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#17 ソロツーリングの試練(悪天候との付き合い方)
↑のつづき
ソロツーリングエッセイ#8
大地の息吹と向き合う
ソロツーリングをする以上、天気の変化は避けて通れない。天気予報を確認し、晴れを願うのはツーリング前夜の儀式のようなものだが、天候は僕たちの計画に従う気などさらさらない。雨が降る日もあれば、夜に寒さが襲い、時には猛暑がすべてを飲み込む。そんなとき、僕は「地球が息をしている」と感じる。雨のしずく、風の冷たさ、太陽の熱。それらすべてが地球の鼓動として僕を包み込むのだ。
雨:透明な嘆き、情報戦も虚しく
雨は、地球が静かに息を吐く音だ。それは優しさも含んでいるが、容赦のなさも感じさせる。その日、朝から雨雲レーダーを眺めながら、峠を越えるルートを計画していた。赤い塊がどの方向に動いているかを見極め、雲を避けるようにルートを選ぶ。だが、雨雲はそんな計算をあざ笑うかのように、読めない風向きに踊りながら突然雨を降らせ始める。
峠道を走る僕を包む雨は、まるで透明なベールのようだ。しとしとと降る雨粒がヘルメットのバイザーを濡らし、視界を歪ませる。雨具の上についた水滴に体温が奪われるのを感じる。雨足によっては完璧を期したはずの防水ウェアのどこからともなく雨水が染み入ってきて、僕をげんなりさせる。
となると、欲しくなるのは雨宿り場所だ。
雨宿り、都市生活者ならちょっとしたカフェに入ってコーヒーの香りに身をゆだねるのもいい。ところが山奥ともなると、そんなこじゃれたものはない。ようやく褪せた原色の古びた屋根を持つ自販機が集まった休憩所のようなものを見つけると、迷わず僕はバイクを止める。
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なんとかなる気分にさせられる
雨宿りのために立ち寄った古びた自販機が並ぶ休憩所の屋根の下で、僕は地球の吐息を再認識する。濡れたジャケットを脱ぎ、自販機で買った不必要に熱くて甘い缶コーヒーを冷たく湿った手で握り啜りながら、優しくも厳しい自然の一部に自分がいることを実感し、妙に落ち着いた気持ちになる。
夜の雨:見えない恐怖、そして罠
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手前のPAでやり過ごす。
東名高速 美合PA上り
夜の雨は、地球が静かに息を殺し、僕たちを試しているような感覚をもたらす。ヘッドライトの光が雨粒を反射し、まるで万華鏡を通して世の中を眺めているようだ。ぼやけた光、鋭い光が無数に入り交じり、僕らの視覚を否応なく奪っていく。そんな時に表れる路面に潜む濡れたマンホールや橋のジョイント部分は、狡猾かつささやかな罠のように思える。僕は何度も肩の力を抜き、下半身でバイクと一体になることを意識する。求めているのは冷静さだ。焦り、無駄な力を入れれば、すぐにそのバランスが崩れてしまう。
夜の雨は、地球の暗い側面との対話だ。罠がどれほど厄介であっても、その中で自分を見失わないことが、ライダーとしての信念になる。陽の光がないことがどれだけ満たされないものかを思い知る。
極寒:1℃のインパクトと凍える孤独
真冬の早朝、一面霜で覆われたかのような鈍く輝く山道を走ることほど、地球の冷たい息吹を感じることはない。気温が10℃を下回る頃から、外気温計の数字が示す重みが増す。1℃下がるごとに、その冷たさが僕の体に深く刺さり始める。5℃を切り始めたとき、そのインパクトはもはや温度ではなく、生き物としての自分が地球にさらされている感覚に変わる。
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岩手県 八幡平アスピーテライン
防寒具は十分なつもりだったが、地球の冷たさは容赦なく装備の隙間を突いてくる。指先は感覚を失い、体温を奪われるたびに季節の力強さを思い知らされる。だが、その冷たさの中で、僕は一人きりの静寂と向き合う。温泉を目指して進む間、寒さという現実にさらされることで、地球の息遣いに否応無く巻き込まれる。
峠を越えた先で温泉に浸かり、冷え切った体が温まる感覚は、地球がくれたささやかな慰めのように感じられる。極寒の旅は、地球が持つ厳しさと優しさの両方を教えてくれる時間だ。
猛暑:逃げ場のない重圧と命綱の計画
猛暑は、地球が全力で熱を放つ季節だ。太陽が容赦なく照りつける中、ヘルメットの中はまるで地球の中心に近づいているかのような熱気に包まれる。汗が額を流れ、目に染みる。それでもジャケットを脱ぐわけにはいかない。暑さに抗うことは危険であり、計画そのものに「涼を取る命綱」を組み込む必要がある。
朝早いうちに出発し、早々に帰宅するか、涼しい高地に逃げ込むのが基本だ。なんなら日中はその高地で過ごし、街の熱気が冷める夕方を待ってから帰途につく。ソロツーリングなら柔軟に計画を変更できるが、グループツーリングではその調整が難しい。猛暑の中で無理をすれば、地球は容赦なくその重い代償を求めてくる。また、都市部に住むライダーの特権としては夜景を浴びるナイトライドも一興だろう。
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長野県 ビーナスライン
経口補水液をバッグに忍ばせ、水分補給をこまめに行う。喉の渇きを癒すたびに、地球の熱と僕の体が静かに共存していることを実感する。猛暑の中で感じる地球の圧倒的な力は、計画性と慎重さを教えてくれる教師のような存在だ。
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冷たい水で火照った足をしばし冷やしに寄る。
これもプランのうち。
地球の息吹と向き合う
悪天候や厳しい気候は、地球が息をしている証だ。それはライダーにとって避けられない試練であり、同時に自然の美しさと厳しさを教えてくれるものでもある。雨は浄化を、夜の雨は冷静さを、極寒は孤独を、猛暑は計画性を教えてくれる。そして、その息吹と向き合うことで、僕は少しずつ自分を知るようになる。
そういった苦難を乗り越えた先に、天国のようなシーズンがご褒美のように降りかかるのだ。例えば、春の柔らかな風が頬を撫で、薫風の本当の香りを知り、夏の早朝の森の香り、秋の澄んだ空気が肺に満ちる瞬間。そのありがたみは、普段から大地の息吹にさらされている者にこそ感じられる繊細さがあって、はじめて満喫できるものなのだと思う。
もし晴れた日ばかりが続く旅ならば、僕たちはその風や光の本当の美しさに気づけるだろうか?地球の厳しさを受け入れ、それでも旅を続けることで初めて、目の前に広がる景色がどれほど特別かを知るのではないだろうか。
とは言え、歳を取り、経験を重ねてそんなことを繰り返せば、無用なリスクは避けようと学習し、無理に悪条件に出かけることはしなくなる。
ただどうしても、自然のいたずらに向き合わざるを得なくなる時がくる。
とにかく、そんなときは無理をせず、生きていること、その次に生きて帰ることだけを考えるようにしてもらえたらと思う。その時は辛いけど、記憶を彩るピースにはなるのかなと思う。
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