井上 匡四郎
生没年月日
1876年(明治9年)4月30日 ー 1959年(昭和34年)3月18日
出身地
熊本県熊本市
学歴
東京府尋常中学校 (現:東京都立日比谷高等学校)
第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科(優等銀時計下賜)
東京帝国大学大学院工学研究科
ドイツ、アメリカ留学
年表
1876年(明治9年)4月30日
熊本藩で儒学者を務めた岡松家に生まれる。
後に井上家の養子となる。
旧制東京府尋常中学校、旧制第一高等学校で学ぶ。
1895年(明治28年)4月
養父がなくなり家督を相続するとともに爵位も相続。
子爵
1899年(明治32年)7月
東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科 卒業
その後、東京帝国大学大学院で学び、東京帝国大学工科大学講師を兼任。
1900年(明治33年)2月
東京帝国大学工科大学助教授
1901年(明治34年)9月
ドイツ、アメリカに留学
1906年(明治39年)12月
旧制大阪高等工業学校(現:国立大学法人大阪大学 大阪大学工学部)教授
1908年(明治41年)2月
京都帝国大学理工科大学教授 兼任
1910年(明治43年)10月
貴族院子爵議員 (~1946年5月)
貴族院院内会派研究会所属。
以降、貴族院予算委員長など歴任。
1912年(大正元年)8月
東京帝国大学工科大学教授
1919年(大正8年)12月
南満州鉄道株式会社鞍山製鉄所(現:中華人民共和国 鞍山鋼鉄集団)所長
1925年(大正14年)8月
加藤高明内閣・海軍政務次官 (~1926年1月)
1926年(大正15年)6月
第1次若槻禮次郎内閣・鉄道大臣 (~1927年4月)
1938年(昭和13年)2月
社団法人帝国鉄道協会(現:一般社団法人日本交通協会)会長
1942年(昭和17年)1月
内閣技術院総裁 (~1944年12月)
1946年(昭和21年)9月
連合国軍最高司令官総司令部により公職追放。
1950年(昭和25年)10月
公職追放解除。
以降、一般社団法人東京倶楽部理事長、公益社団法人日本技術士会会長、通商産業省顧問、一般社団法人日本交通協会会長など歴任。
1959年(昭和34年)3月18日
日本交通協会会長他各種団体会長在職中のまま死去。