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#6 なぜオートバイなのか ⑤ グループツーリングという名の「奇妙な実験」

バイクに乗るという行為は、根本的には孤独を愛する者の営みだ。エンジンの振動を感じ、風を切りながら道を行く。ただ前に進むというシンプルな行為の中に、奇妙なほどの自由と解放感がある。そのためには自分とバイクと、ありったけのガソリンさえあれば十分だ。それ以上のものは、正直なところ、必要ない――少なくとも普段の僕にとっては。

それでも、時折グループツーリングという名の「小さな社会」に身を投じることがある。それは、何かしら人生の倒錯を楽しみたくなる瞬間があるからなのかもしれない。摩擦や不協和音をわざわざ引き受けて、それを味わってみたいという、ある種の奇妙な欲求だ。
そして、そんな自分を「面倒なやつだな」と思いながら、僕はまたバイクの列の先頭に立つのだ。2人でのツーリング、3人でのツーリングにはそれぞれ味がある。4人以上のツーリングになると、、それはもうグループツーリングということに僕の中では定義されている。


摩擦と倒錯の快感

グループツーリングというのは、基本的に摩擦を生む。ペースが合わない、休憩のタイミングがずれる、誰かが道を間違える。どんなに計画を練っても、そんな小さなズレは必ず生じる。そして、そのズレをどうにかしようとするのがリーダー、――仮に僕がそうであれば僕の役割だ。

もっとも、その役割が苦痛かといえば、そうでもない。これまで散々、他人のペースやスキルに合わせて走る術を身につけてきた僕にとって、それはむしろ自然な行為だ。集団に初心者が含まれるなら、むしろ楽しんでもらいたいと思う。だから、カーブの手前でわざとブレーキランプを点滅させて「ここで減速だよ」と教えることくらい、造作もない。僕はこう見えて、初心者には親切だし、そういう時の僕は案外きちんとしている。

ただし、それが本当に楽しいかといえば微妙だ。いや、正確に言えば「楽しいと思う瞬間もある」という程度だ。それは、摩擦や違和感を抱えながらも、それをどうにか乗り越えていく過程の中に、ほんのわずかな達成感を見出す瞬間があるからだ。奇妙な話だが、そういう倒錯的な状況がときどき心地よく思えることがある。初心者ライダーが自ら壁を乗り越えた実感を得たような笑顔を見る時は、そりゃ僕だってうれしい。もちろん。


奇跡のようなクラブ

かつて、僕は奇跡的にそうした摩擦を最小限に抑えながら、微妙なバランスで絶妙な一体感を生み出せるクラブに属していたことがある。メンバー全員が、各々のペースやスキルを自然に尊重し、無理なく走ることができた。休憩のタイミングも、昼食の場所もすんなり決まる、ほとんど言葉を交わさずに調和していた。それはまさに奇跡のようなクラブだった。


かつて所属した奇跡のようなツーリングクラブ@御岳

もっとも、それが僕だけの思い込みだった可能性も大いにある。もしかしたら、他のメンバーは「このクラブもまあまあだな」くらいにしか思っていなかったのかもしれない。それでも、あのクラブで走った記憶は僕の中では特別なものだ。そういう経験があったからこそ、僕は未だに「グループツーリングもたまにはいいかもしれない」と思えるのかもしれない。


リスクと報酬

こういう時は生成AIのイラストが助かりますね(笑)

もちろん、グループツーリングにはリスクがつきものだ。後ろのメンバーが信号で分断される、誰かが道を間違える、ペースが崩れる――そのすべてが潜在的なトラブルの種だ。だが、そうしたリスクを超えた先に得られる報酬もある。それは、全員が無事に目的地にたどり着き、バイクを降りて笑顔を交わす瞬間だ。たとえ走行中にいくつかの摩擦があったとしても、事故なくその笑顔のまま別れられることがすべてを帳消しにしてくれるような気がする。


たまにはいいかもしれない

普段の僕なら、そんなグループツーリングにわざわざ参加はしても企画まではする気にはならない。一人で走るほうが気楽だし、何より余計な気遣いをしなくて済む。だが、どこか倒錯した気分のとき――摩擦やズレすらも「楽しんでみるのも悪くない」と思える瞬間には、やってもいいかもしれない。たまには世俗にまみれることも人としては必要なのじゃないかと思う事すら、—―たまにだけど、なくはない。

それに、初心者が少しずつ自信をつけていく姿を見るのは悪くない。それが僕の役割なら、それを全うするのも悪くない。きっと、またそういう気分になったとき、僕はバイクの列の先頭に立つだろう。次がいつになるかはわからない。来月かもしれないし、何年も先かもしれない。でも、それでいいのだ。

グループツーリングは、人生の縮図のようなものだ。摩擦と調和、孤独と一体感。そんな人生の荷物から刹那的な解放こそが、オートバイの魅力ではあるが、一方そんな縮図に身をゆだねてみても、、という矛盾も人間であることの証明なような気もする。ただ、それをごくごくたまに覗き見てみるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。そして僕はきっと、その距離感を保ちながら、またどこかで群れと一緒に走るのだろう。奇跡を期待しながら。

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