#18 【転倒サバイバル】転倒しないために① これから乗る人、最近乗り始めた人へ
綺麗ごとだけでは済まされない
オートバイに乗る魅力は語り尽くせない。エンジンの鼓動が心臓に響く瞬間や、風を切りながら走る解放感、コーナーをスムーズに抜けたときの達成感――それらは、バイクに乗った者にしかわからない特別な感覚だ。だけど、その楽しさの裏には、僕たちライダーにとって一番避けたい出来事が潜んでいる。それは、転倒事故だ。
転倒や交通事故がどれだけ悲惨なものか、改めて説明する必要はないだろう。身体的なダメージはもちろん、家族や周りの人々への影響を考えると、そのリスクは計り知れない。人生そのものが変わってしまう可能性すらある。もちろんバイクが壊れたらーーとてつもなくお金がかかることもある。
でも、だからといって僕たちはバイクを降りるわけではない。それでも乗り続けるのは、それ以上の魅力がこの乗り物にはあるからだ。
このnoteでは、そんなバイクの素晴らしい面を少しでも多くの人に伝えたいと思っている。すでにバイクに乗っている人には「そうそう、これが楽しいんだよな」と思ってもらいたいし、離れてしまった人には「ああ、そんな世界もあったな」と感じてもらえたら嬉しい。そして、これからバイクに挑戦してみようと思っている人には、新しい視点を提供できたらいいなと思う。
言えた身分ではないのかもしれない
言わせてもらうと、僕は別にレーシングライダーのように速く走れるわけでもなければ、白バイ隊員のようにオートバイを自在に操れるわけでもない。どこにでもいる「ただただ30年生き残った」ライダーの一人にすぎないのだ。テクニック的な深い知識があるわけでもないし、物理現象にひときわ詳しいわけでもない。ただの文系ライダーだ。だから、これを読んでいる人の中には「ただ生きてるってだけでエラソーに」と感じる人がいるかもしれない。それは仕方ないことだと思う。
僕とて転んだ事が無いわけではない。
オフロードでの草レースをしていた時は数え切れないが、それを除けば一般公道では30年で4回やらかしている。
最後に転んだのは15年ほど前にはなるが、たまたま生きているだけで、状況次第ではいくらでも悪くなり得たし、この先事故を起こさない保証などできるわけでも無い。
オートバイに出会えて良かった、、とずっと思えるために
それでも、ひとつだけ言わせてほしい。この素晴らしい乗り物に出会えた悦びを、僕はできるだけ長く味わいたいし、同じように感じている人たちといつかどこかで分かち合いたいと思っている。だからこそ、これを読んだ人(だけじゃ無いけど)に
悲しい目には合ってほしくない。転倒や事故は避けられないリスクかもしれないけれど、それにどう向き合うかで未来は変わると信じている。
このnoteが、小うるさく聞こえることがあるかもしれない。それは申し訳ないと思う。でも、こんな時代だからこそ、「生き残る」ために何ができるかを考えることが、強く楽しく生きる第一歩だと僕は思う。何か一つでもヒントになれば、それだけで十分だ。
では、まずは「乗る前にできること」から始めよう。準備を整え、安全を意識することで、オートバイの楽しさをより長く味わうための第一歩を一緒に考えていきたいと思う。
「乗る前に、できること」
バイクに乗るという行為は、ただの移動手段ではない。それは一つの儀式であり、冒険であり、時には人生そのものにさえ感じられる瞬間だ。だからこそ、その「乗る前」がどれほど大切かを考えると、僕は少し気を引き締める。乗る前にできること――それは、いわば戦場に赴く前の準備体操みたいなものだ。これを怠れば、戦場での勝ち目も薄くなる。
「体を動かすという儀式」
朝、起き抜けにまずするのはストレッチだ。マットの上で足を伸ばし、肩を回し、膝を軽く曲げる。かつては「そんなの要らないだろ」と思っていた。バイクに乗るのは体力勝負というよりも技術勝負だと考えていたからだ。でも、僕のように50代に入るとそれだけでは済まなくなる。腕や足が思うように動かないと、いざという時の些細な操作ミスが大きな事故につながる。少しでも体を柔らかくしておくことが、無事に帰るための最低限の準備だ。
「ストレッチなんて面倒くさい」と思う日もある。でもそんな時は思い出す。以前、友人のライダーが言っていた言葉だ。「いざって時に体が思い通りに動かなかったら、それはただの恐怖だよ」と。恐怖を避けるためには、少しの努力を惜しんではいけない。それに、朝風呂で体を温めながら軽く体をほぐす時間は、むしろちょっとした贅沢だと考えると悪くない。湯気の中で筋を伸ばしていると、これから始まる一日の冒険に向けて心が整っていく感じがする。
「金で買える安全は、買う」
装備について語るとき、いつも思い浮かぶのは若かりし頃の自分だ。あの頃はジーパンにスニーカーでバイクにまたがり、風を切ることに夢中だった。だけど、一度サーキット遊びを経験したことで、革の持つ安全性を身をもって知った。特に擦過傷への耐性は、どんな生地のウェアも革には敵わない。転倒したとき、肌が完全に覆われているからといって安心できるわけではない。ウェアの表皮が破れていなくても、衝撃や摩擦が皮膚に大きなダメージを与えることがある。だからこそ、あの時期はいつも革のジャケットやパンツを身にまとっていた。
しかし、今の僕は革の装備を着けていない。もちろんプロテクター入りのジャケットやパンツは着用しているが、革には温度調節や対候性という弱点がある。それが、ツーリングがメインの今の用途にはそぐわないと感じたからだ。真夏の暑さや突然の雨に対応するには、革よりもメッシュジャケットや防寒ジャケットのほうが実用的だ。それでも、革を着ていた頃の安心さは忘れられない。無論革着てれば転けても平気というわけではないが。
むしろ、今は革を身につけていない分、意識的に安全に気を配らざるを得ない。装備は確かに大切だが、それに頼りすぎるのも危険だと感じるからだ。安全は装備だけでなく、心構えや注意深さからも生まれる。だからこそ、「慎重でいること」が、今の僕にとって一番の装備なのかもしれない。
「乗車前の点検」
バイクにまたがる前には、簡単な点検を行う。これもほんの数分のことだ。タイヤにヒビや穴がないか、ブレーキがきちんと効くか、ドライブチェーン(今の僕のバイクにはドライブチェーンが無いが)が緩んでいないか。こうした基本的な確認をするだけで、整備不良による事故を防げる可能性が高まる。
かつて知人が、タイヤの溝を確認しなかったばかりに峠でスリップしてしまったことがあった。彼はそれ以来、バイクに乗る前には必ず点検を行うようになった。バイクは車と違って、4つのタイヤではなく2つのタイヤで支えられている。だからこそ、少しの整備不良が命取りになる可能性がある。
点検は、決して時間の無駄ではない。むしろそれは、バイクに対する「敬意」を示す行為だと思う。長年一緒に走り続けた愛車に対して、「今日もよろしく」という気持ちを込めて手をかける。それだけでバイクとの信頼関係が深まるような気がする。
「祈りのような一言」
そして、バイクに乗る直前には、必ず心の中でこう呟く。「無事に帰ってくるぞ」と。これは僕の小さなおまじないみたいなものだ。科学的な根拠は全くない。ただ、これを呟くことで心が穏やかになり、「無理をしない」という意識が生まれる。
祈りには不思議な力がある。バイクという乗り物は、自由を与えてくれる半面、常にリスクと隣り合わせだ。そのリスクに立ち向かうために、僕は自分に言い聞かせる。「無事に帰ることこそが、今日の最も重要なミッションだ」と。
「乗る前の時間」
準備体操、装備の確認、点検、そしておまじない――これらはすべて、バイクに乗る前の時間に行う僕のルーティンだ。それは長年の経験から生まれた習慣であり、自分を守るための小さな努力でもある。この時間を丁寧に過ごすことで、僕はバイクに対する敬意と、自分の命に対する責任を感じる。
ライディングは、決して軽い行為ではない。その楽しさを最大限に味わうために、そして何よりも安全に帰るために、僕は今日も慎重に準備をする。それが、僕の小さな「冒険の始まり」だ。
次回、乗り出してからのTipsをいくつかシェアしていこうと思う。
※同じように生き延びている歴戦のベテランの皆様からのTipsもお待ちしてます!