柴田 家門
生没年月日
1863年(文久3年)2月6日 ー 1919年(大正8年)8月25日
出身地
長門国阿武郡萩城下平安古 (現:山口県萩市平安古)
学歴
大学予備門
東京帝国大学法科大学法律学科
年表
1863年(文久3年)2月6日
萩城下に住む柴田家に生まれる。
1877年(明治10年)
大学予備門で学ぶ。
1890年(明治23年)7月
東京帝国大学法科大学法律学科 卒業
内閣 採用
以降、内閣書記官、法制局参事官、行政裁判所評定官など歴任。
1898年(明治31年)11月
内務省地方局長
1901年(明治34年)6月
第1次桂太郎内閣・内閣書記官長 (~1906年1月)
1903年(明治36年)7月
貴族院勅選議員 (~1919年8月)
貴族院院内会派茶話会所属。
1908年(明治41年)7月
第2次桂太郎内閣・内閣書記官長 (~1911年8月)
1911年(明治44年)5月
拓殖局総裁 兼任
1912年(大正元年)12月
第3次桂太郎内閣・文部大臣 (~1913年2月)
1917年(大正6年)9月
臨時教育会議委員
1919年(大正8年)8月25日
貴族院議員在職中のまま死去。