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#5 なぜオートバイなのか ④ ふたりで走る。ということ。
二人で走るということ
バイクというのは基本的に孤独な乗り物だ。そう設計されている。乗れるのは一人、せいぜい二人まで。それ以上乗ろうとすれば、何かしらの法律に触れるか、常識を大きく逸脱することになる。だからこそ、バイクに乗る人間は、どこか孤独に慣れている。むしろ、その孤独を求めている節さえある。
独りで走ることについてはまた別にじっくり考えたい。
そんな孤独なバイク乗りにも「二人で走る」瞬間がある。連れ立って走ることは、ソロで走るのとはまるで違う体験だ。それは、一人の孤独を少しだけ分け合う行為であり、同時に、何かしらの暗黙のルールの下に成り立つ奇妙なダンスでもある。
二台で走るというリズム
二人で走る場合、バイク同士の間にはある種のリズムが生まれる。前を走る人が速度を上げれば、後ろの人もそれに合わせてアクセルをひねる。カーブを曲がるときには、先行者のライン取りを自然と追う。そして信号で止まったとき、ヘルメット越しに交わされる視線には、言葉では説明できないような連帯感が宿る。
このリズムがうまく噛み合ったとき、二人で走ることの楽しさが浮き彫りになる。それは、まるで音楽の即興セッションのようなものだ。片方がリードを取り、もう片方が伴奏を合わせる。そしてその役割が時折入れ替わりながら、道という名の五線譜に新しい旋律を書き込んでいく。
信頼という見えない糸
二台で走るには、互いへの信頼が不可欠だ。前を走る人間が無茶な加速をすれば、後ろの人間が危険な状況に追い込まれる。逆に、後ろがついてこられなければ、前はペースを緩めなければならない。この微妙なバランスの上に、二人で走るという体験は成り立つ。
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信頼というのは、口で言うほど簡単ではない。たとえば、相手のブレーキポイントや加速タイミングを把握するには、それなりの時間が必要だ。場合によっては、ほんの小さなミスが命取りになることもある。それでも、二台で走るという行為は、こうしたリスクを乗り越えるだけの魅力を持っている。
孤独の共有
面白いことに、二人で走るとき、孤独は完全には消えない。むしろ、ある種の孤独を共有している感覚が強まる。バイクというのは基本的に話ができない乗り物だ。ヘルメットをかぶって、風を切りながら、隣にいる相手と会話することはほぼ不可能だ。だからこそ、二人で走るときのコミュニケーションは、極端にミニマルになる。
たとえば、信号待ちでちょっとした手振りで方向を示すとか、休憩ポイントでヘルメットを外して「いい道だったな」と一言交わすとか。そんな些細なやり取りに、言葉以上の意味が込められているように感じられる。それは、言葉がいらないほど深い理解があるということではなく、言葉がいらない状況そのものが心地よいからだ。
同調と自由の狭間
二人で走るとき、興味深いのは「追従」と「自由」の間にある絶妙なバランスだ。一方が加速すれば、もう一方もそれに合わせる必要がある。そうしなければ、二人の間のリズムが崩れてしまう。しかし、完全に思考停止してしまえば、それはただの追従になってしまう。
理想的な二台走行とは、互いに適度な距離を保ちながら、それぞれのペースを尊重することだ。それは、ダンスパートナーが互いのステップを尊重しながらも、全体の調和を保つようなものだ。同調だが追従ではない。二人が言葉を交わさずに意思疎通するような感覚すらある。卑近な例えだが、そんな仲間に出会えたなら、最高のセックスパートナーくらいに貴重な存在なので大事にして欲しい。そんなパートナーを持てた事など無いけど、意思が通じ合い触発し合い、高め合う感じに近いのはそれか、昔ジャズに熱中してた時代に経験した、息が合うプレイヤーとのジャムセッション中くらいだ。
風景を分かち合う喜び
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二人で走る最大の魅力は、風景を分かち合うという点にあるかもしれない。ソロで走るときには、自分だけの視点で景色を楽しむ。しかし、二人で走るときには、「あのカーブの先に広がる景色が素晴らしかったな」とか、「あの道沿いの花が見事だったな」といった共有が生まれる。
もちろん、その共有には言葉は必要ない。後で休憩地点で「すごかったよね」と言い合うだけで十分だ。二人で走った道が、その後何年も話題になることだってある。それが、二台で走ることの特別な価値だ。なので、僕はインカムは要らないかな、、と思っている。
結びに
バイクという乗り物は、根本的には孤独を楽しむためのものだ。しかし、二人で走るとき、その孤独は少しだけ色合いを変える。孤独であることを前提としながらも、ほんの少しだけ他者と交わる。その微妙なバランスが、二台で走る体験を特別なものにしている。
そして、そんな時間を一度でも経験すると、ソロでの孤独がさらに深みを増し、三台以上で走るときの楽しさもまた違った意味を持つようになる。つまり、二台で走ることは、バイクという乗り物が持つ多面的な魅力を理解するための、一つの入り口なのだ。