賀屋 興宣



生没年月日

1889年(明治22年)1月30日 ー 1977年(昭和52年)4月28日

出身地

広島県広島市鷹匠町 (現:広島県広島市中区本川町)

学歴

広島県立広島第一中学校 (現:広島県立広島国泰寺高等学校)
 
第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
 
東京帝国大学法科大学政治学科

年表

1889年(明治22年)1月30日


国学者の藤井家に生まれる。

 
1893年(明治26年)
母方の賀屋家の養子となる。
 
1908年(明治41年)
旧制広島県立広島第一中学校 卒業
 
1911年(明治44年)
旧制第一高等学校 卒業
 
1917年(大正6年)7月
東京帝国大学法科大学政治学科 卒業
大蔵省 入省
アメリカ駐箚日本国大使館駐在財務官
 
1927年(昭和2年)4月
ジュネーブ海軍軍縮会議日本国政府全権代表随員
 
1928年(昭和3年)1月
三土忠造大蔵大臣秘書官
 
1929年(昭和4年)
ロンドン海軍軍縮会議日本国政府全権代表随員
 
1930年(昭和5年)3月
大蔵省主計局司計課長
 
1932年(昭和7年)11月
大蔵省主計局予算決算課長
 
1934年(昭和9年)5月
大蔵省主計局長
 
1936年(昭和11年)5月
大蔵省理財局長
 
1937年(昭和12年)2月
大蔵次官

1937年(昭和12年)6月


第1次近衛文麿内閣・大蔵大臣 (~1938年5月)

1938年(昭和13年)12月


貴族院勅選議員 (~1945年12月)

 
1939年(昭和14年)8月
北支那開発株式会社総裁

1941年(昭和16年)10月


東條英機内閣・大蔵大臣 (~1944年2月)

 
1945年(昭和20年)8月
大蔵省戦後通貨対策委員長
 
1945年(昭和20年)9月
連合国軍最高司令官総司令部によりA級戦争犯罪人指定を受け逮捕される。
 
1948年(昭和23年)11月
極東国際軍事裁判において終身刑判決。
 
1955年(昭和30年)9月
仮釈放。
 
1958年(昭和33年)4月
減刑処分。

1958年(昭和33年)5月


第28回衆議院議員総選挙において東京3区から自由民主党より出馬し当選。
衆議院議員 (~1972年11月)

以降、岸信介内閣総理大臣経済顧問、自由民主党外交調査会長など歴任。
 
1962年(昭和37年)
自由民主党政務調査会長
 
1962年(昭和37年)8月
一般財団法人日本遺族会会長

1963年(昭和38年)7月 


第2次池田勇人内閣・法務大臣 (~1963年12月)

1963年(昭和38年)12月


第3次池田勇人内閣・法務大臣 (~1964年7月)

 
1972年(昭和47年)11月
政界引退。
自由日本を守る会会長

1977年(昭和52年)4月28日 


死去。

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