石井 菊次郎
生没年月日
1866年(慶応2年)4月24日 ー 1945年(昭和20年)5月25日
出身地
上総国長柄郡真名村 (現:千葉県茂原市)
学歴
千葉県立千葉中学校 (現:千葉県立千葉中学校・高等学校)
大学予備門 (現:国立大学法人東京大学)
東京帝国大学法科大学法律学科
年表
1866年(慶応2年)4月24日
現在の千葉県に住む大和久家に生まれる。
旧制千葉県立千葉中学校、大学予備門で学ぶ。
1890年(明治23年)7月
東京帝国大学法科大学法律学科 卒業
1890年(明治23年)8月
外務省 入省
1891年(明治24年)
元老院議官を務めた石井家の養子となる。
1891年(明治24年)11月
フランス駐箚日本国公使館書記官
1896年(明治29年)
李氏朝鮮駐箚仁川領事館領事
1897年(明治30年)
大清国駐箚日本国公使館書記官
1900年(明治33年)
外務省電信課長
1902年(明治35年)
外務省電信課長 兼 外務省人事課長 兼 外務省取調課長
1904年(明治37年)
外務省通商局長
1908年(明治41年)6月
外務次官
1911年(明治44年)8月
男爵
1912年(大正元年)
フランス駐箚日本国大使館特命全権大使
1915年(大正4年)10月
第2次大隈重信内閣・外務大臣 (~1916年10月)
1916年(大正5年)7月
子爵
1916年(大正5年)10月
貴族院勅選議員 (~1929年2月)
1917年(大正6年)8月
大陸利権に係るアメリカ特派大使
1918年(大正7年)2月
アメリカ駐箚日本国大使館特命全権大使
1920年(大正9年)
フランス駐箚日本国大使館特命全権大使 兼 国際連盟日本国政府代表部特命全権大使
1922年(大正11年)
ジェノア会議日本国政府全権委員
1926年(大正15年)9月
国際連盟軍縮委員会委員 兼 国際連盟総会副議長
1927年(昭和2年)6月
ジュネーブ海軍軍縮会議日本国政府全権委員
1929年(昭和4年)2月
枢密顧問官 (~1945年5月)
1933年(昭和8年)
世界経済会議日本国政府全権代表
1945年(昭和20年)5月25日
東京山手空襲の際に東京都渋谷区青葉町(現:東京都渋谷区神宮前)
の自宅付近にて行方不明となり、枢密顧問官在職中のまま推定死去。
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