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#37 まだまだ愛車紹介(理屈じゃないんだよね編:前編)【ヤマハ FJR1300AS】

理屈vs情緒のせめぎ合い

バイクを選ぶとき、僕はいつもある程度の合理性と、説明のつかない情緒的な要素の間で揺れ動く。機械としての性能はもちろん気になる。でも、それだけでは決められない。なぜなら、バイクというものは乗ってみなければ分からない部分が多すぎるし、そもそも「スペックシート上で完璧」だからといって、必ずしも自分にとって最高の相棒になるとは限らないからだ。むしろ、少しの違和感や「クセ」こそが、長い付き合いの中で愛着へと変わっていくこともある。

FJR1300ASを選んだのは、そんな理屈と感覚のせめぎ合いの末に辿り着いた結果だった。なので、ここからはほぼほぼ徹頭徹尾主観に基づいたーー客観性に乏しい、お話がまた延々と続くのだが、どちらかというと心の中のウェイトではこちらの方に重きを置いているのも事実である。故に、この際、今回も特に字数は気にせず趣くままに書いてみたい。僕にとっては主観だけど、読む人にとってはn=1の客観ともいえるけど。

合理的な理由については別の回にすでに書かせていただいた。
これはこれで事実ではあるのだが。


①大柄な見た目に反して素直な操縦性

FJR1300ASは、大型ツアラー「としては」驚くほど素直なバイクだ。もちろん、重量はある。荷物を積めば車体は300kgを超え、停車時にはそれなりの威圧感を感じる。それでも、一度走り出してしまえば、その重さは驚くほど意識の外に消えていく。低速域では車重を活かして安定しているし、高速巡航ではレールの上を滑るように直進する。曲がりたい時はさすがに軽量車のようなスパンスパンという機敏さは無い。けれど、狙ったところでバイクの傾きを止めるのも自由自在(傾きにもちろん限度はあれど)、思ったとおりのラインを描きながらコーナーを抜けていく感覚には、一種の安心感すらある。
また、重たくて大きなものをグリングリンと左右に切り返している時は、「デカイのを振り回せてる」感覚が存外に気持ち良かったりする。

大きな後ろ姿の割にグリングリンと振り回せる車体
山奥でちょっとした遊びに興じるのも楽しいが
とはいえ重たいので無理が効かない場面がある事は頭に入れておく必要はある(慣れるまでは)

ツアラーに求められるのは「長距離を、疲れずに、安定して走ること」だ。FJRは、それを完璧にこなすバイクだと思う。アクセルをひねればスムーズに(乗り手が望めば強烈に)加速し、ブレーキをかければビターっと確実に減速する。余計な演出や意図的なクセを排した、純粋な「走りやすさ」がそこにはある。まるで、優秀な相棒のように、こちらの意図を汲み取り、無理なく受け止めてくれるのだ。

でも、だからといって「クセのないつまらないバイク」かというと、決してそうではない。


⓶とはいえ多少ある操縦性の癖(合理的正しさがすべてではない)

このバイクに乗ると、すぐに分かることがある。「合理的に正しい操作」と「このバイクにとって気持ちいい操作」は、必ずしも一致しないーーことがあるということだ。このバイクで言うなら、特徴的なのはやはり近年のスポーツバイクにあっては一番重たい部類の車重と、加えてフロントヘビーに感じるところかと思う。
当然のようにブレーキ性能が同じであれば重たいほどバイクは止まりにくいし、路面のうねりを通過した時の反動(オツリ・・と言ったりしますね)はどうしても大きくなる。なのでそれらを見こして操作する必要がある。
フロントヘビーな感触はタイヤが安定的に地面を捉えている感触は得やすいものの、特にフロントタイヤの摩耗がある程度進んでくると(得てしてフロントタイヤが減りやすい)、倒した角度に対して思ったよりハンドルが切れ込んでくる挙動を示しやすかったりする。

どっしりはしているので
低速でフラついたりはしない
あまり傾けすぎるとグラッときて肝を冷やすが

特にフロントタイヤの減り具合によって曲がる時の感触が変化しやすいような気がする(タイヤ銘柄にもよって強弱はあるようにも思うが)。
そう。そこには、ある種の「クセ」がある。

このことを僕が強く実感したのは、以前FZ1に乗っていたときの経験があったからだ。FZ1は、軽快でシャープで、どんな動きにも即座に応えてくれるバイクだった。(↓で書いたやつです)

単純に運動性能でよりダイナミックに思い通りに走れる感触はFZ1に分があると思う。一般公道で「速く」走ろうとするならば、反則的な速さ(扱いやすさも含め)を持っていた。それが僕のような遅咲き(咲いてるのかどうかは別として)のヘッポコライダーであってもその享楽を享受させてくれるという意味ではエゲツないバイクではあった。

でもFJRは違う。入力に対して、少し「余裕」を持って応えてくれる。少しテンポが緩やかなのだ。その反応が逢瀬を重ねるごとに読み取れてくるようになると、乗り手側でその余裕を引き出す所作が身についてくる。そうなるともはや「癖」というアバタはエクボになる。その余裕があるからこそ、長距離でも疲れにくいし、適度な安心感を持って走ることができる。

そして、こうした「ちょっとした癖」に慣れていく過程も、バイクの楽しさの一部だ。スポーツバイクにおいては「軽さは正義」とされているが、「重さとの付き合い方、活かし方」を探っていくのも僕には愉しい作業だ。
合理的に完璧なものよりも、少しばかりの挑戦と学びがある方が、長く付き合っていくうえで面白い。FJRには、その適度な「遊び」のようなものがある。

慣れてくると、こうした山奥の細い道も楽しくなってくる。

乗ったことのない人からは「こんな重いの良く乗れますね」と言われるし、分かる人からは「乗りやすくていいよねぇ・・・・」と言われる。このギャップがまたいい。


③デザイン(シンメトリーの尊さ、双発のジェット戦闘機を彷彿とさせる)

FJR1300ASのデザインは、極めてシンメトリックだ。左右対称のフロントマスクから、きらめきを放つ2本のステンレススチールのマフラー、均整の取れたボディライン。これはバイクの世界では意外と少ない特徴のひとつで、どちらかというと「アシンメトリーなデザイン」が多くなりがちだ。マフラーは1本にまとめたほうがコストもおそらく安くなるし、重量面でも有利に(要は軽く)なることが多い。

ある種ヒコーキ的な美しさを感じる
左右対称のプロポーションだけが放てる輝きがある

でも、FJRにはシンメトリーの持つ「秩序の美しさ」がある。

加えて、そんなデザイナー的な理屈はさておいて(デザイナーじゃないし)、本音を言うとそれはまるで、双発のジェット戦闘機のようでもある。僕は常々、車体を傾けて遠心力を頭上から押し付けられる乗り物、という点でオートバイはそもそも飛行機との親和性をーー勝手にーー感じている。

戦闘機 F4ファントムのバックビュー
バーナーが2本、左右対称に並ぶ
美しすぎて鼻血が出るほどただただ好き

子供のころから原始的に持つ速いものへの憧れの、その極致ともいえるのが戦闘機だ。世代的にもトップガンを見て沸き立った世代なので、こうしたヒコーキ的な美しさや文脈を感じ取ってしまうと無条件にメロメロになってしまいがちなのだ。


③デザイン(ケレン味の無さ)

FJR1300ASには、いわゆる「ケレン味」がない。目を引くような派手なカラーリングもなければ、極端なエッジの効いたデザインでもない。どこまでも実直で、まるで職人が作り上げた道具のような雰囲気を持っている。

近くで見ると大きいが、風景を選ばずに旅の風景にしてしまう
特に他を威圧する、誇示するような見た目では無い
だけどやんわりとイイオトナ的存在感がある
(と自分で勝手に思っている)

派手なデザインのバイクには、それはそれで魅力がある。街を行く人や、出先で出会うライダーからも注目され、照れくさいやら嬉しいやら、、という気分を味わう向きもよくわかる。それはそれで楽しい。
でも、FJRは違う。静かで、穏やかで、落ち着いた美しさを持っている。そうしたある種普遍的な機能美に基づいたスタイリングは、時代の流れによって色褪せることが無い確かな魅力がある。長く付き合っていく上で、こういう「飽きのこないデザイン」というのは、実はとても大事なことなのかもしれない。


④デザイン(白バイの雰囲気)

FJRには、どこか「白バイ」の雰囲気がある。実際、海外では白バイとして採用されている国もあるし、日本でも一部(警視庁など)採用されていて、箱根駅伝の中継で見たことがある方もおられるかもしれない。

日本の白バイに採用されてもいる
ヨーロッパでもよく採用されている
圧巻ですね

その端正なスタイリングには、無駄のないプロフェッショナリズムを感じる。この雰囲気があるせいか、特に人目の多い街中でFJRに乗ると自然と背筋が伸びて落ち着いた気分になる。「飛ばすためのバイク」ではなく、「淡々と、しかし確実に走るためのバイク」なのだ。そのストイックさが、また魅力でもある。
無論、白バイ隊員のような走りは出来る訳も無いのだが、雰囲気だけでもジェントルでありたい、、とちょっと思ってしまったりする。それがなぜか心地よい気分にさせてくれたり、街中に増えた無法者的な運転をするクルマを見ても、イラっとしたりすることなく、早めに気づいてそっと距離を取ろうという行動に自然と自分が向かっている気がする。
そんなことは周りには一ミリも伝わらない事は承知の上である。あくまで自分の気分の問題である。


⑤FJRが発する音・聞こえる音(ジェット機のような倍音、落ち着いた低音、戦闘機のような空気の切り裂き方)

エンジンをかけた瞬間に、FJRの音はすぐに分かる。大排気量4気筒エンジン特有の包み込むような低音の豊かさと滑らかさに加え、どこかジェット機のような倍音が響く。低速では落ち着いた低音を奏で、高速域では甲高く鋭い音へと変化していく。(この倍音的な音は好みが分かれるらしいが)
特に、サーキットで他のライダーが操るFJRが200km/hオーバーの超高速で走る音をコースの脇で聞いたとき、その空気を切り裂くような響きがまるで戦闘機のようだった。ただの機械音ではない。まるで、空気そのものを押しのけている様が見えるかのような迫力がある。と、やはり戦闘機的な文脈をここにも(勝手に)感じてしまっている自分がいる。もっとも、この空気を切り裂く音は自分で運転してる場合は聞こえないのだが。

加えて合理的な理由のところに書いた防風性能とシャフトドライブも、その音の演出に一役も二役も買っているのだ。風がヘルメットに当たってボウボウボウという事も無いし、ドライブチェーンからのわずかな、、でも耳障りな音が混じることなく、エンジンとドライブシャフト周りから発せられる純粋な?メカノイズに包まれ続ける。
長距離を淡々と走る時などは、ある一定回転数で走る時間が増えるのだが、その時も退屈にならず、反対に刺激が強すぎず、常に心地よい音に包んでくれるので、それも長距離を走るうえでの大きなアドバンテージになる。

※ご参考(乗っている時の音に一番近い動画/海外の方のを拝借しています)


FJR1300ASを選んだ理由を言葉にすると、結局「理屈じゃない」ということになるのかもしれない。数値やスペックを超えた、バイクの持つ「雰囲気」や「乗っていて感じるもの」。そのすべてが、僕にとって「これしかない」と思わせたのだ。

バイク選びは、人それぞれだ。でも、僕にとってFJR1300ASは、まさに「しっくりくる」一台だった。そして、まだその理屈じゃない部分、、は語りつくしていない。次回、後編にて一旦締めようとは思うが、付き合うほどにまた新たな惚れポイントが出てくるような気がしている。

※長文にもかかわらず、読んでくださった方本当にありがとうございます。
 もう少し続きます(笑)↓完結編


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