#23 中学生、初めてバイク屋さんに行ってみた。的な話。
それは中2の秋だった
僕が初めてバイク屋さんを訪れた日の記憶は、断片的ながら鮮やかに残っている。そのお店の前は何度か歩いて通っていて、いつも気になっていた。どうやらホンダを扱っている店頭の軒下には何台かのスクーターと、運が良ければ大きなスポーツバイクが並んでいた。なんだか立ち止まるのも気が引けて横目で見るのが精いっぱいだったが、ある日、意を決してお店の建屋の中に入ってみた。
最初の一歩
お店の中には最新型の大きなオートバイの新車が展示してあるのは外から見てても分かっていて、僕にはどうしてもそれが見たかった。中学二年生のある日、近所のホンダの店の引き戸をガラガラと開けたときのことだ。運動部で毎日忙しかったけど、僕は、テレビのCMや鈴鹿8耐のダイジェスト番組を見て、徐々にオートバイへの興味を膨らませていた。まだ見ぬ異国の地への憧れる土着の民のようなものだった。
↑当時はメーカーが地上波番組持ってたりとか。。
しかも放送枠は日曜夕方だったと記憶している。
時代ですねえ。
その日、僕は何かに突き動かされるように店の前に立っていた。正直に言うと、緊張で胃が縮む思いだった。だって僕は中学二年生の、どう見ても買えもしないただのガキンチョだったからだ。でも、その瞬間の僕にはどうしても、実物のオートバイをこの目で確かめたいという欲求があった。店主に「見ててもいいですか?」と聞くと、彼は少し驚いた顔をしたものの、笑ってこう言った。「触っちゃいかんけど、見とるだけならゆっくり見てていいぞ。」その言葉に僕はどれだけ救われたことだろう。
店内での感動
店内に入ると、まず目に飛び込んできて感じたのは実物のオートバイの大きさだった。店内の照明に照らされたそれは、まるでオーラを放つように輝いていた。写真やテレビでは感じ取れない金属の質感や、黒いペイントの放つ凄み。新品のタイヤからは独特のゴムの匂いが漂い、それがさらに背徳感と非日常感をまとって僕を圧倒した。オートバイというものがただの移動手段以上の何かであることを、そのとき僕は直感的に理解した。
麦茶をちびちびと
店主の奥さんが出してくれた麦茶を飲みながら、僕は何台ものオートバイをじっくりと眺めていた。その時間は、運動部の厳しい練習から解放された、まさに一服の清涼剤のようだった。
じっくり見ることが出来たのはいいものの、なにか店主と話をしたいが、何を聞いたらいいのか分からず、そろそろおいとましたほうがいいのかどうかとか、でも見ていたいみたいな感情でモジモジとなりながら「・・・・」と無言の時間が過ぎた。
店主の動きを見計らって「あの、、ありがとうございました。また来てもいいですか?」と絞り出すのが精いっぱいだった。その言葉に店主は少し驚いたようだったが、すぐに笑顔で「もちろん、いつでも来ていいぞ」と返してくれた。その一言に救われる思いで、僕は店を後にした。
宝物のカタログ
そして僕はその後、何度もその店に通った。理由なんて特にない。ただ、そこに行けばあの輝きや匂い、空気感を味わえるというだけで十分だった。
ある日、店主が無料であるバイクのカタログと、「もう要らないから」と古いバイク雑誌をくれた。それは分厚くて、半分以上が広告だったけれど、僕にとっては宝物だった。バイク雑誌なるものが世の中にあることにその時初めて気づかされたのだ。カタログと雑誌を大事に抱えて家に戻り、寝る前の布団の中でそのページをめくるたびに、未知の世界が広がっているような気がして、気がつけば何度も何度も読み返していた。
その店は無くなってしまった
結局、大学生になるまでは乗れなかったので、僕が最初に乗るオートバイを買ったのは、父親が昔から50ccのスクーターで世話になっていたヤマハの店だった。そのときには、最初に訪れたホンダの店はもうなくなっていた。僕はすっかりヤマハのバイクが好きになってしまったのだが、それでも、あの時のあのホンダの店に感謝している。あそこで僕が味わった初めての体験がなければ、たぶん僕のバイク人生はこんなに豊かなものにはならなかっただろう。
今振り返ると、あの中学二年生の僕は、ただバイクを見たかっただけではないのかもしれない。店に入るという勇気を出して、初めての世界に足を踏み入れた瞬間、僕はライダーとしての第一歩を踏み出していたのだ。そして、ーーそのバイク屋さんには今とても迷惑をかけたとは思うのだが、その一歩を支えてくれた場所だった。