#1 はじめに:なぜオートバイなのか
気づけば、30年近くもオートバイに乗り続けてきた。こんな不完全な乗り物に、どうして僕はここまで惹かれるのだろう。時々、自分でも不思議に思う。冷静に考えれば、オートバイというのは、車と比べて圧倒的に不便で、危険だ。雨風は容赦なく体を濡らし、転べば物理的にも社会的にも大けがをする可能性が常につきまとう。そんな乗り物が、どうして社会に存在を許されているのか──それ自体が奇跡のように感じる。
この奇跡を大事にしたいと思う。それは、ただオートバイが好きだからというだけではない。オートバイは人がいなければ成立しない乗り物だからだ。作る人、整備する人、共に走る人、そして時には助けてくれる人たち。そしてもちろん操るライダー。そういう人々の存在が、この不完全な機械を、僕たちの生活に「あるべきもの」として成り立たせている。
想像してみてほしい。もし、今この瞬間にオートバイという概念が初めて世に出たとしたら──果たして現代社会はこれを受け入れるだろうか。答えはきっと「ノー」だろう。危険すぎる、効率が悪い、エコではない。様々な理由で却下されるに違いない。でも、そんな風に扱われる運命を持ちながら、オートバイは既にこの社会の中に根付き、今も多くの人に愛されている。だからこそ、僕はこの乗り物に心惹かれるのかもしれない。
もちろん、オートバイは危険だ。でも、それ以上に自由だ。僕はこれほど自由を体現した陸上の乗り物を他に知らない。自由には常に代償がつきまとう。だから、オートバイに乗る人は、代償を引き受ける覚悟が必要だ。でもその代償を支払ったときに得られる感覚──スピードそのものになり、風を切る喜び、景色の一部になる感覚、そして自分自身と向き合う時間。それは、他の何者にも代えがたいものだ。
僕がこれから書き連ねていくのは、そんなオートバイにまつわる徒然な話だ。30年という時間の中で感じたこと、学んだこと、そして伝えたいこと。それを少しずつ、この場所に残していきたいと思う。
もしこれらの文章を通して、誰かが少しでもオートバイに興味を持ってくれたら。それだけでも、書いた甲斐があるというものだ。そして、もしその誰かが実際にバイクにまたがる日が来たら──それ以上に嬉しいことはない。
どうぞ、気楽にお付き合いいただければと思う。