空想科学少年
ポルノグラフィティの2枚目のアルバム「foo?」に入っている楽曲「空想科学少年」。
ベスト盤にこそ入っていないけど、ファンからの人気は高く、リアルタイムでポルノのメジャーシーン進出を見ていた世代の人たちは、結構知っている人も多い印象がある。
2ヶ月前まで行われていたツアー「PG wasn't built in a day」では終盤に演奏され、イントロと共に会場は大きな歓声と手拍子に包まれた。前回披露されたのは、フェスを除けば2011年の「つま恋ロマンスポルノ」だったと思う。つまり、単独ライブで演奏されたのは実に13年ぶりで、ファンも待っていたと言わんばかりの反応だったわけだ。
無論、私もそのうちの一人で、「さぁ、ここからラストスパート!」というところであのイントロが流れれば、テンションは無条件に跳ね上がった。
さて、わざわざツアーが終わって1ヶ月半経ってから、今更「空想科学少年」のことを書いているのは、つまりは余韻が抜けきっていないからである。25周年、4年半ぶりの声出し解禁、5年ぶりのアリーナツアーと、お膳立てが全て整っていたわけだから、当然と言えば当然かもしれない。
そして、このツアーで演奏された曲の中で、最も印象に残ったのが「空想科学少年」であった。一言で言えば、圧倒されたと言わざるを得ないだろう。
私が「空想科学少年」を初めて聴いたのは、多分小学校4年か5年の時で、あの近未来感あふれるイントロに心惹かれたのは言うまでもない。
それから15年以上経って、もうその当時からすれば、今現在2024年というのは十分に近未来だと思うのだけど、車もしばらく空を走る予定はない程度の時代である。それでも、自分自身もポルノに出会ってからの時間の方が長くなって、大人と呼ぶにふさわしいくらいの年齢になった。実際、まともな生活をしているかどうかは別として。
それだけ時間が経てば、聴き慣れた楽曲が全然違う曲に聴こえることもあるし、曲ごとにそれぞれ思い出が詰まっていたりもする。
しかし、「空想科学少年」という曲に関して言えば、初めて聴いた時からあまり印象は変わっていなかった。どこかフワフワとした浮遊感があって、なんとなくデジタルを表現したような音が散らばっていて、晴一らしいひねくれた歌詞で……みたいな感じ。そのひねくれた感じが好きで、この曲の主人公はスカしているのか、斜に構えているのか、とにかく真っ直ぐな奴ではない。
子供ながらに感じたことといえば、「こいつは多分、失恋でもしたんだ」ということ。好きな人に告白して、「別に嫌いじゃないけど……」みたいな感じではぐらかされたのか、とにかく傷ついたのが嫌になって、みんな機械にでもなってしまえばいいのにと思ったのかな、とか。
少なくとも、ポジティブな歌ではないし、ものすごく後ろ向きな印象を受けたのは確か。ただ落ち込んでクヨクヨしているわけではないというところは、一筋縄ではいかない感じもするが。でも、少年というのは、そうやってカッコつけてプライドを保とうとする生物だから、なんとなく心当たりがなくもない。ただ逃避するだけじゃカッコ悪いから、こうやってカッコいい自分を演じてみて、「感情なんていらない」とか言ってみたりする。
なんにせよ、物凄く皮肉を言って、「僕は世の中の真理に気付いたんだ。僕は誰よりも未来が見えている人間なんだ」とか言っているように思えた。そして、彼の言うことに、賛同できる自分もいる。
……というのが、私が本当に少年だった頃の解釈だった。つまり、相当後ろ向きなことを語る曲なんだと思っていた。しかし、「PG wasn't built in a day」で聴いたとき、いや、そのステージを見たとき、今まで感じてこなかった感覚を覚えた。
この曲が演奏される前の流れは、「オレ、天使」「170828-29」「アビが鳴く」「解放区」というセットリストだった。今回のセットリストの中で、事前にリリースされた楽曲の中で最新は「アビが鳴く」で、そしてこれが広島出身のポルノグラフィティにとって特別な意味を持つ楽曲であることは言うまでもない。その、ある種の結論たる楽曲に至るまでに並べた「オレ、天使」「170828-29」がより一層その意味を深めている。そして、「解放区」というファイトソングが結論に後書きを加える。人間の愚かさとともに、小さな希望を描く。その小さな希望というのは、意外と身近にあって、それを積み上げてきたのもまた人間なのだ。私はそんなふうに思いながら曲を聴いていた。
その上で、だ。「空想科学少年」から始まるライブのラストスパートが来る。
私は最初、「え、空想科学少年って人間らしさを捨てたいって曲じゃん。いままでの流れはなんだったの?」と思った。そんなことを考えながら、ステージの先にあるモニターを見ると、青に染まったスクリーンにいろんな記号が動き回っている。その中には、鉄腕アトムよろしくアトミックなハートもあった。
その時点で、「おいおいおい、一体どういうことだ……」と頭が少し混乱した。これはプログラミングされた人間を表現するような演出に見えたからだ。
しかし、Bメロからサビに入る時、画面は青から黄色に変わる。そして、サビに突入すると紫色に変わる……。この時、私は完全に「やられた」と思った。考えすぎかもしれないけど、この「空想科学少年」は強がっているんだと思ったのだ。強がり……それは少年時代の自分も感じ取ったものだったけど、このライブではその先の感情まで到達した。どれだけ「感情なんていらない」と言っても、「人間は感情から逃げることはできない」というふうに感じ取れたのだ。
ずっと青かったスクリーンが黄色に変化するのは、「青信号が黄色信号に変わった」という表現なのではないかと思うのだ。機械のハートになった時、それは青信号……つまり順調を示し、安定したように見える。でも、「あの子のことも忘れれる」と安心したのも束の間、黄色信号に変わる。つまり、ストップがかかろうとしている。記憶が正しければ、黄色になった瞬間、アトミックなハートマークは消えていたと思う。
本当に忘れられるの?そんなことできるの?とでも言っているような気さえする。
そして、黄色から変わった紫色のスクリーン……紫色は青と赤が混ざり合った色である。青信号と赤信号が混ざり合った色……お前、めちゃくちゃ無理して感情を抑え込もうとしてるじゃん。全然人間らしさを捨てられれてないし、どんなに自分という存在から目を背けようとしても逃げられないんじゃないか?
これまでやってきた曲で、人間ってどこまでも愚かで、本当にどうしようもないって歌ってきたけど、でもやっぱり人間でいるしかなくて、人間だから感情があって、悲しみだけじゃなく喜びや楽しさだって得られる。だから、感情を捨てるなんてできないのだ。そんな解釈に至った結果、私は「空想科学少年」を後ろ向きな曲とは思えなくなってしまった。
私の中でいま「空想科学少年」は、「どんなに時間が経とうと、私たちは感情から逃れられないし、どこまで行っても人間だ」という現実を突きつける曲に思える。
ここだけだと残酷に感じてしまうかもしれない。だって時には逃げたくだってなるから。でも、思い返して欲しい。「空想科学少年」の前に演奏したのは「解放区」で、小さな希望や幸せを見つけられる場所はあるということだと思う。
そして……「空想科学少年」に続けて、「ハネウマライダー」「アポロ」「サウダージ」、そして「オー!リバル」と並ぶライブ最終盤。タオルを回し、みんなで歌い、手拍子をして一つになる。あの瞬間に感じ取れる感情を、機械のハートで得られるかと言われたら、答えはNoだと思う。
私たちは感情があるから、あの最高の時間を共にして、もうめちゃくちゃなくらいの楽しさを感じ取れるんだと。
私たちはそれぞれの感情を、歯車を動かす動力にしているけど、それが噛み合って、自分だけでなく他の人も巻き込み始めた時、時間の進みが一つになる。その瞬間こそが、あのライブ会場という場なのではないか。
そして、昭仁の言葉を借りれば、そんなことができる私たちは「最高」で、自信を持っていいらしい。ずるいよね、あれだけの熱気を作る一員になれたら、それは大きな成功体験なんよ。成功を味あわせてから、自信を持たせる。なんて理想的な精神鍛錬の場なのだろうか……。
私がライブで感じたことを言葉にするなら、こんな感じでしょうか。
いつもこんなクソデカ感情を持ちながらライブに行っているのです。
記事を書き始めてから1時間半が経過して、見返すと痛くて恥ずかしい文章に思えてきたので、今日はここまでにして寝ます。
おやすみなさい。