパブブレの千歳飴パッケージ。
媼翁がおしゃれすぎる
飛騨産業のリビングチェア、穂高
ミッフィーのドレスも
ところどころに動物モチーフの花瓶
風呂敷
Tシャツ。  ん〜、
キャロル・キングの"Alligators all around"
が聞こえてくるなあ…



国内・海外の様々な店舗や会社、工房とのコラボレーション作品があり、展覧会というよりおしゃれな雑貨のお店にいる感覚。
鹿児島睦はコンランショップで働いていたこともあると解説で知り、腑に落ちた。

日々の生活の中にあって使いやすくそして美しいと思える物 - 用の美は、柳宗悦やウィリアム・モリスなどが提唱してきた民藝やアーツアンドクラフツの活動の要。
そこに連なる柚木沙弥郎の、商品化された物を私は喜んで購入し、愛用している。
鹿児島睦もその系譜にあるのだろうけれど、何でだろう?何かが違う気がする。アートを日用に採り入れている点では同じなのに。

違和感の理由の一つは、始めに書いたような、私が感じる「今をときめく」部分 : 今はみんなこういうの好きだよね、にあるのかもしれない。
例えば動物モチーフが今風のキャラクターみたいにかわいすぎたり、植物パターンが整いすぎていたりとか。
それから、商品化されている物、ミュージアムショップで売られているグッズの種類や数の多さにも心理的な抵抗が働いているのかも。

昔、ミュージアムショップに置いてあったグッズはせいぜいポストカードとか複製画、図録、ハンカチぐらい。
それがクリアファイル、マスキングテープ、トートバッグ、ピンバッジ、食器、Tシャツやスウェット、お菓子などバリエーションが増えていき、今や名画のパンツや靴下、アクリルスタンドまで何でもありだ。
ミュージアムショップ、見るのは楽しいしたまに自分も買うこともあるくせに、さっき見てきた作品がグッズとして山ほど売られている光景は、感動していた展覧会場から一気に世俗に帰ってきた気分にさせられる。

今回の鹿児島睦展は、展覧会そのものが既にショップみたいで、見ている間も「これ、きっと会場出たらミュージアムショップに置いてあるんだろうな」と思い(そして確かにショップで売られていた)、はじめから商品として鑑賞していたことも、私の感じた「なんか違う」の素だったのだろう。

批判的なこと書いているが、あぁ、これいいなと思う物もあった。

学生時代の陶芸作品。
素朴で気負いがなくて、とても好き。

呉須と辰砂が美しい

あと、展覧会で時々設けてある、その作家が興味を持って身近に置いている蒐集物や好きな物を集めたコーナー。
作家の心の中がちょっとだけ覗けるようで、今回のも楽しかった。こういうのを惜しみなく展示に出してくれるのは嬉しい。

土産物、絵本、子どもの作品など様々
あ、これは…
カイピアイネン、やはりそうだったか


「エルマー展」の冒険図書館にもあったやつ

このnoteの最初に、作風が色々な作家に似ていると書いたけれど、好きな物や作家に影響を受けることは、芸術の世界では普通にある。
それでもなお、お皿やテキスタイルなどの作品を見た時に「あ、これは鹿児島睦のだ」とわかるスタイルを確立しているので、やはり唯一無二のアーティストなのだろう。

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