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#19【転倒サバイバル】転倒しないために②街中を制する

↑の続き

走り始めの肩慣らし


僕は乗り始めの何分かは必ずウォームアップをする。なんだかプロっぽい響きだが、そんなカッコいいものではない。ただの準備運動だ。タイヤを温めるとか、体を馴染ませるとか言ってるけど、実際のところは「すぐには走れない中年の体を動くようにする時間」に過ぎない。これをしないと、どうにもエンジンが温まるのが遅い。エンジンというのは僕の体と頭のことだ。

カフェインだって欲しくなる

「ウォームアップはシンクロ率上昇のため」


正直、20代の頃はこんなことしていなかった。エンジンをかけて、さあ行こう、で済んでいた。でも今は違う。まずは静かに走り出し、ブレーキの効き具合を確かめ、タイヤの路面への噛み具合を確かめる。次に、空いた道で軽くアクセルを開けて後続がいない事を確認して急制動を試みる。これだけで、心がオートバイならではの加減速のGに少しずつ目を覚ましていく感じがする。何度かやればタイヤにも多少の熱は入る。冬場はあんまり期待出来ないけど。

それから、随分昔に教わったエクササイズがある。ニーグリップを死ぬほど締め上げて10秒間保ち、その後10秒間リラックスする。それを3~4セット繰り返す。なんだか「ヨガ」でもやっている気分になるが、これが案外いい。全身の力が抜けて、バイクとの一体感が高まるのだ。もっとも、これを他人に見られると「何やってるんですか?」と変な顔をされるので、場所を選ばなければならない。

冬は特にそうだがタイヤも暖まっていないので、性能を発揮しきれていない時間帯はバイクを無駄に寝かしたりせず、交差点の右左折はリアブレーキを軽く引きずりながらハンドルが切れてくるのを待ってあまり寝かせずに小回りする。

こうしたウォームアップは、体の血を巡らせるだけでなく、オートバイと自分との連動性ーーシンクロ率のようなものを徐々に高めていく時間でもある。それがあるとないとでは、気分が全然違うのだ。
これは朝だけでなく、長い休憩の後などにもよくやる。


宿を出た朝、はやる気持ちを抑えつつ。。

街へ

ウォームアップを終えたら、多くの場合、街中を通らざるを得ない。ここは僕たちライダーにとって、いわば「ジャングル」だ。脇道から飛び出してくる車、ウィンカーを出さない車線変更、信号無視――どれもが僕らの前に立ちはだかるトラップだ。そこに子供や自転車まで加わると、もう混沌そのものだ。正直言って、街中は「楽しさ」とは対極にある場所かもしれない。だけど、だからこそ、ここでの運転がいかに重要かを僕らは知っている。視界は広く保ち、異常を検出するセンサー強度は最大に高める意識で臨む。

街中を走るとき、制限速度でおとなしく走っていたとしても、このトラップがなくなるわけではない。むしろ、「自分は安全な走り方をしているから大丈夫」という慢心が危険を呼ぶことさえある。だから、まずは車間を空けることを意識するのが基本だ。車間が広がれば、それだけ状況を予測する余裕が生まれる。前の車が急にブレーキを踏んでも対応できるし、周囲の動きを冷静に観察することができる。

「右直事故という宿敵」


警視庁の資料より拝借


街中でライダーが最も気をつけなければならない事故の一つに「右直事故」がある。これは、直進しているバイクと、対向車線から右折してくる車が衝突する事故のことだ。統計でもこの事故が多いことは明らかで、原因のほとんどは相手の「バイクの存在を見落とした」というものだ。つまり、こちらがどれだけ慎重にしていても、相手に見られていない可能性があるということだ。

僕が右直事故を防ぐために意識しているのは、「自分が見られていない」という前提で走ることだ。たとえ自分に優先権があったとしても、対向車の動きに注意を払い、「もしかして右折してくるかも」と思ったらアクセルを緩める。相手が減速しているか、こちらを見ているかどうかを確認するのはもちろんだが、最終的には「自分が回避する覚悟」を持つしかない。ほんとにたまに信じられないタイミングで右折してくるクルマも居る。
どれだけ車のドライバーに非があったとしても、実害を被るのはだいたいの場合ライダーなのは言うまでもない。
非が無い方が裁きを受けると言う理不尽を受け入れずして、長くバイクライフを送る事はできないのだ。

右直事故を完全に防ぐことは難しい。それでも、自分が見落とされているという前提で走れば、リスクを大きく減らすことができる。優先権に甘えるのではなく、相手の動きを読んでこちらが対応する。これが、僕が生き残るために身につけた小さな心得だ。

「減速の技術と心構え」

ブレーキがイメージ通り操れれば、
オートバイは一気に楽しくなる


街中でスピードを出すのは、正直言ってまったく意味がない。いや、僕だって速く走るのは好きだ。でも街中でそれをやるのは、何というか、昼下がりに無駄に全力疾走して疲れるようなものだ。意味がないだけでなく、むしろリスクしかない。街中で大事なのはスピードではなく、自在に減速できることだ。これだけは間違いない。

あまりテクニック的な話を詳しく書くつもりはないんだけど、リアブレーキをうまく使えるようになるに越したことはない、ということだけは言っておきたい。サーキットを走るような上級者の中には「リアブレーキなんて使わない」という人もいるけど、あまり真に受けないほうがいい。教習所で習った通り、リアブレーキは「止まるため」というよりも「オートバイを安定させるため」のものだ。それを覚えておくだけで、街中でも余裕を持って走れる。

これはフロントブレーキにも言えることだけど、ブレーキというのはスイッチのようにオンかオフかで操作するものではない。最初はジワっと優しくかけて、そこから路面にタイヤが押し付けられる感触を感じながら、グイイッと強めていく。そうすることで、バイクが安定し、減速Gとスリップダウンの恐怖感に慄く事なく、意図したスピードに落とせるようになる。この「ブレーキのコントロール」こそが、ライディングをデザインする鍵だと僕は思う。もっとも、そんなに大それたことを語れるほどじゃないんだけど。
アクセルを全開にするのは誰でもできる。大事なのはその前に思ったスピードに落とせるか、思ったところで止まれるのかなのだ。

「すり抜けでやらかさないために」


すり抜けについても少し触れておこう。僕は完全に否定はしない。時には渋滞の車列をスルスルと抜けていくこともある。ただし、それはあくまで慎重に、そして前提として「周囲が見えているとき」に限る。特に重要なのは、車の前タイヤの挙動を見逃さないことだ。ウィンカーなんて信用しないほうがいい。タイヤがわずかでも動き始めたら、それはドライバーが車を動かそうとしている、もしくは後ろが見えてない、更にはすり抜けを嫌って幅寄せしてくるサインだ。それを見て、すり抜けるかどうかを瞬時に判断する。
決して勢いに任せたり、ドライバーの寛容(もしくは諦め)や優しさを当たり前だと思ってはいけない。
それには先述の繊細なブレーキコントロールは欠かせないものになるし、低速で、バランスよく思ったピンポイントの線上をなぞれる精度が求められる。
教習所でやる一本橋。あれが余裕で減点無しでできる自信が無ければやらない方が無難かなとは思う。

合法なすり抜けであっても、オートバイへの理解がないドライバーの神経を逆撫でするリスクは常にあることは、肝に命じておくほうが良いと思う。

道交法適合については以下を参考にされたい
https://car.motor-fan.jp/article/10009190

「信号待ちでも油断しない」

街中での運転は信号待ちも気が抜けない。僕は信号待ちで車の真後ろにぴったり停車するのを避けている。理由は簡単で、追突されるリスクを減らすためだ。万が一後ろの車が減速しきれなかったとしても、前の車との間に余裕があれば、左右に逃げることができる。これは簡単な工夫だけど、実際に役立つことがある。追突されて後悔するくらいなら、最初からそのリスクを回避しておいたほうがいい。

反射板を追加して後方被視認性を増強している
カー用品店などで安価に入手できる。

「街中を走る意味」


街中の運転は一見退屈に思えるかもしれない。信号が多くて流れは悪いし、景色だって魅力的とは言いにくい。だけど、街中での運転こそがライディングの基本を鍛える場だと思う。視野を広く保ち、見るべきポイントをチェックし、常に最適なポジションを探す。このプロセスを繰り返すことで、無意識に状況を読む力とオートバイをコントロールする力が養われる。そしてそれは、峠道や高速道路での安全で爽快なライディングにもつながっていく。

慣れてくれば、「あ、こんなところに良さげなうどん屋があるじゃないか」なんて街並みを楽しむ余裕も出てくるだろう。そうなったら、街中もただの退屈な道ではなくなる。街中は、ライディングにとって必要な基礎体力を鍛える場所だ。そしてその基礎体力が、どんな道でも「無事に帰る」ための力になる。

「帰るべき場所へ」


最終的に、僕のライダーにとっての目標はいつだってシンプルだ。「帰るべき場所に無事に帰る」こと。それは当たり前すぎて言葉にするのが恥ずかしいくらいだ。でも、この当たり前を実現するためには、それなりの工夫と注意が必要だ。

街中での運転は地味で目立たない。だけど、その地味なプロセスの積み重ねがライダーとしての力を支えている。それを思い出すだけで、街中を走る時間も少しだけ意味のあるものに感じられる。

どうか皆さま、今日もご安全に!

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