石渡 荘太郎



生没年月日

1891年(明治24年)10月9日 ー 1950年(昭和25年)11月4日

出身地

東京府東京市

学歴

学習院中等科 (現:学校法人学習院 学習院中・高等科)
 
第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
 
東京帝国大学法科大学法律学科英法科

年表

1891年(明治24年)10月9日


司法官僚で、内閣書記官長、貴族院勅選議員、枢密顧問官を歴任した石渡家に生まれる。

旧制学習院中等科、旧制第一高等学校で学ぶ。
 
1916年(大正5年)7月
東京帝国大学法科大学法律学科英法科 卒業
大蔵省 入省
以降、大蔵省司税官、大蔵省主税局国税課長など歴任。
 
1936年(昭和11年)
内閣調査局調査官
 
1937年(昭和12年)2月
大蔵省主税局長
 
1937年(昭和12年)6月
大蔵次官

1939年(昭和14年)1月


平沼騏一郎内閣・大蔵大臣 (~1939年8月)

 
1940年(昭和15年)1月
米内光政内閣・内閣書記官長 (~1940年7月)

1940年(昭和15年)7月


貴族院勅選議員 (~1945年6月)
貴族院院内会派研究会所属。

 
1941年(昭和16年)3月
大政翼賛会事務総長 (~1941年10月)
 
1942年(昭和17年)
中華民国(汪兆銘政権)最高経済顧問

1944年(昭和19年)2月


東條英機内閣・大蔵大臣 (~1944年7月)

1944年(昭和19年)7月


小磯國昭内閣・大蔵大臣 (~1945年2月)

1945年(昭和20年)2月


小磯國昭内閣・無任所国務大臣 兼 内閣書記官長 (~1945年4月)

1945年(昭和20年)6月


宮内大臣 (~1946年1月)

 
1946年(昭和21年)1月
連合国軍最高司令官総司令部により公職追放。 

1950年(昭和25年)11月4日


死去。

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