高橋 是清



生没年月日

1853年(嘉永6年)9月19日 ー 1936年(昭和11年)2月26日

出身地

武蔵国江戸芝中門前町 (現:東京都港区芝大門)

学歴

ジェームス・カーティス・ヘボン私塾ヘボン塾
 
大学南校
 
開成学校

年表

1853年(嘉永6年)9月19日


幕府御用絵師を務める川村家に生まれる。
後に、仙台藩士の高橋家の養子となる。

 
1863年(文久3年)
アメリカ人医師のジェームス・カーティス・ヘボンの私塾ヘボン塾で学ぶ。
 
1866年(慶応2年)
チャータード・マーカンタイル銀行横浜支店支店長代理アレキサンダー・アラン・シャンドのボーイとなる。
 
1867年(慶応3年)
海外留学をするが貿易商のユージン・ヴァン・リードに渡航費と学費を着服され、ホームステイ先では年季奉公契約書に気づかずサインさせられ、オークランドのブラウン家に奴隷として売却される。
以降、オークランド、サンフランシスコなど各地を転々とする。
 
1868年(明治元年)
帰国
 
1869年(明治2年)
大学南校で学ぶ。
後に大学南校教官。
 
1871年(明治4年)
唐津藩英語学校耐恒寮英語教師
 
1872年(明治5年)10月
駅逓寮翻訳官
その後、開成学校で学ぶ。
 
1873年(明治6年)
文部省 入省
 
1875年(明治8年)
官立大阪英語学校校長
 
1876年(明治9年)5月
官立東京英語学校英語科教師
 
1877年(明治10年)3月
翻訳業の傍ら共立学校で教師をする。
 
1878年(明治11年)
共立学校校長
 
1878年(明治11年)9月
大学予備門英語科教師
 
1881年(明治14年)4月
文部省御用掛
 
1881年(明治14年)5月
農商務省御用掛
 
1882年(明治15年)1月
農商務省工務局調査課長
 
1884年(明治17年)10月
農商務省工務局商標登録所長
 
1885年(明治18年)4月
農商務省専売特許所長
 
1885年(明治18年)11月
商標登録制度、専売特許制度調査のため欧米差遣
 
1886年(明治19年)3月
農商務省専売特許局長
 
1886年(明治19年)4月
農商務省専売特許局次長
 
1887年(明治20年)2月
農商務省特許局長
 
1889年(明治22年)3月
旧制東京農林学校校長
 
1889年(明治22年)10月
ペルーのカラワクラ銀山鉱山経営の全権代表となる。
 
1890年(明治23年)4月
カラワクラ銀山の開坑式を行うもすでに廃坑となっていた事実を知り帰国。
一時、ホームレス生活を余儀なくされる。
 
1892年(明治25年)6月
日本銀行 入行
日本銀行建築所事務主任
 
1893年(明治26年)9月
日本銀行西部支店長
 
1895年(明治28年)8月
横浜正金銀行本店支配人
 
1897年(明治30年)4月
横浜正金銀行副頭取
 
1899年(明治32年)2月
日本銀行副総裁
 
1904年(明治37年)2月
日露戦争の戦時国債調達のため米英差遣

1905年(明治38年)1月


貴族院勅選議員 (~1924年3月)

 
1905年(明治38年)2月
イギリス駐箚日本国政府特派財政委員
 
1906年(明治39年)3月
横浜正金銀行頭取 (~1911年6月)
 
1910年(明治43年)9月
男爵
 
1911年(明治44年)6月
日本銀行総裁 (~1913年2月)
 
1912年(大正元年)12月
貴族院院内会派交友俱楽部所属。

1913年(大正2年)2月


第1次山本権兵衛内閣・大蔵大臣 (~1914年4月)

 
1914年(大正3年)
立憲政友会総務委員

1918年(大正7年)9月


原敬内閣・大蔵大臣 (~1921年11月)

 
1920年(大正9年)9月
子爵

1921年(大正10年)11月


立憲政友会総裁 (~1925年3月)
第20代内閣総理大臣 兼 大蔵大臣 (~1922年6月)

 
1924年(大正13年)3月
爵位を長男に譲る。

1924年(大正13年)5月


第15回衆議院議員総選挙において岩手1区から立憲政友会より出馬し当選。
衆議院議員 (~1928年1月)

1924年(大正13年)6月


加藤高明内閣・農商務大臣 (~1925年4月)

1925年(大正14年)4月


加藤高明内閣・農林大臣 兼 商工大臣 (~1925年4月)

1927年(昭和2年)4月


田中義一内閣・大蔵大臣 (~1927年6月)

1931年(昭和6年)12月


犬養毅内閣・大蔵大臣 (~1932年5月)

1932年(昭和7年)5月


犬養首相暗殺に伴う内閣総理大臣臨時代理 兼任 (~1932年5月)

1932年(昭和7年)5月


斎藤実内閣・大蔵大臣 (~1934年7月)

1934年(昭和9年)11月


岡田啓介内閣・大蔵大臣 (~1936年2月)

1936年(昭和11年)2月26日


東京府東京市赤坂区(現:東京都港区赤坂)の自宅にて陸軍青年将校団により銃撃を受け大蔵大臣在職中のまま死去。

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