平成一桁の話

 毎朝、アマゾンの人工知能端末アレクサが起床アラームとともにNHKのニュースを流してくれます。ネットニュースもちまちま見ていると、中核派の議長が半世紀ぶりに姿を現し、公然活動を始めたと記事を見ました。

 いろいろな記事を見て思うのは70代、80代は元気だ。と感じることです。ちまたで○○世代とか言いますが、私の生まれた平成一桁世代は俗に「ゆとり世代」とも言われています。

 べつにゆとり教育を受けたからどうのこうのいうことはありません。ただ、30手前になって思うのは我々はどうも、「諦めの世代」でもあるのかな、と。私たちより後の人たち、平成二けた世代は「さとり世代」と言われているようですが、我々は諦めが強い世代です。

 私はあまり文句を言いません。怒りの感情もあまり表に出さないです。芸術家やスポーツ選手などは多くてもパッとしません。20代後半から30代前半で大きな不祥事を出す人も少なければ、大きな成功を出す人も少ない。

 政治もそうだと思います。私が大学生のころ、京都大学で化石のような全学連が抗議活動で講義棟を封鎖した事件がありました。おもしろいのは、我々は諦めの世代です。全学連が何かを変えよう!阻止しよう!!と言っても無視です。なんならば、そんなこと言ってる時間あるなら目の前の課題を提出しよう、単位を取ろうと黙々と冷静にバリケードを解体してしまいました。その後に、我々の後輩たちは立て看板廃止反対運動で学生部と揉めに揉めて、百万遍の交差点のど真ん中でこたつを出してみたりしているのです。

 それを我々は冷静に眺めて、バカらしい・・・。と冷めてみていました。

 学生運動とか激しい改革運動などを我々はしていません。それは何かを変えようとか言うのははなから諦めて、とりあえず今のほどほどの幸せを保持しておきたい気持ちが強いのです。祖父も安保闘争に参加して、父は学生運動に巻き込まれながら学生時代を過ごし、我々の世代の後ではシールズという若手の左派的政治活動集団の登場もありました。

 しかし、平成一桁は諦めています。世の中すべてをあきらめています。

 ちなみに、ずっと諦めていたわけでもないと思います。私が感じるのは自民党が下野した2009年あたりはまだなんとなく、改革とか何かを変えてよくしていこうと思った人もいたのだと思います。まぁ、このあたりは平成一桁で参政権を持っていた人は少なかったのもミソですが、世の中の空気としても長期の自民党政権から民主党政権に変えれば何かが変わると期待したでしょう。この空気は敏感に感じておりました。

 しかし、変わらなかったように見えた。そして東日本大震災やリーマンショックを経て、平成一桁世代が参政権を手に入れたころには何かを変えるよりもほどほどの今を守ろう、何かを変えようとしたら何かを失う、その失うものがとてつもなく大きく見えてしまった。

 経済成長と言っても、もう来るとこまで来ただろう、印鑑廃止とか言うけど印鑑押せと言われりゃおすし押さなくていいなら押さないよ、外出自粛しろというならするけど、自粛していない人にとやかく言うこともないよ。お金は欲しいけど、お金欲しさに時間を使ってお金が増えないようなら時間をとるよ。

 1989年(平成元年)から1998年(平成10年)前後に生まれた私たちはなんとなく、諦めの感情が強い、現状を維持したい気持ちが強いのです。

 確実なのは1992年(平成4年)にうまれた私も、私の友人たちも、前後の先輩後輩も似たような人たちが多い。その中で何かを変えよう!とか、右往左往している人を冷めた目で見てしまう寂しさも持ち合わせているように思っています。

 なんだかなぁ、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?