PG12でも小学生に伝える心意気
何度かnoteに書いているが、現在60代夫婦2人暮らしの我が家で、2紙購読している新聞のうち一つは毎日小学生新聞(毎小)。
以前学校司書をしていた時の習慣というのもあるけれど、おもしろいからというのが一番の理由。たまに夫も職場に持って行って回し読みしている。
今朝の毎小1面は、明日から公開される映画『福田村事件』について。
2面まで続く記事の中で、この映画の監督、森達也は集団の狂気について語っている。
主語が複数になると、デマに踊らされやすい。そうならないためにネットを含む情報のリテラシーを身につけるには、主語を一人称として考えるようにするといい、と。
森達也監督、個人的には「品のいい日本のマイケル・ムーア」だと密かに思っているのだが、東日本大震災の時に略奪や暴行が起きなかったのは日本人の美徳と言われたことに怖さを感じたというのが印象的だった。
それも結局は同調圧力が働いているのではないか、と。「わたし」「ぼく」という一人称の主語を持てば、みんなと違うものを見ることができ、異議を唱えることもできると小学生読者に呼びかけている。
毎小では、映画がPG12であると書いている。
それでも敢えてこの映画について、トップ記事として紙面を割いて紹介しているところに矜持を感じる。
小池百合子都知事は、墨田区で毎年9月1日に行われている朝鮮人虐殺の追悼式典に今年もだんまりを決めこむそうな。
都知事は毎小、読んでないだろうな〜。