小泉 又次郎
生没年月日
1865年(慶応元年)6月10日 ー 1951年(昭和26年)9月24日
出身地
武蔵国久良木郡六浦荘寺分村 (現:神奈川県横浜市金沢区大道)
学歴
横須賀学校
攻玉社中学校 (現:学校法人攻玉社学園 攻玉社中学校・高等学校) 中退
陸軍士官予備学校 中退
年表
1865年(慶応元年)6月10日
とび職人で請負師を営む小泉家に生まれる。
1878年(明治11年)
横須賀学校 卒業
家出して旧制攻玉社中学校に入学するが、父親に連れ戻され中退。
1879年(明治12年)
横須賀学校代用教員
1880年(明治13年)
陸軍士官予備学校に入学するが再度、父親に連れ戻され中退。
とび職人となる。
1887年(明治20年)
島田三郎東京横浜新聞社主筆秘書
立憲改進党 入党
1889年(明治22年)
東京横浜毎日新聞社(現:株式会社やまと新聞社) 入社
1903年(明治36年)
神奈川県会議員選挙に出馬し当選。
神奈川県会議員 (~?)
1907年(明治40年)
横須賀市会議員選挙に出馬し当選。
横須賀市会議員 (~?)
横須賀市会議長 (~?)
1908年(明治41年)5月
第10回衆議院議員総選挙において神奈川郡部選挙区から猶興会より出馬し当選。
衆議院議員 (~1945年12月)
1916年(大正5年)10月
憲政会総務委員
1921年(大正10年)1月
憲政会幹事長 (~1922年1月)
1924年(大正13年)6月
衆議院副議長 (~1927年3月)
1927年(昭和2年)6月
立憲民政党総務委員
1928年(昭和3年)1月
立憲民政党幹事長 (~1929年1月)
1929年(昭和4年)7月
濱口雄幸内閣・逓信大臣 (~1931年4月)
1931年(昭和6年)4月
第2次若槻禮次郎内閣・逓信大臣 (~1931年12月)
1934年(昭和9年)5月
横須賀市長 (~1935年11月)
1937年(昭和12年)5月
立憲民政党幹事長 (~1938年4月)
1942年(昭和17年)
翼賛政治会代議士会長
1944年(昭和19年)7月
小磯國昭内閣・内閣顧問 (~1945年4月)
1945年(昭和20年)12月
貴族院勅選議員 (~1946年3月)
1946年(昭和21年)3月
連合国軍最高司令官総司令部により公職追放。
1951年(昭和26年)9月24日
死去。