清浦 奎吾



生没年月日

1850年(嘉永3年)3月27日 ー 1942年(昭和17年)11月5日

出身地

肥後国山鹿郡上御宇田村 (現:熊本県山鹿市鹿本町来民)

学歴

広瀬淡窓私塾咸宜園

年表

1850年(嘉永3年)3月27日


浄土真宗本願寺派の明照寺住職を務める大久保家に生まれる。
後に清浦姓に改姓。
 
1865年(慶応元年)
咸宜園で学ぶ。
 
1872年(明治5年)11月
埼玉県第21区小学第三校校長
 
1873年(明治6年)
埼玉県庁 入庁
 
1876年(明治9年)8月
司法省 入省
検事
 
1884年(明治17年)2月
内務省警保局長

1891年(明治24年)4月


貴族院勅選議員 (~1906年5月)
以降、貴族院院内会派研究会常務委員など歴任。
 
1892年(明治25年)8月
司法次官

1896年(明治29年)9月


第2次松方正義内閣・司法大臣 (~1898年1月)

1898年(明治31年)11月


第2次山縣有朋内閣・司法大臣 (~1900年10月)

 
1900年(明治33年)10月
監獄協会(現:公益財団法人矯正協会)会頭

1901年(明治34年)6月


第1次桂太郎内閣・司法大臣 (~1903年9月)

 
1902年(明治35年)2月
男爵

1903年(明治36年)7月


農商務大臣 兼任 (~1903年9月)

1903年(明治36年)9月


第1次桂太郎内閣・農商務大臣 (~1906年1月)

 
1904年(明治37年)
工業所有権保護協会会長

1905年(明治38年)9月


内務大臣 兼任 (~1906年1月)

 
1906年(明治39年)4月
枢密顧問官 (~1917年3月)
 
1907年(明治40年)9月
子爵
 
1910年(明治43年)
社団法人帝国発明協会(現:公益社団法人発明協会)会長
 
1915年(大正4年)
大日本蚕糸会会頭
 
1917年(大正6年)3月
枢密院副議長 (~1922年2月)

1922年(大正11年)2月


枢密院議長 (~1924年1月)

 
1924年(大正13年)
恩賜財団慶福会(現:社会福祉法人恩賜財団慶福育児会)会長

1924年(大正13年)1月


第23代内閣総理大臣 (~1924年6月)

帝国経済会議議長 兼 内閣文政審議会総裁 兼 臨時財政調査会会長 兼 臨時震災救護事務局総裁 兼 帝都復興審議会総裁も兼任。
 
1925年(大正14年)
日本書道作振会会頭
社団法人日本新聞協会(現:一般社団法人日本新聞協会)会長
 
1926年(大正15年)
社団法人帝国軍人後援会会長
 
1928年(昭和3年)11月
伯爵
 
1930年(昭和5年)
財団法人泰東書道院会頭
 
1931年(昭和6年)
中央社会事業協会(現:社会福祉法人全国社会福祉協議会)会長
 
1932年(昭和7年)
財団法人癩予防協会(現:社会福祉法人ふれあい福祉協会)会頭
 
1934年(昭和9年)
恩賜財団母子愛育会(現:社会福祉法人恩賜財団母子愛育会)会長
 
1940年(昭和15年)
財団法人泰東書道院会長

1942年(昭和17年)11月5日


老衰により静岡県熱海市にて恩賜財団慶福会会長、恩賜財団母子愛育会会長他各種団体会長在職中のまま死去。

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