星 亨
生没年月日
1850年(嘉永3年)5月19日 ー 1901年(明治34年)6月21日
出身地
武蔵国江戸築地小田原町 (現:東京都中央区築地)
学歴
横浜英学所
高島嘉右衛門私塾藍謝堂
ジェームス・カーティス・ヘボン私塾ヘボン塾
開成所
ミドルテンプル法学院
年表
1850年(嘉永3年)5月19日
左官職人の佃屋徳兵衛の家に生まれる。
後に徳兵衛が蒸発失踪し、母が神奈川で蘭方医を営む星家に嫁いだことで「星」姓を名乗る。
幕府横浜英学所で学ぶ。
1867年(慶応3年)
江戸開成所で学ぶ。
1867年(慶応3年)10月
開成所英語世話役
1868年(慶応4年)
小浜藩英学校教師
1869年(明治2年)10月
大阪洋学校訓導
1870年(明治3年)
大阪開成所少助教
後、和歌山藩洋学助教、和歌山藩兵学寮教師を歴任。
1871年(明治4年)
高島嘉右衛門私塾藍謝堂、ジェームス・カーティス・ヘボン私塾ヘボン塾で学ぶ。
1871年(明治4年)10月
横浜市の英学校、修文館教師
1872年(明治5年)4月
修文館教頭
1872年(明治5年)9月
大蔵省 入省
1874年(明治7年)1月
大蔵省横浜税関長
1875年(明治8年)1月
イギリスのミドルテンプル法学院に入学
1877年(明治10年)6月
イギリス法廷弁護士資格取得
1878年(明治11年)2月
帰国し司法省付弁護士となる。
1883年(明治16年)4月
自由党常議員
自由党機関紙「自由新聞」幹事
1884年(明治17年)9月
演説内容が官吏侮辱罪にあたるとして逮捕される。
1884年(明治17年)12月
新潟軽微裁判所において禁固6か月の有罪判決。
弁護士資格取り消し処分
1887年(明治20年)
保安条例違反により東京追放処分。
1888年(明治21年)2月
出版条例違反で逮捕される。
1889年(明治22年)2月
弁護士資格回復
1890年(明治23年)12月
立憲自由党幹事
1892年(明治25年)2月
第2回衆議院議員総選挙において栃木1区から自由党より出馬し当選。
衆議院議員 (~1897年12月)
以降、衆議院予算委員長、自由党政務委員など歴任。
1892年(明治25年)5月
衆議院議長 (~1893年12月)
1895年(明治28年)3月
李氏朝鮮法務部顧問官
1896年(明治29年)4月
アメリカ駐箚日本国公使館特命全権公使
1898年(明治31年)6月
第6回衆議院議員総選挙において栃木1区から憲政党より出馬し当選。
衆議院議員 (~1902年8月)
以降、法典調査会委員、鉄道国有調査会委員など歴任。
1899年(明治32年)6月
東京市会議員選挙に出馬し当選。
東京市会議員 兼任 (~1901年6月)
1900年(明治33年)9月
立憲政友会総務委員
1900年(明治33年)10月
第4次伊藤博文内閣・逓信大臣 (~1900年12月)
1901年(明治34年)1月
東京市会議長 (~1901年6月)
1901年(明治34年)6月1日
東京府東京市麴町区有楽町(現:東京都千代田区有楽町)の東京市庁参事会議事室内で東京市長、東京市助役らと懇談中に東京市四谷区学務委員を務める伊庭想太郎に短刀で刺され東京市会議員、東京市会議長在職中のまま死去。
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