芦田 均
生没年月日
1887年(明治20年)11月15日 ー 1959年(昭和34年)6月20日
出身地
京都府天田郡宮村 (現:京都府福知山市宮)
学歴
兵庫県立柏原中学校 (現:兵庫県立柏原高等学校)
第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
東京帝国大学法科大学法律学科仏法科
年表
1887年(明治20年)11月15日
豪農で衆議院議員、丹波銀行取締役頭取を務めた芦田家に生まれる。
1904年(明治37年)
旧制兵庫県立柏原中学校 卒業
1907年(明治40年)
旧制第一高等学校 卒業
1912年(大正元年)7月
東京帝国大学法科大学法律学科仏法科 卒業
外務省 入省
1912年(大正元年)8月
ロシア帝国駐箚日本国大使館外交官補
1918年(大正7年)3月
フランス駐箚日本国大使館書記官
1923年(大正12年)6月
外務省情報部第2課長
1925年(大正14年)9月
トルコ駐箚日本国大使館一等書記官
1929年(昭和4年)4月
トルコ駐箚日本国大使館参事官
1930年(昭和5年)3月
ベルギー駐箚日本国大使館参事官
1932年(昭和7年)2月
第18回衆議院議員総選挙において京都3区から立憲政友会より出馬し当選。
衆議院議員 (~1959年6月)
1933年(昭和8年)1月
株式会社ジャパンタイムズ代表取締役社長
1945年(昭和20年)10月
幣原喜重郎内閣・厚生大臣 (~1946年5月)
1946年(昭和21年)4月
衆議院帝国憲法改正小委員会委員長
1946年(昭和21年)8月
日本自由党政務調査会長
1947年(昭和22年)3月
日本民主党幹事長
1947年(昭和22年)5月
日本民主党総裁 (~1948年12月)
1947年(昭和22年)6月
片山哲内閣・副総理(内閣総理大臣臨時代理) 兼 外務大臣 兼 終戦連絡中央事務局総裁 (~1948年3月)
1948年(昭和23年)3月
第47代内閣総理大臣 兼 外務大臣 (~1948年10月)
1948年(昭和23年)10月
経済安定本部総務長官事務取扱 兼 物価庁長官事務取扱 兼 中央経済調査庁長官事務取扱 兼任 (~1948年10月)
1948年(昭和23年)12月
昭和電工株式会社からの贈収賄事件(昭和電工疑獄)において収賄容疑で逮捕される。
1952年(昭和27年)10月
昭和電工疑獄について無罪判決。
1954年(昭和29年)
日本民主党最高委員
1955年(昭和30年)11月
自由民主党外交調査会長
1959年(昭和34年)6月20日
東京都港区白金台の自宅にて衆議院議員在職中のまま死去。