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【小説】アイツとボクとチョコレート【11話】

11話 癒せない傷


【Side:ミツハ】

「はぁ…………」

 あのモールでの出来事から、ため息をつくのは何度目だろうか。ひょっとしたら私の年齢を越えてしまったかもしれない。ちなみにここでいう年齢とは、20そこそこの人間的見た目年齢ではなく、1000をゆうに超える、ドラゴンとしての実年齢のほうだ。はぁ。

 理由はわからないけど、私はベル様を傷つけてしまった。「恩返しなんていらない」――あれは私のことなど必要ないという意味だろう。自分が気づかないうちに、絶縁を突き付けられるほどのことをしてしまったのだ、私は。

 せっかく綺麗にクリーニングできたのに、ブラウスは持ち主の元に戻れないまま、私の仕事机の片隅を新たな居場所にしてしまっている。
 教室に届けに行くのは、言語道断。絶対またベル様に嫌がられる。家まで届けに行くこともできるけど、ご家族がいらっしゃった場合、どう説明したらいいかわからない。運よくベル様に直接お渡しできたとしても、あまり良い状況が想像できない。

(お気に入りだと仰っていたし、困ってらっしゃるだろうな……)

 自分が動かなければならないのは当然わかっている。だけど起こり得る未来を想像すればするほど、二の足を踏んでしまう。その未来とは、単純に言って、関係の悪化だ。
 私は両手で顔を覆って頬杖をつき、先程から連続3回目のため息をついた。

「まーた、ため息~。てかさミッツー、キャラ変わった?」
「鈍いなあ。これはあれよ、まさしく恋よ」
「おう、来いよ!」
「いやいやボケるとこじゃないから」
「ははは。ま、秋ですもんね~」

 相手は誰だ、ウチの担任か? いや化学のアイツだろう、等々、保健室常連ツートップの2人は好き勝手に話を広げて楽しんでいる。

「でもさー、ガチでため息増えたのってホラ、あれからじゃない?」
「パンケーキ売り切れ事件?」
「それそれ! あの時、誰とモールに行ったか突き止められれば、
 ミツハちゃんの切な~い吐息の真相もわかるんじゃない?」
「それだ! 大正解」

 当たらずとも遠からずな会話に、内心ドキっとする。

「二人とも、そろそろ保健室閉めるよ。お家にお帰り」
「え~、やだ。ウチ今日親が帰ってきてるしー」
「アタシも兄貴まだ夏休み。ウザい、臭い、帰りたくない~」
「ミッツもどうせ帰ったってひとりでしょ?」
「はいはい、わかりました。6時半までだからね?」
「やったー!」

 底抜けに明るい2人だけど、それぞれに家庭の事情を抱えている。それを知っているからこそ、私も折れざるを得ないのだ。それは同時に罪滅ぼしでもある。

(『本当の先生』じゃないんだから、せめてこのくらいはね……)

「ねね、ミッたん」
「ん?」
「ホントはアタシたち、心配してるんだよ? 何かあったら相談してね」
「アタシたちが頼りなかったら、吉武先生とかさ!」
「2人とも……」

 急に熱いものが、胸に込み上げた。涙ぐみそうになるのをぐっとこらえる。

「ありがと。先生、諦めないから」
「……お?」
「……お? お?」
「ということはやっぱり、片思いですか!?」
「そ、そういうわけじゃ……!」
「来た来た、来ましたよーーー!」

 私が余計なことを言ってしまったせいで、2人のテンションは上りに上がる。結果、保健室がうるさいと職員室の先生から内線でお叱り受ける羽目になった。

**

 それから数日後の午後――

「はい、消毒おしまい。
 少なくとも傷口が乾くまでは、触らないように気をつけてね」
「ありがとうございます、ミツハ先生」

 手当てをした生徒を見送ると、保健室に静寂が訪れる。

(お茶でも淹れて、落ち着こうかな)
 
 まだベル様のブラウスは机の上に鎮座している。まずはこれを返すこと――しかも穏便に返すこと――を考えなければならない。そうじゃないと、あの時、ベル様が傷ついた理由をたずねることすらできない。

 急須きゅうすに緑茶をさらさらと入れたら、ポットのお湯を注いでしばらく待つ。そんな手順を確認していた、ちょうどその時だった。古びた保健室の扉が、外れそうなほどに荒々しく開かれる。

「ミツハ先生、ベッド空いてますか!?」

 険しい顔で扉を開けたのは、数学担当の教師。そしてその後ろには、男子生徒に支えられるようにして辛うじて立っている、セーラー服の姿があった。

「べ――鈴野べるのさん!?」
「授業受けてたら、いきなり倒れたんです!」
「わかりました。こっちに連れてきて」

 私は皆をベッドへ誘導し、ベル様を横たえさせる。そしてセーラー服の胸元を少し緩めた。呼吸が少し浅い。そっと腕に触れてみると、それ以外は正常時の人間とそう変わらないことがわかり、ひとまずほっとする。

「お水、持ってきますからね」
「……ん」

 ペットボトルの水の蓋を開けて渡し、仕切りのカーテンを閉める。

「先生方はこちらへ。少しお話を聞かせてください」
「はい。……山本は教室に戻っていいよ」
「でも……」
「何かあるの?」

 山本と呼ばれた生徒は心配そうな表情でうなずく。ベル様と親しい生徒なのかもしれない。そう思って、私は彼に話を聞くことにした。

鈴野べるのさん、最近どこか変わったことはあった?」

 山本くんはこくりとうなずく。彼はベル様の隣の席なのだと前置きした上で、こう言った。

「先生もご存知かもしれませんが、鈴野べるのさん、
 前はよくここに来てたんです。でも今はちゃんと――
 っていうかずっと、毎時間授業に出てて」
「そういえば、数学の授業いつもいるなぁ……」
「数学以外も、全部です。前は休みがちだった、体育とかも」
「念のために聞くけど、
 それって……私が赴任してきてからのことだよね?」

 山本くんは、しばらく迷うような顔をしてから、気まずそうに小さくうなずいた。

 返す言葉などなかった。ベル様が倒れたのは、私のせいだ。
 大切な行き場を失って、無理をして。結果、限界が訪れた。

「……そうですか。鈴野べるのさんはこちらで見ておきますので、
 お2人は授業に戻ってください。何かあったらお知らせします」
「わかりました。よろしくお願いします」
「あとで様子を見に来てもいいですか?」
「もちろん」
「じゃあ行こうか、山本」
「……はい」

 2人を見送った後、私は力が抜けたようにその場にへたりこんだ。

(私がベル様の居場所を奪った。私がベル様を追い込んだ……)

 恩返しなんて浮かれて、自分のことばかり考えて、ひとりの若者を追い詰めてしまった。嫌われて当然だ。

「っ、う……」

 泣き出しそうな気持をこらえて、必死に立ち上がる。

――今、私がベル様にできるのは、これしかないから。

***

【Side:りん】

 窓からの風が、頬をくすぐる。深まる秋のにおいを運んでくる。

「んっ……」

 まぶたを開くと、見慣れた天井。――ああ、保健室のベッドの上だ。頭がクリアになると同時に、ここに至った経緯が脳裏によみがえってくる。

(二度と来ないと思ってたのに、こんなことで運び込まれるなんて)

 自分のヤワさを呪いながら、そろりと起き上がる。立ち眩みでもするのではと身構えていたのに、身体は驚くほど軽くなっていた。

(まさか、これって……)

 念のため、右手の人差し指を確認する。今日の美術の授業で、小さな傷が出来ていたはずだ。

「消えてる……この前と同じだ」

 やっぱりアイツの仕業なんだ。きっとボクの疲労だけじゃなく、何もかも治したに違いない。ドラゴンの力とやらで。

「何、勝手なこと――」

 ベッドから飛び降りて、カーテンを開ける。だけどそこにいたのは――

「あ……鈴野べるのさん、起きた?」
「山本……」
「もう放課後だから、キミの鞄、持ってきたよ。勝手にゴメン。
 それから、これ……」

 山本は、見覚えのある洋服屋の袋を差し出した。

「これ、ミツハ先生が渡してって。中身、洋服みたいだけど……」
「……本人は?」
「早退だって。代わりに吉武先生が残ってくださってるよ。
 それで具合は――」
「平気」

 ボクはそれだけ言って返すと、鞄と紙袋を受け取り、保健室を後にする。

「あ、あの! 吉武先生には僕が連絡しておくね!」

 律儀だけど無遠慮な山本の声が、放課後の廊下にわんわんと響く。返事をする余裕なんて、ボクにはなかった。


>>12話につづく


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堂島チロル@シナリオライター
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