#13 ソロツーリングと他者との距離感について想う ー儚いくらいでちょうどいい
ソロツーリングエッセイ #5
1. 無言の了解
バイク乗り同士の出会いに多くの言葉はいらない。むしろ、余計にしゃべりすぎることは、ソロ旅のルールを侵すようなものだと言っていい。どちらからともなく交わされる「どちらまで?」の問いと、「ご無事で」という送り出し。それだけで十分だ。もっと深い話をしたいなら、きっと別の旅を選ぶべきだろう。お互い好きでソロをやっているのだから、その静かな距離感を尊重するのが最善だと思う。
もちろん、僕にだってバイク談義を何時間でも楽しめる仲間がいる。ツーリングの途中で立ち寄ったカフェや峠の駐車場で、互いのバイクを肴に延々と話し込む時間はかけがえのないものだ。でも、それはそれ。そういう仲間とのひっそりとしたツーリングも素晴らしいけれど、ソロで旅に出る時には、やっぱりソロの時間を優先したい。それが僕にとってのバランスであり、旅の流儀なのだ。
2. 共通項という錯覚
「バイクに乗って旅をしている」というだけで仲間意識を抱くのは、少しリスキーだ。それはまるで喫煙所でたまたま同じ銘柄のタバコを吸っている人を見つけた程度の共通項でしかない。たしかに、一瞬の親近感は生まれるかもしれない。でも、それ以上を期待すると、どこかで自分が裏切られることになるかもしれない。
バイク乗りのコミュニティは、時に優しく、時に冷たい。道すがら出会う人々全員を無条件に信じることは、少し甘い見方かもしれない。それは世知辛い話のようにも聞こえるが、実際のところ、ソロツーリングの旅人たちはその距離感を自然と受け入れている。少し冷たくても、それがソロ旅というもののルールなのだ。僕にとっては、そういう淡白な出会いがちょうどいい。
3. 異性という微妙な距離感
異性とのコミュニケーションには、さらに慎重になる必要がある。特に男性から女性へのアプローチは、たとえ何気ない越し方や行き先の話題であっても、ストーカーと間違われる可能性がある。そんな誤解を避けるためにも、あえて何も触れないのが無難だろう。下手に親しみを示したつもりが、逆に相手に不安を与えるリスクを考えると、何も言わず近くにも停めず、静かにやり過ごすのが最善だ。
これはあくまで僕の「個人的な方針」だ。ひょっとすると、もっと自然でオープンなやり方があるのかもしれない。だけど、僕はそもそもそこまでオープンでもないし、自分の旅に余計な波風を立てたくない。だからこそ、こうして距離を保つことを選んでいる。
4. 同じ車種が生む特別な連帯感
それでも、稀に特別な瞬間が訪れることがある。例えば、自分が乗っているーーあまり乗っている人がいないと思っていたバイクの同じ車種に、ふと道端で出会った時。道の駅でも有名スポットでもなく、こちらが「密かに気に入っている」ような場所で、偶然似たような荷姿のバイクが並ぶその光景は、小さな奇跡のように思える。知らないはずの相手に、急に親近感を抱いてしまう。それはさながら、きちんとしたバーでたまたまカウンターの隣に座った一人客が同じ地方のモルトを頼んだ時に抱く親近感に似ている。
その場合でも、必要以上に話し込むことはしない。互いのバイクを一瞥し、「いいバイクですよね」と一言だけ交わして笑みを交換する。取締の情報交換くらいはするかもしれない。それだけで、十分に深いつながりを感じられる。お互い好きでこのモデルを選び、この旅をしているという暗黙の了解が、言葉以上の共通項を生むのだ。この距離感が心地よいと感じるのも、結局は僕の性分に過ぎないのだろう。
5. 苦難と出会いの交差点
また、旅の条件が厳しくなると、出会いの性質も変わってくる。例えば、人里離れた山奥で、立ち往生しているソロライダーを見かけた時。そんな場面では、迷わず声をかけるようにしている。バイクに問題があるのか、道に迷っているのか、理由は様々だが、こういう時に助け合うのはライダーとしての当然の礼儀だと思っている。
そうした場面では、距離感や気遣いを一旦忘れて、できる限りの手を貸す。工具を貸したり、道を教えたりするだけで、相手の旅がまた動き出すきっかけになることもある。そうして別れ際に交わされる「じゃあ、気をつけて」の言葉は、僕にとっても旅の記憶を深めてくれる特別なものだ。
30年ほど前のことだ。僕は燃費の良くない2ストロークのオフロードバイクで北海道を旅していた。サロマ湖あたりの荒涼とした風景の中、一人リッターバイクを押している中年の男性を見かけた。近づいてみると、どうやらガソリン切れらしかった。幸い、僕は予備のガソリンを1リッター積んでいたし、ガソリンタンクにはまだ充分燃料が入っていたので、迷わず差し出した。男性は驚いたような顔をした後、安堵した表情で「ありがとう」と言いながらクシャっと丸められた千円札を握らせてくれた。その千円札の感触は、今でもほのかに覚えている。
その男性とはそれっきりだ。名前も知らなければ、それ以上の会話も交わしていない。でも、その時の出来事は、事実として30年経った今も僕の旅の記憶に小さな温かみを残してくれている。それで十分だと思う。ソロツーリングの出会いというのは、そういう儚さがちょうどいい。それ以上の深いつながりを求めるのは、むしろ旅の自由さを損ねるような気がするのだ。
6. 距離感の中に宿る自由
結局のところ、僕はこういう旅のスタイルが好きなのだと思う。ソロツーリングにおける他者との関わりは、旅の「スパイス」だ。それが多すぎると旅の本質を損ね、あまりに無さすぎると流石に味気なくなる。その適度なスタンスを保つことが、ソロツーリングを楽しむための僕なりに行き着いた戒めのようなものだ。
もちろん、こんな僕にも気の置けないバイク仲間がいるし、彼らと一緒に走るツーリングはそれはそれで楽しい。でも、ソロで旅をする時には、あえてそうした仲間との時間を脇に置いて、ひたすら自分のペースで走り、自分の目で風景を感じる旅を選びたい。それが僕にとってのソロツーリングであり、限りある時間を味わい尽くすための大切な選択なのだ。そしてまた一人、バイクに跨がって、静かにエンジンをかける。