結婚。何がめでたい
結婚というのは世間ではたいそうめでたいことのようだ。結婚式では美しく着飾ってみなに祝福され、晴れて夫婦となった後は円満な家庭を築くことになる。恋愛のゴール、幸せの象徴、それが結婚。さて、本当にそうだろうか?
結婚した3組に1組は離婚する現在だ。結婚はその後の人生を保証しない。目的地にしてしまうにはあまりにも不安定だ。だから「結婚したい」人は、その目的やあり方についてよく考えておく必要があるだろう。
今度結婚することになったのだが、これを機に自分は結婚をどう思うか、自分にとって結婚はどうあるべきか考えてみることにする。
プロセスとしての結婚
プロポーズしたのは自分だが、実はあまり実感が湧いていない。挨拶、結婚式、新婚旅行、といった結婚にまつわるイベント類が一切発生しないせいだろう。婚姻届の証人欄を誰に埋めてもらうか一考したくらいの労力しか使っていない。
私と結婚相手は、結婚を「婚姻届を提出すること」だと認識している。法的にはこれが正しい。ただ、世の中で結婚といえば「男女が同居すること」「結婚式を挙げること」「家族同士が結びつくこと」「家庭を作ること」「子供を産み育てる前段階」という思考が付随する。これが大変面倒くさい。
私たちは既に同居しており、結婚式をあげるつもりはない。また、除籍して新しい戸籍となるのだから、親の属する家族とは戸籍上関係がなくなる。それに片親や養子縁組が存在するように、結婚していなくても家庭を作って子供を持つことも可能だ。要するに、結婚にこれらの事柄は必要ないのだ。
結婚式を挙げないというのは双方合意の上である。かつてはウェディングドレスや白無垢を着てみたいと考えていた。しかしある時、私が憧れているのは単にドレスや和装だということに気が付いた。つまり結婚とは関係ないところで着ることだってできる。わざわざ数百万かけて自身の興味を満たさなくてもいいわけである。
ではなぜブライダル産業が成り立っているのか。それは多くの人が結婚という「プロセス」を重視しているからだろう。互いの両親に緊張の挨拶をし、時に喧嘩をしながら式をセッティングし、多くの人に祝ってもらう場を提供する。その過程で結婚への意識を高めていき、同時に労力の対価として満足感を得る。そうすることで、結婚して幸せになったという錯覚に陥るのだろう。
結婚を目的にしている女性にとっては、このプロセスこそが結婚であり、憧れていることそのものなのだろう。だからきっと結婚したがる多くの女性は結婚式をしないという条件を飲むことはできない。結婚式こそ「女性が最も美しくなれる」と噂の、結婚の集大成なのだから。
象徴としての結婚
結婚する身として思うのは、何がめでたいのかさっぱりわからないということだ。婚姻届を提出するだけで、前後の生活や心境に変化が生じるとも思えない。だから、おめでとうと言われたらありがとうと返しはするが、形骸的にしか感じられていない。
たしかに昭和までは結婚は祝いの場の象徴だっただろう。家同士の新たな結びつきが発生し、大騒ぎしてもてはやすべきものであった。しかし時代は変わり、現在は個人の自由意志の下でおこなわれる人生の選択肢のひとつにすぎない。無事に子供が産まれることや記念の誕生日を迎えることがめでたいというのはわかるが、婚姻届を提出することはめでたいこととは思えない。
人生の門出という意味でめでたいというのなら、どういう点で旅立ちと言えるのか教えてほしい。結婚して引っ越すわけでもないし、寿退社(この言葉も好まないが)するわけでもない。同じ理屈なら離婚の方がめでたいだろう。離れたい人と縁を切ることができる、これこそ門出だ。
話は変わるが、既婚者や夫婦というレッテルは社会で影響を受けやすい。ひと昔前なら、既婚者でないと昇進できない業種もあったという。カップルのあり方は多様化しているのに、夫婦というと男女二人組を意味するし、当然そうだと思われる。
私が結婚する理由のひとつは子供がほしいからだが、先述の通り結婚は子供の必要条件ではない。ではなぜかというと、子供は「夫婦」が持つべきものだという世俗の目があるからだ。世間に抗うほど結婚に反対する理由もないため、子供のためにも両親が結婚しておくのがよいだろうという判断だ。
様々な生き方が認められる時代においても、普通や常識というものは強い力を持っている。自分ひとりならこれに対抗することもあったが、子供という他人に迷惑をかけるわけにはいかない。もっとも本人がそれを望めば応援するつもりではある。
手段としての結婚
結婚は男性にメリットがない、と言われるがその通りかもしれない。特に金銭面では、収入の多い男性ほど容易に搾取される。かつて結婚して家庭に入る女性を養う時代なら有効な法律だったろうが、女性も働く時代にあっては改変があってもいいように思う。
男性が結婚する目的について結婚相手と話したところ、やはりメリットは思いつかないらしい。結婚しない理由も特にないから、という消極的な理由で受け入れてくれたそうだ。
結婚式の件で「結婚を目的にする女性」の話をしたが、結婚に憧れのない私が結婚するとしたらそれ以外の目的が必要になる。先に述べた子供のこと以外では、結婚相手の浮気を防止することが挙げられる。
私は嫉妬深いことを自覚している。恋人が男女問わず他人と仲良くするのが嫌で、そこに自分が混ざれないことが悔しい。束縛したくはないし相手も聞きはしないものの、外出しないでほしいと嘆くことがよくある。面倒だろうと自分でも思う。
浮気するとは思っていないが、結婚しておけば人間関係において非常に強い立場になれる。万が一争うことになっても責任を追及できるし、抑止力として有効である。逆も然り、浮気性な自分を抑制するための手段として結婚を用いることにした。
こうしてみると、犯罪を防ぐための懲罰のようだ。しかし何の目的もメリットもなくできるほど、結婚を崇高で格別なものだとは思っていない。
おわりに
私は他人の思想に納得すると簡単に影響を受けてしまうチョロい人間なので、この結婚についても結婚相手の考えに追従している感は否めない。だからこの記事の内容も、3年くらいして離婚していたら変わるかもしれない。
いまのところ、結婚について非常にドライな感想を抱いている。一般的な女性からすれば全く共感できないだろう。それでいい。ついぞ世の中の意見とは上手く噛み合ってこなかった私だ。その記憶として、この記事を残しておくことにする。