幾何学建築

第一回
クレオメディス建築商会
クレオメディス建築商会のことを知っている人間なんていないと思っていたよ。
今年の会社名鑑を見ても載っていないし、電話帳にも載っていないからね。まして新聞の折り込みちらしに入っているのを見たこともなかったし、まかり間違えても、大金をはたいてテレビやラジオでコマーシャルをうつということも絶対にありえないからね。
明治二十七年に創設された会社だと云うことを知っている人間なんてもちろん、いないだろう。そんな昔に記憶のある人間なんていないと思うから。そんな人間はもう生きていないよ。なにしろ、一切記録には残っていないんだから、そこに係わった人間の記憶だけがたよりな存在だと云うわけだ。
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それがどうしてその話しをするんだい。
クレオメディス建築商会を知っている人間がいたとでも云うのかい。
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そうなんだ。昨日、テレビを見ていたら、それを知っている人間が突然出てきたんだ。押入の奥の方にしまわれて忘れられていたへそくりが突然出てきたみたいだよ。
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それは珍しいことじゃないか。うちのテレビではそんな番組はやっていなかったぜ。昨日の何時頃のことなんだい。
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昨日の夜の十時だよ。八坂テレビの「外国人さん、いらっしゃい」と云う番組に出てきたのさ。
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ちょうど、その時間はうちのテレビでは「奥飛騨美食巡り」と云う料理と旅行を組み合わせた番組をやっていたのでそっちの方を見ていたよ。その番組を見なかったよ。「外国人」と云うからには、その話しは外国人のことを言っているのかい。外国人がそれを知っていたと云うんだね。
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そのとおり。
ロシアから来た女優でね。マーシャ・ロバチェフスキーと云う女がその話しをしていたんだよ。マーシャ・ロバチェフスキーはハンガリーの監督と結婚したことがあるんだけど、今は別れている。本人に言わせると想い出と友情で結ばれているふたりと云うわけだね。その監督が日本に来たとき、知り合いの家に泊まったらしいんだ。きっとそのとき強い印象を持ったんだろう。その家に彼女自身が来日することがあれば、泊まったらいいんじゃないかとむかし監督から言われたんだってさ。それで、テレビの番組の中の対談でそのことを話していたんだ。その家に泊まりたいって。でもクレオメディス建築商会のことを知っている日本人なんていないから、その話しをふられても対談していた日本の舞台演出家にはさっぱりと何のことかわからずに、困惑するばかりだったよ。僕はその様子を見ていておもしろくておもしろくて腹を抱えて、笑いそうになったよ。なにしろ、クレオメディス建築商会は明治二十九年に日本ではじめてコンクリート製の個人向け住宅を建築した建設会社だからね。そのことを知っている人間は日本では誰もいないけど。ロバチェフスキー嬢の方も相手がそのことを全く知らなかったので不審気な顔をしていたんだ。日本に住んでいる日本人なのに何故そのことを知らないんだろうって。でも、彼女がそのことを知らないのはもっともだよ。多分、日本でその会社のことを知っている人間はいないんじゃないのかな。住んでいる本人だって自分の住んでいるのがクレオメディス建築商会が建てたんだと云うことを知らないと思うよ。きっと自分が少し変わった家に住んでいるなぁと思うぐらいが関の山だよ。
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じゃあ、その女優、名前は何て云うんだっけ、ロバチェフスキーだったな。そのロシア人はせっかく日本に来る機会があったのにクレオメディス建築商会の建てた家に泊まる機会はなかったんだな。ご愁傷様。
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まあ結果としてはそうなんだけど、彼女がそこに泊まる可能性がないこともなかったんだぜ。ーーーーーーーーー
それはどういうことだい。
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彼女を日本に招待したのは日本演劇協会で、君は知っているかな。チエホフのかもめを二十年間、演じ続けていると云うので有名な俳優がいたじゃないか。南海浜夫と云う名前なんだけどね。彼が赤坂の鉄板焼き屋に彼女を招待したんだよ。彼が外国から来た演劇関係者を招待するときよく使う店なんだけど、珊瑚樹と云う鉄板焼き屋だよ。六本木の交叉点から防衛庁の本庁舎へ抜ける道を途中から左折したところにある。近所にB&Kロックカフェと云うのがあってよく若者がそこでたむろしているよ。そこから夜になるとライトアップした東京タワーがよく見えるんだ。その店自体もネオンちかちかで、電飾が看板のところで明滅しているから、充分に賑やかなんだけど、だから、そんなものが見えなくてもいいんだけどね。
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鉄板焼き屋って。なんか、随分と安っぽい名前に聞こえるけど。
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自分が入ったことがないから、そんな安っぽい呼び名で呼んでいるんだよ。牛肉を一枚焼いて、一万円を差し出さなければならないと云う店だよ。ようするに客が座っている前に肉を焼く銅板が置いてあるのさ。銅板の厚さも二センチもあるんだよ。肉がまんべんなく焼けるようにと云う配慮からその厚みにしているんだと思う。銅板の表面はつるつるに磨いてある。あそこら辺で働いているホステスが客をだまくらかして、引っ張り込むと云うたぐいの店だよ。別にホステスの肩を持つ必要もないけど客の方でも綺麗なお姉さんに自分の太っ腹のところを見せるには都合の好い店だと云うわけだよ。そこに客として座ると、目の前で銅板が熱した状態でテーブルの一部としてあって、霜降りの値段の高い肉が運ばれて来て、その向こうには子供の腕の長さくらいあるようなナイフとフォークを持ったコック帽をかぶった料理人が客の来るのを待ちかまえているんだ。そして店の奥の方から運ばれてきたと生肉を鏡のように磨き上げられて、熱した銅板の上に置くと、すぐにじゅうじゅうと云う音がする。するとコックは素早く、鐘の親玉みたいな半球の形をした蓋をかぶせてむすのさ、それからコックは頃合いを見計らって、蓋をはずす、つまり焼き具合と焼き方をコントロールしているわけだ。肉は湯気をたて肉が置いてある銅板のわきには肉から染み出した肉汁が無数の泡をたてて蒸気になっていく、そこで子供がちゃんばらに使うようなナイフとフオークの出番だ。コックは地獄の屠殺人よろしくナイフとフオークをかちゃかちゃとすり合わせながら、その二つの道具に踊りでも踊らせるようにして肉をきりわけていくわけだ。そして切り分けられた肉は踊るようにして客の目の前に置かれ、客の口の中に、最終的には客の胃袋の中に消えると云うだんどりだ。南海浜夫とロバチェフスキー嬢は並んでそれを食したと云うわけだ。もちろん南海浜夫がロバチェフスキー嬢にいいところを見せようとしてそんなところに招待したんだと思うけど。
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ふたりがどこから出ている金かはわからないけど、そこで肉を食ったと云うわけだろう。でもクレオメディス建築商会とどう云う関わりがあるんだい。さっき、君はロバチェフスキー嬢が彼女の希望を叶えて、目的の家に泊まることが出来る可能性があると言ったじゃないか。それはどう云うことなんだい。実はその珊瑚樹と云う鉄板焼き屋が実はクレオメディス建築商会が個人向けの住宅として建てた建築でそれが売り払われてレストランとして改装したものだった、だって、クレオメディス建築商会がさっき個人向け住宅を建てていたときみは云ったじゃないか。つまりそこに住んでいた住人が、お金に困ってそのレストランの経営者に自分の家を売ったんだと云う「おち」だったら僕は怒るよ。
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もちろんそんなつまらないことは言わないよ。実は本人はその事実を知らないんだけど、クレオメディス建築商会の建てた家に住んでいる人物がそのレストランの中にいたんだよ。
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誰だい。
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鉄板焼きの板の前で肉を焼いているコックだよ。本人はそのことを知らないんだけどね。
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名前はなんと云うんだい。
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雑魚田俊光と云う男だ。その男が妻の良江、娘の萌子、母親の亀と四人で東京でも都心の繁華街にある大きな墓地の裏にある公園のうしろのその家の中で住んでいる。百年も前に建てられた家にだよ。本人はもちろん、その家がクレオメディス建築商会に建てられた家だと云うことは知らない。その男のじいさんの代から住んでいるんだ。じいさんが建てた家だからね。
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都心の墓地と云うとAのことだろう。随分土地代の高いところに住んでいるんだな。
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それは現代の話しだからだよ。むかしはそこは墓しかなかったんだから、家があっても粗末なものしかなかったさ。プロレタリア作家の作品にその場所に建てられている下宿に住んでいる貧乏学生の話があったのが昭和のはじめの頃だよ。土地が異常に高くなったと云うのは現代になってからの話しさ、明治時代にはそんな立派な家はなかったよ。
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本人は自分がクレオメディス建築商会の建てた家に住んでいると云うことは知らないわけだ。
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知らない。それだけではない。その家に住んでいることさえ呪っている。宝くじを百枚買っても一枚も当たらないことも、これまでに手術をするような病気を三度もしたこともみんなその家に住んでいるからだと思っている。みんな悪いことはなんでもその家のためだと思っている。
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Aに住んでいるなら、その家を売ればいいじゃないか。そんな都会の一等地に建物が建っているなら売ればいいお金になるはずじゃないか。土地は自分のものではなく、借り物だとか云うのかい。
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そうじゃないよ。土地も雑魚田俊光名義になっているんだど、何故だかそんないい場所に居を構えているのにもかかわらず土地も家も売れないんだ。それが彼がこの家に住んでいることを呪っている最大の理由かも知れない。
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家そのものに大きな理由があるのかい。それとも土地に。
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変わった家
とにかく変わった家なんだ。誰も知らないことなんだけど日本でコンクリートではじめて作られた個人向け住宅なんだ。明治時代に建てられた家のくせに四階建てになっていて、家の中央には上階まで行くエレベーターが附いているんだ。それで四つの階をすべてつないでいる。それぞれの階に雑魚田の家族がみんな住んでいる。しかし、一階は駐車場のようになっていて人の居住空間ではないんだ。車はないんだけど。二階には雑魚田の一人娘の萌子が住んでいる。萌子は十八才で今年高校を卒業した。三階には雑魚田俊光と妻の良江が住んでいる。そして四階には母親の亀が住んでいるんだ。それらの階をつないでいるのはおもにエレベーターで、明治時代に建てられた建物なのにエレベーターがついているんだ。非常階段もあるんだけど、めったにつかわれないんだ。そして四人の家族は食事のとき意外はほとんど顔を合わせないんだ。食事は一階の駐車場の一角を区切って小さなダイニングが作られていてそこでおこなわれている。だから家族のあいだでふだんからほとんど交流はないのさ。外からその建物を見ると墓地のそばにあると云うこともあるんだけど大きなコンクリート製の墓があるように見えるよ。曇り空の日なんか、その建物が灰色を背景にして立っている姿なんて特にね。でも一階の玄関のドアだけは古びた木製でしゃれた大きな葡萄のレリーフが彫られている。そんな結構な家に住んでいるのに雑魚田俊光は自分の家を呪っているんだよ。それも特に自分の住んでいる土地が売れないと云う理由からね。
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じゃあ、ロバチェフスキー嬢は自分の目の前で肉を切り分けている人物がめざす家に住んでいる人間だとわからなかったと云うことなんだね。雑魚田俊光自身もそのことがわからなかったわけだから。
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そうなんだ。
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でも、そこだけなのかい。クレオメディス建築商会の建てた家と云うのは。
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僕の知る限りではもう一軒ある。この家のある場所は言わなくてもいいだろう。その家も明治時代にクレオメディス建築商会に建てられたのさ。こちらの家は平屋建てで何故だか家の形は六角形をしている。部屋も大小さまざまな部屋があって、それらもみんな六角形の形をしている。家は木材で造られているんだ。百年の歴史が経っているよ。玄関には大きなレリーフがついている。もちろん木彫のものだよ。Bと云う文字が彫られたレリーフが木製のドアにはめこまれているのさ。家自体は大きなもので、小学校のプールが二つぐらい入る大きさなんだ。
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そこの住人も自分の家が誰に建てられたのかわからないんだよね。
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そうだよ。そこに住んでいるのは二十一才になったばかりの若者でね。吉見はしごと云う名前だ。最近まで吉見穴子と云う父親と一緒に住んでいたんだけど、父親も死んでしまって今は一人住まいなんだ。この若者もその家に住んでいることを呪っているのさ。おもに自分の家を売って引っ越そうと思っているのだが、何故だか、家も土地も売れないのだ。不動産屋に話しをすると地盤が悪いのでそこには高い建物を建てることが出来ないから値がつかないと云っている。きっとほかにも理由があるんだろうけれど、何故だか家が売れないんで、金が入らない、それで引っ越すことも出来ないのさ。隣りの家のどら息子がスポーツカーを買ったことも、その家を呪う原因になっている。吉見はしごがある日、目をさましたら、隣りの家の駐車場に銀色のさきのとがったスポーツカーが停まっていた。車高がやたらに細くて形は流線型をしている。流線型なんて、やたら懐かしい言葉だな、昔は乗り物でやたら早く走りそうで性能の良さそうなものは流線型をしていると言ったものさ。前後についている窓ガラスも地面と三十度の角度をしている。走っているとき風を後方に飛ばすためだよ。それに雨の降っているときだったら、その方が雨粒が後方に飛ばされるからね。普通の自動車では上から見たとき、屋根とボンネットしか見えないものを上から見ると前のガラス窓を通して運転席の茶色のダッシュボードと黒いステアリングホイールが見えるんだ。椅子は革張りだ。運転席のメーターには黒い文字盤の中に三百キロの数字が刻まれている。最高で三百キロ以上のスピードが出ると云う証拠だ。それらのハンドルもみんな手作りなんだよ。スピードを出す必要のない日本でなんでそんなものを作る必要があるのだろうかと思うんだけど、そのフロントガラスと云うものも薄い青色が入っているんだよ。エンジンは三千CCでエンジンをスタートさせると黒く塗られたエンジンがぶるんぶるんとふるえてシリンダカバーの上の方についている点火ブラグのコードも揺れるのさ。吉見はしごが目をさますとその車が隣りの家の駐車場に停まっている。それも隣りの家のどら息子の車だ。どうせ助手席にはどら息子がひっかけた女でも乗せるのだろう。それに引き替え、自分は父親も早くに死んで苦労している。まあ、それは最近のできごとと云うわけだけど万事がみんなそうで、世の中のすべてが自分以外の人間をひいきにして、幸福にするために動いているように思われる。それもこの家に住んでいるからではないかと云う感じがするわけだ。
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吉見はしごの父親の名前はなんと云ったけ。
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吉見穴子だよ。
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かなり若い年齢ではしごを残して死んだみたいじゃないか。
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吉見はしごは父親を憎んでいた。その住んでいる家と同様に父親を憎んでいた。
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それはまたどういう理由でなんだい。
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吉見穴子は全くなにもしない男だった。その家を建てたじいさんの遺産で食いつないでいたと言っても言い過ぎではないだろう。吉見はしごがその六角形の家の中で六角形の部屋から部屋へとわたり歩いて父親を捜し歩いても、父親はどこにいるのか、わからなかった。その家の中はそれほど部屋がたくさんあったと云うこともあるが、父親が自分の息子に全く無関心だったと云うわけだからじゃないだろうか。君はそう思わないかい。人間が数え切れないぐらいいるこの都市の中で、思いもかけず人に出逢ったりすることがある。ちょっとした理屈では説明がつかなかったりするわけだ。だってたんに確率の理論を持ち出してもあまりに低い数値が出て来て、説明がつかないからね。きっとその人同士がお互いに逢いたいと思っているからではないだろうか。お互いに逢いたいと云う気持ちがふたりを出逢わすわけだ。しかし、吉見穴子は全く自分の息子に興味もなく、逢いたいとも思わなかったわけだ。だからいくら広い家だと云っても、個人の家だよ。家の中であるのにもかかわらず、自分の息子と顔を合わせなかったと云うわけだ。
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じゃあ、その家の中で吉見穴子はなにをしていたと云うわけなんだい。
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その家は平屋の大きな木造で外見は六角形、部屋も大小、さまざまな六角形の形をしていると云っただろう。家の中にはいくつもの六角形の部屋があって、廊下はつまり部屋を結ぶ空間はいろいろな数字の多角形となっていたわけだ。三角形はいくつわけても三角形だけれども、六角形の中に六角形を入れると角度が余るからね。その部屋はみんな畳がしかれていて、壁のまわりには本棚になっていて、くすんだ緑色の本がぎっしりと部屋の周囲を囲むようにつめこまれていたんだ。穴子はじいさんの遺産を食いつぶしながら、朝から晩までその本を引っ張り出したり、しまったりとそんなことしかせずに一日をつぶしていたんだ。その様子を見て吉見はしごは父親を憎んでいた。そして父親が死ぬとはしごは学校に給食を卸している会社に入って、大きな釜で御飯を炊く仕事をしている。学校に御飯を卸していると云っても、その御飯のおいしさは格別で有名だ。君は知っているか。**炊飯と云う会社のことを。
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うんにゃ。知らない。
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知らないのかい。一度は食べてみろよ。
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うん。
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第二回
おいしいご飯
そこではしごはおいしい御飯の炊き方の腕も突出していた。自分の家のいまわしい想い出を忘れようとして、御飯の炊き方を研究したからかも知れない。その家の想い出を払拭するためにいつも御飯の炊き方を研究していたんだ。しかし、彼の父親に対する憎悪の念は消えなかったのだ。だから部屋一杯を占拠しているそれらの本を取り出して見ようと云う気持ちも起こらなかった。しかし、家の中で一日中、父親がなにをやっていたのか、興味はあった。もしかしたら父親の弱点を見付けてそれで父親を許してやる気持ちを持ちたかったのかも知れない。父親の寝室のけやきを磨きぬいて、こげた飴色になったようなベッドの頭の方に錠前のついた小さな箪笥があって、たまたまその中に箱根細工のような隠し引きだしを見付けたんだ。はしごはその引きだしをおそるおそる開けてみた。そこには自分の血の秘密が入っているのではないかと云う思いが一瞬ちらついた。つまり、自分が本当の父親の息子ではないのではないか。だから、あれほど穴子が自分に対して冷淡だったのではないかと云う思いだ。しかし、引きだしを開けてみて、その思いはすぐに打ち消された。そこにははしごのことなどおくびにも出ていなかったのだ。引きだしの中から出て来たのは吉見あなごの日記だった。
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日記にはどんなことが書かれていたんだい。
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いくつも出て来る言葉は自分の住んでいる六角の家に対する恨みの言葉だった。はしご同様にあなごはこの家に住んでいること、この家自身を憎んでいた。日記の中では何度もその家のことをのろいの家と云う言葉を使っていたのさ。すべての不幸の原因はこの家にあり、この家を出れば幸せになれるだろう云うようなことが書かれていたのさ。それからじいさんから言い伝えられた事が書かれていたのさ。それがどんなことかと云うと、そのじいさんと云うのはこの家を建てた人物のことなんだけど、じいさんの言うところによると、とても自分の身上ではこんな家を建てることは出来なかっただろう、それが出来たのもこの家に置いてある、たくさんの本のおかげだ。この本を調べることによってわしは身上を得ることが出来てこの家を建てることが出来た。それはどういことかと云うとこの家の中にある壁際に置かれている本を取り出して、本に書かれているなぞなぞをやる。そのなぞなぞと云うものも、やさしいもので「立つと見えずに、座ると見えるもの」と云うようなやさしいものなんだ。それらのなぞなぞをすべてやると、ある秘密が明らかになり、身上が得られるとじいさんが話したのを聞いたと書かれてあった。そう穴子の日記には秘密めいたことが書かれていたのさ、日記にはその続きがあり、じいさん自身は身上を得る秘密を得ていたが、その秘密を穴子に教えると、穴子の仕事がなくなるので教えないと言われたとも書かれている。さらにそのあとに穴子がじいさんを非難している言葉がながながと書かれていたんだ。穴子自身のことが書かれていて、やはりその間にははしごの爺さんに対する非難がながながと書かれている。それからあきらめ気味に、仕方がないから、最初からその秘密を探るために自分は本に書かれているなぞなぞをやり続ける。そしてやり続けて来たと書かれていたんだよ。そしていつまで経ってもその秘密は解けないし、なぞなぞも終わらないから、おもしろくない、その答えはもちろん、自分の息子にはそんな事実があると云うことも教えないでおこうと書かれていた。つまりは父親がたんに意地悪をして、息子の幸福になる機会をつんでしまったと云うだけの話しだったのさ。それでその日記を読み終わったはしごはその日記を畳の上にたたき付けた。そして自分の父親に対する憎しみがまたふつふつとわき起こってきたんだ。
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じいさんが父親に意地悪をして、その父親が自分の息子に意地悪をしていると云う図式なんだね。
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そういう事だよ。
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でも、そういう秘密がわかったなら、僕だったら、いちおう父親と同じように、本箱から本を取りだしてそのなぞなぞを解いてみようとするよ。はしごはそうしたのかい。
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そのとおり。吉見はしごは父親と同じように本箱から本を取りだしたんだ。そして緑色の背表紙の本を取り出すと六角形の部屋の中でその本をひろげてみた。するとまたなぞなぞが書かれてあったんだ。
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今度はどんななぞなぞが書かれていたんだい。
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今度も簡単なものさ。
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簡単って、どんなもの。
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立つと背が伸びて、座ると背が低くなるいつもそばにいる友達ってなーに、と云うものさ。ーーーーーーーーーーー
そんななぞなぞ、簡単じゃないか。小学生だって答えられるよ。それは影だろ。
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そのとおり。すぐに解けたじゃないか。
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そんなことを褒められてもうれしくないよ。ーーーーーーーーーーーー
おじさんは二つの数字を持っていました。でも、片方の数字はいつも片方の数字に負けていました。そのおじさんはなにものなんでしょう。
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おじさんが誰か答えるのかい。
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そうだよ。
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その数字ってなんなのさ。
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それを教えたらなぞなぞにならないよ。
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わかった。わかった。その二つの数字って、お金を貸したときの利息と借りたときの利息だね。おじさんって銀行のことだ。
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ピンポーン、そのとおり。
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でも、随分と易しいなぞなぞじゃないか。
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でも、そんななぞなぞが一ページに五個ぐらいのっているのさ。それが千ページぐらいの本で、部屋の中にそんな本が何百冊とあるんだよ。そんな六角形の部屋がその家の中にいくつもあるんだ。はしごは一冊の半分も終わらないうちに眠くなって寝てしまった。
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ふん、根性のない奴だ。
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仕方ないさ。次の日は仕事があるんだから、それで**炊飯にまた御飯を炊くための仕事に行った。御飯を炊くための大きなステンレス製の釜の中に御飯を入れたんだ。それから自分の御飯の炊き方ノートを開いたんだ。はしごの勤めている給食センターでは火加減をマイコンにプログラムして入れるようになっている。それでおいしい御飯が炊ける火加減を細かにデーターを取って研究しているのさ。はしごの持っている火加減ノートと云うのもそのデーターを記録しているんだ。
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御飯の炊き方にしては随分とむずかしいじゃないか。はじめ、ちょろちょろ、なか、ぱっぱっと云うだいたいのあいまいなものじゃないのかい。ミリグラムとか、何秒と云うような正確なものではないだろう。
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御飯の澱粉質が炊き方によって旨味成分に変化をするんだよ。でもはしごの頭の中は何かぼんやりとしていた。昨日やったなぞなぞが頭の中に残っていて、意識の外にぼんやりと薄皮を張ったみたいだった。それで御飯を炊く道具の前に立っていても、自分が自分でないみたいなんだ。窓の外に見える景色もそれ自体が意識を持って何かを話しかけてくるように感じられるんだよ。つまりはしごの意識がそれだけ脆弱になっていると云う証拠だよ。それから、仕事が終わって夕方の帰る時間になったら、給食センターの所長に呼び出された。所長に呼び出されることなんかめったにないことだからね。センターの中庭が見える所長の部屋に入ると、所長はこほんと咳きをした。吉見くん、君の炊く御飯はいつもとびきりにおいしいとお客さまからの評判もよくて、満足しているよ。でも、今日はどうしたんだい。お客さんから連絡があってね。名前を云うと全国植木協会理事局事務所からなんだけど、今日届けられた御飯があまりおいしくなかったと電話がかかって来たんだ。君はどこか、体調が悪いと云うことはないかい。体調が悪いといつものとおりの御飯が炊けないからね。それにたいしてはしごは昨日のことで何故疲れたかは話さなかった。だいたい自分がどんな家に住んでいるかと云うことも話したことがなかったんだ。昨日、家の外で電気工事があってよく眠れなかったとか、なんとか言ってごまかしたんだ。
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所長はそれ以上のことは聞かなかったんだ。
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なぞなぞ
そうだよ。もちろん、はしごは家に帰ってから、あのなぞなぞの続きをやろうと思った。はしごはこの家を抜け出したいと思っていたんだ。死んだ爺さんはそのなぞなぞをやることによって一財産作ってあの家を建てたんだからね。センターでの仕事が終わってから、外に出るといろいろな料理屋の裏口が並んでいる通りに出た。裏口にはビールの箱なんかが何段にも重なって積み重なっている。出前の自転車なんかも置いてある。あの荷台の大きいがっしりした自転車だ。そこはある大きな映画館の裏口にもなっている、裏通りと云っても、大きな通りなんだ。夕方になっていたから勤め帰りの人間もその通りを歩いている。途中にはある旅行会社の代理店があって店の前にはいろいろなチラシが歩道の半分を占めるぐらいに出してある。その隣りはカメラ店とディスカウントショップをたしたような店があった。その店も少し変わっていて、店の中の小物は日本の中では見たこともないようなものが置かれている。その店がわざわざ海外まで出て行って買い付けて来た品物だった。同時に二方向別々なところを見ることの出来る双眼鏡とか、部屋のどこにあっても手を叩くと音が出て、ある場所のわかるライターなんかがあった。もちろん日本の国内で作られたものではない。そのさきに十五階建てのホテルがあって、ホテルの横は神社になっている。そのホテルは外国からの観光客がとまることが多いホテルなんだ。ホテルの後ろには緑の木が見えるんだ。ホテルの横が地下鉄の入り口になっていて、吉見はしごはその地下鉄の駅を出て、給食センターに通っている。帰りも行きも同じ経路で通勤していたのでその入り口から下に降りて行った。階段の途中で吉見はしごは何かが落ちているのを見付けた。階段の左の隅のところにそれがあったんだ。見るとそれは女が持つようなハンドバッグだった。吉見はしごがそのそばに行って腰をかがめると、ハンドバッグの蓋はしめられている。中身が入っているらしく、ハンドバッグはふくれている。中を開けると、中身が入っている。吉見はしごは階段を降りたところに、この駅の事務室があることを思い出した。そのハンドバッグを持つとその事務室のドアを開けた。中では駅員が机に座ってなにかやっていた。もちろん帽子は被っていなかったんだ。事務をやるときは駅員も帽子を被らないからね。はしごがその階段のところに落ちていたとその駅員に告げると駅員は事務的な手続きをとり始めた。それから別の机に置かれている、パソコンのところに行くと、キーボードに向かって何か打ち始めた。吉見はしごはその様子を見ていた。すると二百五十六色の画面が出て来て、小さな掃除機が画面の中でもぞもぞと動いている。吉見はしごはこの駅員が何をやっているかと疑問を持ったので、駅員に聞いたんだ。何をやっているのかと。すると駅員の言うには、落とし物の届けがあったとき、このパソコンを通じて、この地下鉄の各駅にその届けがなかったのかを聞くのはもちろんであるが、伝言メッセージのホームページがあって、そこの落とし物コーナーの画面で捜すとその落とし主が見つかったりすると云う話しだった。そこではしごにはひらめくものがあった。吉見はしごはいいことを聞いたと思った。昨日のなぞなぞ本との格闘でこの作業がどのくらいかかるか見当もつかなかったからだ。そこで死んだじいさんの謎を解けば、こんな作業をやらなくても、最短距離で目標に到達するのではないかと思ったのだ。そうすれば膨大ななぞなぞの本を解く必要もなく、死んだじいさんがどうやって財産を得ることが出来たのか、その秘密を解くことが出来る。そうすれば自分の家にある、何冊あるかもわからないなぞなぞ本を解く必要もないと思ったのだ。自分と同じような明治時代に建てられた変な家に住んでいる人間を伝言メッセージのホームページで捜そうと思ったんだ。
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それはいい考えだね。そんなくだらないなぞなぞを解くために時間をつぶす必要なんかないよ。
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さっそく吉見はしごは秋葉原にパソコンを買いに行った。それで北欧の神秘主義の教会のような自分の家に戻ると自分の家の中にその機械を運びこんだ。たくさんある六角形の部屋の中でも南側に面していて、冬でも昼間なら暖房を入れなくてもいい、六畳ばかりの大きさの部屋の中の例の本棚の一角をはずしてそこに木製の座り机を置いた。そしてその上にパソコンを置いた。窓が大きく取ってあるので部屋の中は明るかった。見方によっては網走あたりの刑務所の独居房のように感じられないこともない。なにしろ部屋の中には机のほかには何もないんだからね。
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そこで吉見はしごは自分のじいさんが建てたと同じような家に住んでいる人間を捜すことにしたんだね。その駅員がやったと同じようなやりかたをして。
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そうなんだ。
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でもどんな文句でさがしたんだい。吉見はしごは自分の家がクレオメディス建築商会が建てた家だと云うことがわかっていたのかい。
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もちろん、彼はそのことを知らなかったよ。でも自分の家が明治三十年前後に建てられた変な家だと云うことは知っていた。それでそのホームページにアクセスすると、閲覧者が伝言を自由に書き込める欄があったから、吉見はしごはそのことを書き込んでいった。自分が明治三十年前後に建てられた変な家に住んでいることを。
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自分の家が六角形の木製で小学校のプールが二つぐらい入れるくらいの大きさで、家の中に、いくつもの六角形の部屋があって、その壁際にはなぞなぞ本がぎゅうぎゅうに詰め込まれた本箱で囲まれていると云うこと、それにその家が明治三十年ぐらいに建てられたと云うことをね。
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そうなんだ。そしてその家が何故だか、土地附きでも売れないと云うことも書き加えておいたんだ。
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それで返事が来たのかい。
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給食センターに出勤する前、家に帰って来てからと吉見はしごはそのホームページを見ることが日課になっていた。その返事が来ることを楽しみにしていたんだ。そうすればじいさんが一財産得た秘密を解くことが出来ると思っていたんだな。
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それで返事は来たのかな。
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そのホームページに返事が来たのは二週間後だったよ。返事と云っても吉見はしごの家に返事が来たと云うわけではないよ。そのホームページに彼の人捜しに呼応して返事が書いてあったんだ。
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それはどんな文面だったんだ。
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返事を出したのはMOEKOと云う名前の女の子だった。その返事には自分も変な家に住んでいると云うことから始まっていたんだ。
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変な家ってどんな家なんだい。
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自分の家は外見がお墓のようで、四階建てになっている。明治時代に建てられた家なのに中にはエレベーターが附いている。そのエレベーターは明治時代に建てられたものだが一度も故障したことはない。それで家族は二階から上の階を生活に使っているんだ。父親はその家のことをひどく嫌っていて、売ろうと思っているのだが、売ることも出来ない、不思議な家なんだと云う内容なんだ。
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それってもしかしたら、あの鉄板焼き屋のコックの家じゃないの。
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そのとおり。雑魚田俊光の家だよ。そのホームページに返事を出したのは娘の萌子だよ。ーーーーーーーーーーーーーーー
娘の萌子がそのホームページを見ていたんだ。
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そうなんだ。
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もちろん、吉見はしごはそれに返事を書いたんだろう。
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もちろんだよ。それを見た、その晩に返事を書いたよ。自分はある給食センターで御飯を炊くことを仕事にしている。両親はいない。自分のじいさんが今住んでいる家を建てた。自分はこの家が好きでない。そしてどんな人間がこの家の設計から普請まで行ったのかは知らない。このメールを書いた人は返事を下さい。君のうちのことをもう少し教えて欲しい。するとまた返事が来たんだ。
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私の家はA墓地の裏手の方にあるんですが、そんな都心の一等地に家が建っているのに何故か土地も家も売れないんです。私自身は港区にある女子校に通っていましたが、今年の春に卒業してデザイン会社に就職しています。デザイン会社に就職したのは絵とか、描くのが好きだからです。タレントの誰に似ているかと聞かれたら、****に似ていると答えています。
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****って、知らないなあ。
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確かに、雑魚田萌子は****に似ているよ。吉見はしごはそのタレントが好きだったんだ。彼は萌子にすぐに興味を持った。好きな映画だとか、音楽だとか、お互いに情報をメールでやりとりしたんだ。
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吉見はしごは萌子に会おうと思ったんじゃないのかい。
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もちろんだよ。数回のメールでやりとりの後で吉見はしごは雑魚田萌子と千鳥が淵で会う約束をした。しかし、萌子の方は自分の素性を知られることを用心していたから、彼女自身の家の電話番号は教えなかったんだ。しかし、吉見の電話番号は萌子の方は教えられていた。千鳥が淵のボート乗り場で彼女は吉見を待っていた。それらしい人物が来ると彼女は吉見の携帯に直接、電話をかけたんだ。すると向こうの方にいて、小さくなっていた若者の姿が萌子のかけた電話に反応してポケットから電話を取り出した。萌子は吉見はしごにわかるように手を振った。すると吉見は振り返って、萌子の方に小走りで走って来たんだ。
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それがふたりのはじめての直接の遭遇かい。
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そうだよ。
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吉見はしごは萌子をはじめて見て、すっかりと気に入ってしまったんだ。萌子が自分自身をタレントの****に似ていると言ったのはあながち誇張ばかりだとも言えなかったんだ。タレントの****に似ているばかりでなく、彼女自身のあどけなさのようなものの魅力もあったんだ。吉見はしごの方も一寸見には人気のある水泳選手に見えないこともなかった。ちょうどボート乗り場でふたりが出逢うと云うことは吉見はしごが彼女を誘って一緒にボートに乗ろうと云う魂胆もあったからだよ。吉見はしごは彼女を誘ってボートに乗り込んだ。ボートは乗り場からふたりを載せてするすると千鳥が淵のなかほどに出て行った。公園なんかのボートに乗った人間は誰でも経験することだけど、陸の方から見ていて、あそこに行ってみたいと思ってもいけない場所にボートに乗っていると行くことが出来るよね。一番わかり易い場所は池の中央なんかに作られている、中之島なんだけど、池の周辺だって陸の方からは行けない場所だってボートに乗って池の方から行くと、行くことが出来るだろう。ふたりは千鳥が淵のそんな場所をボートに乗って散策したんだ。それから池の中央にボートを持って行って、オールを漕ぐ手をとめて池の中央に留まったんだ。ふたりはすっかりとうち解けたんだ。
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よく、ボートなんかに乗って不安定感を与えたり、理性を失わせるような冒険と云う要素がくわわると、そんな精神状態になることもあるよね。
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まあ、そういうことだ。ふたりは自分達の住んでいる家について話し始めたんだよ。
私の住んでいる家も変な家だけど、あなたの住んでいる家も随分と変な家なのね。六角形をしているの。わたしの家はコンクリート製で四階建てよ。でも玄関は木で出来ていて、葡萄の立派なレリーフが附いているの。そう、僕の家には英語のBと書かれたレリーフがついているよ。それに君の家にもないものが僕の家にはあるよ。誰が僕らの家を建てたんだろう。わたしにはわからないわ。死んだおじいさんがその家を建てたと云う話しを聞いたことがある。君の家もそうかい。僕の家も死んだじいさんが建てたんだ。建築費を出したと云うことなんだけど。そのじいさんのことだけどね。じいさんは大量のなぞなぞの本を僕の家に残したんだ。君の家にはなぞなぞの本とかは残っていないなかい。なぞなぞの本なんかは残っていないわ。でも死んだおじいさんの連れ合いである、おばあさんはまだ生きていて、わたしの家の四階に住んでいるの。でも彼女、若い頃のことは何も言わないの。言うことと言えば母親の作ってくれる御飯がまずいと云う文句ばかりよ。その上、わたしの家族、同じ家に住んでいるんだけど、普段からほとんど交流がないのよ。わたしは二階に、両親は三階に、そしておばあちゃんは四階に住んでいる。でも、ほかの人達の部屋へ行ってもなぞなぞの本なんか残っていないわ。どう、僕の家に寄ってみない。吉見はしごは萌子を自分の家に誘ったんだ。
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危ないじゃないか。そんな変な家にひとりで行くなんて。
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僕もそう思うよ。でもふたりとも恋人がいなかったんだ。だから道徳的にはどうと云うこともないと思うよ。ノープロブレームだ。ふたりが吉見はしごの家の前に立つと、萌子はびっくりした。その家が自分の家に劣らず変な家だったからだ。平屋建ての木造で、そのくせ六角形をしていて、小学校のプールがまるごとふたつぐらい入る大きさをしている。まるで西部の騎馬隊の陣地のようだった。家のまわりは全く世話をされていないので草は伸び放題のぼさぼさになっている。ここが僕の家なんだよ。そう言って吉見はしごは玄関を開けると萌子を家の中に招待したんだ。
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萌子もびっくりしただろう。だって部屋はみんな六角形なんだろう。
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第三回
訪問
そうなんだ。その上に玄関から家の中に入ったらすぐに六角形の部屋になっていて、部屋の周囲は本箱になっていてなぞなぞの本がぎっしりと詰め込まれているんだ。萌子ははしごに聞いたんだ。これがあなたが言っていたなぞなぞの本なの。そうなんだ。死んだ親父は朝から晩まで何もしないでこの本を引っ張り出してはこの本を読んでなぞなぞを解いていたんだよ。それも子供の解くようななぞなぞをね。そう言ったはしごの表情には苦々しいものがあったんだよ。随分といっぱい、なぞなぞの本があるのね。この家の中にある部屋中すべてにこんななぞなぞの本があるんだ。次の部屋に入ってみるかい。この扉を開けると廊下に出られると云う仕組みになっているんだ。廊下と云っても大小の六角形を組み合わせたときに出来る多角形の空間に過ぎないけどね。つまり六角形の部屋を結ぶ空間と云う意味しかないのさ。そう言ってはしごは廊下に出た。そこはもちろん単なる多角形の空間だよ。その空間には三つドアがついている。どのドアを開けたらいいか、いつも悩んでしまう。このドアを開けたらどこに行くか、ときどき勘違いをしてしまうことがあるんだ。でもたぶんここだよ。吉見はしごは自分で見当をつけたドアを開けたんだ。すると中には部屋の中央に木製のテーブルが備えられていて、そのテーブルも六角形なのだが、コップやコーヒー茶碗が二人分置かれ、白いホーローびきのコーヒーポットも置いてある。瀬戸物の砂糖壺も置かれていた。そしてテーブルの真ん中には大きな皿が置かれていて、外側を焼いて三角に切ったサンドイッチが皿の上方からラップがかけられて置いてある。ラップの内側に水滴がついている。すっかりホットサンドウィッチはさめてしまっているけど、また焼き直すためにあまり焼きすぎないように注意してあるんだ。他の部屋と同じようにその部屋の周囲にはやはり本棚が置かれて、なぞなぞの本がぎっしりと詰め込まれていたんだ。この食事の用意をしたのはもちろん吉見はしごだったんだな。吉見はしごは今日、萌子と会う予定が立ったときから、この用意をしていたんだ。おいしい御飯を炊くことが出来るんだから、こんなことをするぐらい朝飯前だったんだよ。まあ、すごい。これをはしごさんが作ったの。そうだよ。まるで****みたいよね。萌子はファミリーレストランの名前を出した。そのときこの六角形の食堂の柱にかけてある時計が十二時の鐘を鳴らしたんだ。するとはしごはその時計を仰ぎ見たんだ。
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そのことになにか意味があるのかい。
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意味があるんだよ。はしごは萌子に言ったんだ。食事をする前にお風呂に入らないかい。お風呂ってどこにあるの。こっちだよ。はしごは六角形の部屋の一角にあるドアを指し示した。その食堂の壁の六枚あるうちの三つはドアになっていて他の部屋につながっていたんだ。一つは厨房につながっていて、もう一つはなんでもない他の部屋に繋がっている。そしてもう一つは風呂場に繋がっていたんだ。はしごがそのドアを開けると中には浴槽があった。その浴槽と云うのもすごくへんちくりんなものだった。
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どんな風にへんちくりんなんだい。
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和室の畳敷きの部屋の中に杉の木で作られた浴槽があるんだよ。その中にお湯が張られているんだ。ここが僕の家のお風呂なんだよ。浴槽は二メートル四方の正方形をしていたんだ。浴槽の外側にはさらに三メートル四方の板の間が続き、その外は畳敷きになっていたんだ。浴槽の中はうぐいす色のお湯がゆらゆら揺れて湯気が立っている。ここに入るの。萌子は乾いた声でそう言った。僕も入る。吉見はしごはそう言ったんだ。萌子もこのぐらいの事はあるんではないかと期待をしてはしごの家に来たんだな。
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でも突然、家に招待してお風呂に入れさせるなんておかしいじゃないか。
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それが吉見はしごの家の伝説なんだよ。はしごの死んだ母親が言っていたんだ。自分がこの家に始めてやって来たとき、柱の時計が十二時の鐘を打った。すると浴室のドアが開けられて、風呂の準備がされていた。そしてその風呂に入った。それがこの家の嫁になるための手続きだった。と死んだおばあさんに聞かされた、と。そして同じようにこの風呂に入ったんだ。
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じゃあ、萌子がその風呂に入ると云う意志を示すと云うことははしごと結婚すると云う意志を示したことになるんだ。
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そうだよ。はしごの家の風呂に十二時に入ると云うことはそんな力があるんだ。
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そう。そう云った不思議な力があるんだ。それで萌子の方はいいけどはしごの方はどうなったんだい。ふたりでその風呂に入ったのかい。
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そうだよ。
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萌子の両親は萌子がはしごと結婚することになっていると知っているのかい。
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知らない。
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吉見はしごは自分の家がどんな建築屋に建てられたとわかったのかい。
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明治三十年前後にものごころのついていたのは、雑魚田俊光の母親しかいなかったんだ。雑魚田俊光の母親は夫よりも三十才も若かったんだ。母親が結婚したのは夫が四十八で妻が十八だったからね。そのことについて知っているのは萌子のおばあさんしかいなかったんだ。でも、そのことについて萌子のおばあさんは一言もしゃべったことはない。話すことと云えば、自分の嫁の作る飯がまずいと云うことしかなかったんだからね。それに四階建ての変な家にそれぞれの階に住んでいてふだんはあまり接触することもなかったんだ。吉見はしごはそのおばあさんなら、ふたりがそれぞれに住んでいる変梃な家の秘密を知っているかも知れないと思い、萌子の家に行くことにしたんだ。風呂から上がって一緒に食事をしながらはしごは萌子に聞いたんだ。君の家に行ってもいいかい。いいわよ。でも変な人たちばかりだから驚くかも知れない。そうだ。***のドーナツを買って来て、おばあちゃん、あれが好物なの。おばあちゃんには何か餌を買って来なければ会ってもくれないわ。
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それではしごはドーナツを買って萌子の家に行ったんだね。
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そうだよ。近所の駅にあるドーナツ屋でみやげのドーナツを買って地下鉄の駅に乗り込んだ。乗る線路は当たっていたんだけど萌子から聞いた地下鉄の降りる駅を一つ間違えて、違う駅に降りてしまったんだ。そこで歩いている人に萌子の家の住所を聞くと墓地の裏の切り通しを抜けて行かなければならないと言うんだ。その切り通しと云うのも自動車がびゅんびゅんと走っていて、歩道なんかも細くなっていて右側の歩道を歩いて行くと途中で道が途切れるから左側の歩道を歩いて行かなければならないと言われたんだ。はしごが聞いた道を歩いていくと確かに細い歩道で横を自動車がびゅんびゅんと走っていく。昔ここを舞台にしたカリエスの少年が出てくる小説が書かれた場所だということがはしごの頭には突然にちらりとわいたんだ。でもすぐに消えてしまったけどね。確かに表通りは日本でも有数な繁華街として有名な場所だと云う事実はあるわけだけど、裏の方へ行くとたしかにそんな昔の空気が感じられなくもなかったんだ。そして、その歩道を抜けると坂になっている場所にただスペースを取って遊具が二、三しか置いていない公園があったんだ。その公園の裏の坂のさらに急になっている場所にお墓のような四階建てのコンクリートで作られた建物があったんだ。全体は灰色をしているのに、一階には木製のドアがついていて、そのドアには葡萄のレリーフがついていたんだ。そのドアを静かに開けると中は小さいけれど床一面が釣り堀の池のようになっていてその池の中には魚が泳いでいる。オリーブグリーンの藻の下で魚の泳ぐ姿が見え隠れしている。その池の向こうにはもう一つ部屋があった。萌子から聞いた話によると、そこが食堂らしいんだ。そこで雑魚田家の全員が食事をとるらしい。食堂の横一面には大きなエレベーターらしいものがついていて、それを使って上の方の階に行くらしい。食堂の中はガラス窓がついているのでその中が見えるんだけど、テーブルなんかが置かれている。屋内にある池の真ん中には橋がついているので食堂のある場所、つまり、エレベーターの前まで行けるようになっている。橋と云っても二メートルの長さしかないんだけどね。玄関のドアを開けても中からはなんの返事もないのではしごは下を泳いでいる魚を見ながらその橋を渡って、食堂の中に入った。そこは家庭の食堂と云うよりも大衆食堂のような感じだった。テーブルなんかも鉄パイプを曲げたものにデコラ板が張られていたり、椅子もそんな感じだった。テーブルの上には割り箸さしが置かれて割り箸がぎゅうぎゅうにさされていたんだからね。横にはところどころ塗装のはがれた、クリーム色のエレベーターのドアがある。はしごがスイッチを押すとエレベーターのドアが開いた。はしごはそこに乗り込むと数字の二を押したんだ。萌子がじ分の部屋は二階だと言ったから。はたしてエレベーターのドアが開くと大きな一つの部屋が目の前に現れたんだ。二階全部が仕切りもなく、一つの部屋になっている。八畳くらいの大きさの部屋だろうか。部屋の片隅にはベッドが置かれ、女の子の部屋らしく、テレビや鏡台、衣装箪笥が置かれている。それらが小綺麗な意匠を施されていた。女の子の遊び道具で人形の家と云うものがあるだろう。人形と云ってもハムスターやウサギの人形なんだけどね。家の半分が切ってあってその内部が自由に見えるようになっている家だよ。吉見はしごはそのエレベーターから降りたんだ。もちろん部屋の中には萌子がベッドに腰掛けて待っていたんだ。
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吉見はしごはもちろん、ドーナツを買っていったんだよね。
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もちろんだよ。
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そのドーナツでおばあさんを釣って、その家の秘密を聞きだそうと云う魂胆なんだよね。しかし、ずいぶんと安いもので言うことを聞くおばあさんだな。
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人間の味覚と云うものが年をとるにしたがってある部分だけが残ると云う話しを聞いたことがないかい。だから、ある調味料だけを料理に使えばいいと云うことさ。欲望もある一つの部分だけに集約されてしまうと云うことがあるかも知れないさ。
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そんなものかね。
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(小見出し)母親
そんなものだよ。萌子は腰掛けていたベッドから降りるとはしごの方に駆け寄って来た。そのベッドと云うのもふかふかでフリルの敷布がかけられているのさ。ふたりは顔を合わせると同時にそのベッドの上で深いキッスをかわした。今日はおばあさん、いるのかい。いるわ。聞きたいことを全部教えてくれるだろうか。わからない。変なおばあさんだからおどろかないでね。でもとにかく、おばあさんの部屋に行きましょうよ。御飯を食べたあとはいつも機嫌が悪くなるんだから。おかあさんの作ってくれた御飯がまずいって。食事前におばあさんの部屋へ行かなければ。萌子に促されてはしごは再び、エレベーターに乗り込んだんだ。そして、四階のボタンを押すとエレベーターは静かに上方に上がり始めた。はしごが三階のボタンを押そうとすると萌子が止めたんだ。そこは両親が住んでいる場所よ。停まらないわ。両親が内部から停止無効のスイッチを押してあるから。萌子の言葉どおり、エレベーターは三階を素通りして、四階に停まってドアがあいた。エレベーターのドアが開いてはしごの目に飛び込んで来たのはいろいろな色をした布の山だった。その布に埋もれるようにして九十才近い老婆が縫い物をしていたんだ。その中の壁際に日常の用をたすような茶箪笥が置かれている。その上にすいかの二倍ぐらいの大きさのある地球儀が置かれていたんだ。ふたりがエレベーターから降りるとその老婆はじろりとふたりの方を見たんだ。
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それが雑魚田俊光の母親なんだね。でもなんで色とりどりの布に囲まれて生活しているんだ。
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それが彼女の趣味でもあるし、仕事でもあるんだ。彼女は自分で縫った服を売ってお金も稼いでいたんだ。
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もちろん、はしごは自分で買って来た、ドーナツを老婆に差し出したんだろう。
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そうだよ。おばあちゃん、縫い物の手を少し休めてよ。すると老婆は萌子の方を見てじろりと睨んだんだ。ふつう年寄りにとって自分の孫と云うものは可愛いものだろう。しかし、雑魚田家にとってはそんな常識も通じなかったんだな。これが。出して、出して、萌子がそう言うので、はしごは手に持っていたドーナツをおばあさんに差し出した。するとすんなりとおばあさんはそのドーナツを受け取って、むしゃむしゃと食べ始めたんだ。おばあさん、いっぺんにあんまり食べないほうがいいわよ。おなかを壊すから。萌子、そこに突っ立っていないで、お茶を入れておくれ、そこに魔法瓶と湯飲みがあるだろう。萌子はお茶を入れながらおばあさんに言ったんだ。おばあさん、おばあさんが死んだおじいさんと結婚したとき、いくつだった。十八だよ。そのとき、この家はすでに建っていたの。建っていたよ。すでに建っていたこの家にわたしは入って来たんだからね。この家、誰が建てたの。なんて云う会社が建てたのよ。するとおばあさんは再び、無愛想な顔になったんだ。萌子、あんたのお母ちゃんはなんだよ。まずい飯しか作れないで、年よりの最大の楽しみは食事なんだからね。まずい飯しか、あんたの母ちゃんは作れないんだよ。わかっているかい。だから、わたしゃ、あんたの母ちゃんと俊光が結婚すると言ったとき、うんと反対したんだよ。萌子はいつものことだと云うようにうんざりした表情をしたんだ。お前の母ちゃんがうまい飯を作れるようになったら、教えてやるよ。帰った。帰った。おばあさんはドーナツを抱え込むと萌子とはしごをエレベーターの方に押しやった。仕方ないのでふたりはエレベーターに乗って階下に降りて行ったんだ。
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じゃあ、その家の秘密も吉見はしごの秘密も分からなかったんだ。
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そういうことだよ。
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でも、どうなるの。萌子ははしごと結婚するつもりなのかい。
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そうだよ。だから、萌子ははしごの家で奇妙な風呂に入ったんだし、はしごの方でもそのつもりだったから自分の家の風呂に入れたんだよ。
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じゃあ、あとは結婚式だな。結婚式がなくても同棲と云う手もあるけど。
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でも、吉見はしごの給料はものすごく安いんだ。あんなにおいしい御飯を炊ける技術を持っているのにかかわらずだよ。それははしごが給食センターで使っているステンレス製の釜にその理由があってね。その釜を使わなければはしごはおいしい御飯を炊けないんだよ。そのステンレス製の釜は市販されていないし、****給食センターだけがその釜を使う権利を持っているんだ。だから、その釜を使えない吉見はしごは羽をもぎとられた鳥と同じなのさ。
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じゃあ、今の給料でははしごは萌子と結婚出来ないのかい。
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なにしろ、父親のあとをついだと云っても、小学校のプールが二つも入るような家に住んでいるんだよ。その家の維持費だけでも大変なものだよ。ガス代だって水道代だって電気代だってかかるんだから。
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はしごにはなんの解決策もないわけかい。
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その経済的な解決のために、吉見はしごは横浜の倉庫街を歩いていたんだ。もちろん、目論見があってのことだよ。自分の店がつぶれたり、中国あたりから密航した腕の良い料理人がよくうろついていると云う場所があるんだ。料理人はみんな知っている場所だけどね。闇の料理界と云う場所があってそのスカウトがこの倉庫街をうろついているのさ。腕のいい料理人を求めてね。そこに雇われると、ふつうに勤めているのの何十倍もの給料を貰うことができる。吉見はしごはそれを狙っていたんだな。
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なんだよ。その闇の料理界って。
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いつも、とびきりの料理を食べているのに、そのことを世間に知られると困る人間たちがいるじゃないか。たとえば、***や,***と云う人達のことだけど、いつも自分たちは国民のことを考えてこんな耐乏生活を送っていると云う姿を見せていなければならない人達が。
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いる、いる、そう云った人達が。
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そう云った人達が秘密で入る料理屋があるんだ。そこで吉見はしごはアルバイト的に働こうと思ったのだな。吉見はしごは絶望と哀愁、宿無しの悲しさを漂わせながら、運河の中を泳いでいる水鳥を見ていた。もちろんそれは演技だけどね。すると、色っぽい三十年増が吉見はしごの背後に近寄って来たんだ。お兄さん、日本人ですか。そうだよ。ちょっと見たところお兄さん、料理人みたいだけど、そうじゃない。そうだよ。すると女は意味ありげに自分の耳にぶら下がっているイヤリングを指先でいじった。そして運河の前のガードレールに腰掛けてはしごに話しかけたんだ。なんでこんなところにいるの。二日前まで、福松で働いていたんだけど、福松がつぶれてしまって、今は無職なんだよ。福松と云うのは有名な料理屋だよ。そこの主人が詐欺にあって店を一週間前につぶしてしまったと云うことは最近のニュースだったんだ。福松と云えば有名な料理屋じゃないの。あんた、そこで働いていたの。どう、今は働く場所も無いんでしょ。週に二日も働けばいいお金になる場所があるんだけど、あんた、働いてみる気はない。そう言いながら女はバッグの中からコンパクトを出してルージュを塗り始めた。
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その女がそのスカウトだと云うわけなのかい。
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そう云うことだよ。あんた、福松でなにをやっていたの。御飯炊きだよ。福松に出て来る御飯はうまいことで有名だった。どう、同じ仕事で何倍もの給料を貰えるのよ。うちに来てみない。吉見はしごはそれが目的で演技をしていたんだから、多いに興味を示したんだ。じゃあ、こっちに来てもらえる。女につれられてはしごはワゴン車のある場所に行ったんだ。ここで目隠しをして、運転手はサングラスをして、自分が誰であるか、悟られないようにしているふうだったんだ。吉見はしごがワゴン車の後ろの座席に乗ると車は発車したんだ。そして一時間も走ると目隠しをされながらもはしごは最後は坂道を下っていくような感覚を覚えた。車から降ろされて吉見はしごは細い廊下のようなところにつれて行かれて目隠しをはずされた。廊下の天井のところにははだか電球がとびとびについていてギロチンのようにゆらゆらと揺れている。目の前には倉庫街で声をかけてきた女が立っていた。御飯を炊くのが得意なんでしょう。この奥の方にその準備が出来ているから、実際に御飯を炊いてみて。契約をかわすのはそれからよ。そう言って女は契約書をひらひらと揺らしたんだ。女ははしごの御飯炊きの手並みを見るつもりだったんだ。そして吉見はしごが奥の方に行くと実際に厨房が用意されていたんだ。その上、自分がふだん使っているのと同じステンレス製のおかままで用意されている。控え室の方で女は待っているようだった。そこで吉見はしごはいつもと同じようにして御飯を炊いた。するといつもと同じような満足する出来上がりで御飯が炊けたのさ。そのあいだ女の待っている部屋の方では音楽が聞こえたからFMラジオでも聞いていたのかも知れない。厨房のところには食器も用意されていた。茶碗にその御飯をよそって控え室に座っている女のところに持って行ったんだ。女は社長が座るような大きな椅子に身体を深々と埋めて座っていたんだ。吉見はしごがその茶碗を持ってその女に差し出すと女は座ったままで茶碗を受け取った。そして一口その御飯を口に運ぶと茶碗を横のテーブルに置いて了解した。いいわ。合格よ。しかし、はしごには納得出来ない部分があった。それは自分の炊いた御飯がどこの誰か知らない人間に食べられると云うことではない。いつも自分が使っているステンレスの釜がどうして用意されていたかと云うことなんだ。
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それはもっともな疑問だよ。
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するとその女は答えたんだ。あなたが福松に勤めていないと云うことは知っていたのよ。あなたは****給食センターで働いているんでしょう。そのことは問題ではないわ。最初からわたしたちはあなたの正体を知っていたの。だから、ここにふだんあなたが使っている釜も用意出来たのよ。そう言って、女は不思議めいて笑ったんだ。それから意味ありげな瞳の色を輝かして、あなた、いい身体をしているのね。ここには誰もいないわ。わたし空き家なの。少し遊ばない。女はそう言って両手で吉見はしごの片手をつかんだんだ。まるで海の底に住む魔物が泳いでいる人間を海の底に引っ張り込むように。吉見はしごは女の身体の重さにバランスを失って女の上に覆い被さった。すると、バタンと扉がしまる大きな音がして、ふたりが入り口の方を見ると、中年の男が憤りを顔に現して立ちつくしていたんだ。芹名、なにをしているんだ。すると女は馬鹿にしたような顔をして男の方を一瞥したんだよ。吉見はしごはその男が自分と同じにおいをしていると云うことを直感した。つまり、その男も自分と同じようにこの女に雇われた人間なのだろうと云うことを。しかし、その男がこの女と肌を合わした回数ははるかに多いのではないか、このふたりの、女の方がたんなる生理的欲求だとしても、少なくとも男の女に対する感情には複雑なものがあるのではないかと直感した。しかし、そこに長居は無用だった。吉見はしごはただお金が目当てなだけだから、そのあとにこの女と男の間に何があるのか、興味がなかったので帰ると告げると、気まずい空気がそこに残ったままなのを感じながら、その部屋を出て行きワゴン車を運転していた運転手が彼に目隠しをして車に乗せられ、また車は走り出し、車から降ろされたのは恵比寿の駅の前だったんだ。
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まあ、それで吉見はしごは給料も倍増されて萌子と結婚出来ると云うだんどりになったのかい。
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そうさ、それではしごは婚姻届けの用紙まで用意していたんだ。
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吉見はしごのじいさんの残してくれた遺産と云うのはそれだったんじゃないのかい。なぞなぞを数問解くことによっ、萌子と知り合いになることができたのだしね。そして結婚もすることになったならね。これもひとつの財産だと言えないこともないよ。そうなってからの吉見はしごの様子はどうなったんだい。
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明治四十年代
あの奇妙な家の中のところどころに萌子のもので一杯になったんだよ。はしごの家の寝室はやはり六角形をしていたんだけれど、六角形の部屋の一辺にぴったりくつっけるようにして四角なベッドが置かれていたんだ。だから、頭のところと、足のところの壁は横の壁とは百二十度の角度があったんだけど、その頭のところの水平になっていない壁のところに萌子の写真が額縁に入れられて飾られていたのさ。萌子が入ったお風呂場にも萌子の写真が飾られていたんだ。そこの萌子の写真には湿気で写真がだめにならないように防水用のラミネート加工がされていたけどね。はしごはがらにもなく、旅行などに行くと、木製の人形なんかをよく買って来たのさ、動物の猿とか、犬とか、うさぎなんかの人形なんだけどね。そんな人形がはしごがパソコンを買って来て置いてある部屋に置かれていたんだ。それらの動物たちに萌子なんて云う名前をつけて、呼び掛けたりしていたんだよ。それからはしごの家には衣装だんすの部屋と云うのがあったんだよ。そこもやはり六角形のかたちをした部屋なんだけどそこには衣装だんすがたくさん置かれていたんだ。そこにははしごの服なんてほとんど入っていなかったんだが、はしごはわざわざ女物の洋服屋に行って萌子のネグリジェまで用意していたんだ。
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萌子がはしごの心をすっかりとつかんでしまったと云うことなのか。はしごの方の心の変化はそれでいいとして、萌子の方はどうなったんだい。
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こんなことまで話していいのかな。萌子はあの四階建ての家の二階に住んでいると云ったじゃないか。あの部屋には前にも言ったようにフリルのついた女の子のものにしては大きなベッドがついていてはしごと知り合う前は夜が来れば萌子は安らかな眠りについていたんだよ。それがはしごと知り合ってからはあれを始めたんだよ。
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あれって。
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自慰行為だよ。
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自慰行為。
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英語で言うとオナニーだ。萌子の部屋にはエレベーターが停止しないようにするスイッチがある。夜中の一時を過ぎると萌子の部屋の外に見えている街路灯が消えるんだ。するといままでカーテンを通して萌子の部屋に入ってきた光もなくなり、部屋の中はすっかりと暗くなる。部屋の中に入ってくると云うのは月の光だけだ。するとその光で部屋の中はぼんやりと見えるだけなんだ。萌子はエレベーターの停止禁止のスイッチを入れる。すると両親もおばあさんも萌子の部屋には入って来られなくなるし、萌子がなにをしているのかも伺い知ることが出来なくなる。そこで萌子の儀式が始まるのだよ。萌子は静かに服を脱ぎ始める。まず左腕をとおっている服の袖を抜く、それから頸を服から抜く、そして今度は右腕を服から抜く、そして波打つ萌子の腹部が見える。それからブラジャーをはずし、上半身は何も身につけていない状態になる。そしてベッドにこしかけながらズボンとパンツを脱ぐと萌子の張りのある大腿部はあきらかになる。この状態で萌子は全裸なんだよ。彼女のひょうたんのような身体の線が宵闇にうかび上がる。ベッドに腰掛けていた萌子は後方に静かに倒れるのだ。そして静かに目を閉じてはしごの顔を思い浮かべながら、指先はまずおっぱいに、そして乳首へと向かい、愛撫する。右手はかわるがわる両方の乳首を刺激しながらも、左手は自分の陰部に向かい、小さくでっぱったところを指先でふれたりはなれたり、愛撫を繰り返し、はしご、はしごと熱病病みのように繰り返すんだよ。
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萌子もはしごのことが好きなんだ。それにしても、はしごの家にあるなぞなぞの秘密は結局、解けなかったのかい。父親の穴子が半生をかけて、取り組んでいたなぞなぞの秘密がはしごと萌子を結びつけるきっかけだけだとしたらつまらない気持ちがするよ。
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それで萌子はあることを思い出したんだ。数年前の自分の家の大掃除のときばあさんの部屋を掃除していたら新聞のスクラップの束を棄てるように言われたのに忘れてそのままにしていたことがあったのだ。その忘れたわけと云うのも掃除をしている途中でその新聞のスクラップの記事を読んでいるとき自分の家のことが載っていたので最初の数行を読んでいるうちにほかの仕事があってほっぽっておいた。部屋の隅の倉庫のようなところを見ると確かにそのときの新聞がまだ置いてある。早速、萌子ははしごに電話をかけると飛んで来たんだ。でも何度も萌子の家に来ているのだけどはしごは両親に会ったこともなければ両親の部屋に行ったこともないと云うのは不思議なものだよ。でも、とにかく、はしごは萌子の部屋に行ったんだ。はしご、見て、わたしたちの不思議な家のことが載っている新聞があったのよ。萌子はそのスクラップの新聞をひろげたんだ。題は東京の奇妙な家と云うことになっている。新聞の日付は昭和四十二年になっている。そして新聞にはふたりの奇妙な家が写っていて、それぞれの家族が並んで写真に写っているのだ。はしごは自分の家の前に写っているのがまだ三十才ぐらいの父親の吉見穴子だと云うことがわかった。その隣りに写っている年よりのことだが、はしごは知らないが祖父と祖母だと云うことがわかった。はしご、見て、見て、わたしの家の前に写っているのはお父さんとお母さんよ。おばあちゃんも写っている。そこでふたりはその記事を読んだんだ。
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ふたりの家のことは誰も知らなかったんじゃないのかい。
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昭和四十年頃にはまだそれを知っている人間もいたんだな。
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それでその記事にはなんと書いてあったんだい。
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日本でも珍しい明治時代に建てられた個人向け近代住宅。
この東京の郊外に建てられた住宅は驚いたことに明治の近代化の始まったばかりの明治三十年に建てられた。
建てたのはフィンランド人の建築家で彼が日本にクレオメディス建築商会と云う会社を設立して建てたものだった。ほかには同会社は七軒の同じような奇妙な建物を建てたのだ。
そうか、クレオメディス建築商会と云う会社がわたしたちの家を建てたのね。ここに写っているのはうちの父親だわよ。まだ若い頃だけどきみの父さんに聞いたら、そのクレオメディス建築商会と云う会社のことがわかるんじゃないか。きみの父さんにその会社のことを聞いてみよう。そういうことでふたりは萌子の父親にその会社のことを聞いてみることにしたんだ。萌子の部屋にはインターホンがついていて三階、四階と話すことが出来るようになっていたんだな。それで萌子は三階の自分の父親の部屋のインターホンに話しかけたんだ。父さん、聞きたいことがあるんだけど、今そっちの方へ行くから。するとインターホンのブザーが三回なったんだ。上がって来てもいいよと云う返事だよ。そこでふたりはその新聞のスクラップを持って三階に上がって行ったんだ。
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そこでなにかあったんだ。見も知らない人間の死体が転がっていたとか。
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そんなドラマチックなことじゃないよ。雑魚田俊光と吉見はしごとは初対面じゃなかったんだな。
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どこで出逢ったんだい。秘密の美食会の面接でね。雑魚田俊光はその芹名と云うおんなに惚れていたんだ。そこではしごを見た雑魚田俊光はかんかんになってはしごをその家から追い出したんだ。
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自分は妻がいるのにずいぶんと勝手じゃないか。
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それがこの変な家に住んでいる人間たちの変わったところなんだよ。雑魚田俊光の妻は食事を作るだけのロボットのような存在だったんだ。その期待も大きいから、おばあさんはいつも御飯がまずい御飯がまずいと繰り返していたのさ。はしごの方はほうほうのていでそのお墓のような家を出て来てから公園の遊具に座って萌子の住んでいる二階を見ていると墓地のほうから誰かが歩いてくる。よく見ると萌子のおばあさんだったんだ。おばあさんはいやに着飾っていた。何かの集会に出掛けた帰りのようだった。おばあさん、この家も僕の家も誰が建てたかわかったよ。クレオメディス建築商会と云う会社でしょう。するとおばあさんははしごの家に行こうという。一緒にはしごは萌子のおばあさんと一緒に家に帰ると彼女は家の中に上がると言う。それではしごは彼女を自分の家に入れた。そして萌子のおばあさんは知らないうちに家に帰ったんだ。そしてあとで気付いたことだけどあのなぞなぞの本が一冊確かになくなっている。相変わらす萌子の父親は怒ってばかりでふたりの結婚を許さない様子だし、自分の呪われた家の維持費は大変なものだし、つくづくこの家に住んでいていいことはなかったと思う吉見はしごだったんだ。部屋が変なふうに迷路のように入り組んでいて、家を出るとき入学試験に失敗したことも、火災の原因になりやすいから家を建て替えろと近所の人間にやんやと言われてノイローゼになったことも、いろいろないやなことが思い出されたんだ。
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なんでもかんでも自分の住んでいる家のせいにするのはどうかな。
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とにかく、そう思ったんだよ。それでいつだったか、萌子とはじめてインターネット上で会話を交わしたホームページにアクセスするとインターネット上の噂話しで不思議な家に住んでいるおばあさんが大金を手にした話しが載っていたんだ。そのおばあさんは同じような不思議な家に行って本を一冊持って来たことによってその好運を手に入れたと云うことになっていた。吉見はしごはすぐに気がついたんだ。それが萌子のおばあさんであり、その本と云うのが自分の家にあるなぞなぞの本だと云うことをね。そこでもしかしたらそのなぞなぞの本には金でも隠されているのではないかと思ったがそう云うこともなかった。そのホームページを見ている直後のことだった。電話が鳴った。萌子からの電話だった。はしご、聞いて、聞いて、街では大変な噂になっているの。あなたの家を買いたいと云う人が数え切れないほどいるのよ。きっとその変な噂につられた人間が欲にかられてそう言っているのだと思った。売ってもいい。そこではしごは自分の家を売った金で新しい自分の家を買ったのさ。でも、その家はやはり奇妙な家だったんだ。萌子もはしごもその柱にクレオメディス建築商会と印が押されているのをしらなかったんだな。

第四回
ふたりのすがた
こんなものでいいかしら。大きな大きな三角の屋根の家の中でふたりが暖炉で暖めた紅茶を飲みながら、話していた。
物語のようにして、自分の中にいる人間の記録を残すなんて、むかしのように編年体で書くほうがいいんじゃないかな。
編年体のほうが読みにくいだろう。
今はなんでも読みやすくしておけと、社長の命令だよ。
まあ、いいさ。こうやって新しい住人を獲得すると言う一例なんだからね。
僕らに見られていると知らずに痴態をくりひろげてくれたよね。
そこへもうひとりが遣って来た。
社長できましたよ。
そう言ったふたりの姿はひとりは木製の巨大な六角形、もうひとりはコンクリートで出来たお墓のようなかたちをした建物だった。

      おわり

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