犬養 毅
生没年月日
1855年(安政2年)6月4日 ー 1932年(昭和7年)5月15日
出身地
備中国賀陽郡川入村 (現:岡山県岡山市北区川入)
学歴
慶應義塾 (現:学校法人慶應義塾)
共慣義塾
二松學舍 (現:学校法人二松學舍)
年表
1855年(安政2年)6月4日
賀陽郡奉行で大庄屋の犬飼家に生まれる。
後に名字を「犬養」に改める。
1876年(明治9年)
慶應義塾に入塾。
並行して、共慣義塾、二松學舍でも学ぶ。
1877年(明治10年)
東海社設立
東海経済新報を発行
1877年(明治10年)3月
郵便報知新聞(現:株式会社読売新聞社)従軍記者として西南戦争に従軍
1880年(明治13年)
郵便報知新聞社に正式に入社
後に統計院書記官としても勤務。
1882年(明治15年)
立憲改進党に入党
東京専門学校(現:学校法人早稲田大学)第1回評議員
1890年(明治23年)7月
第1回衆議院議員総選挙において岡山3区から立憲改進党より出馬し当選。
衆議院議員 (~1932年5月まで連続当選)
1894年(明治27年)5月
中国進歩党結党
中国進歩党代表 (~1896年3月)
1896年(明治29年)3月
進歩党結党に参加
進歩党総務委員 (~1898年6月)
1898年(明治31年)6月
憲政党に合流
1898年(明治31年)10月
第1次大隈重信内閣・文部大臣 (~1898年11月)
以降、神戸中華同文学校(現:学校法人神戸中華同文学校)名誉校長、横浜山手中華学校(現:学校法人横浜山手中華学園 横浜山手中華学校)名誉校長など歴任。
1898年(明治31年)11月
憲政本党に入党
このころ、東亜同文会にも参画。
1907年(明治40年)
東亜同文会の頭山満と中国大陸漫遊
1910年(明治43年)3月
立憲国民党結党に参加
1922年(大正11年)11月
革新倶楽部結党に参加
革新倶楽部総裁 (~1925年5月)
1923年(大正12年)9月
第2次山本権兵衛内閣・文部大臣 (~1923年9月) 兼 逓信大臣 (~1924年1月)
1924年(大正13年)6月
加藤高明内閣・逓信大臣 (~1925年5月)
1929年(昭和4年)10月
立憲政友会総裁 (~1932年5月)
1931年(昭和6年)11月
第29代内閣総理大臣 (~1932年5月) 兼 外務大臣 (~1932年1月)
1932年(昭和7年)3月
内務大臣 兼任 (~1932年3月)
1932年(昭和7年)5月15日
東京府東京市麴町区(現:東京都千代田区)の内閣総理大臣官邸において海軍青年将校団により射殺され、衆議院議員、内閣総理大臣在職中のまま死去。