土方 久元



生没年月日

1833年(天保4年)11月23日 ー 1918年(大正7年)11月4日

出身地

土佐国土佐郡秦泉寺村 (現:高知県高知市中秦泉寺)

学歴

大橋訥庵門下

年表

1833年(天保4年)11月23日


土佐藩郷士の土方家に生まれる。
幼名は「大一郎」

 
1857年(安政4年)
江戸の儒学者、大橋訥庵の門下で学ぶ。
 
1861年(文久元年)
土佐勤王党に加入
 
1863年(文久3年)
学習院勤務
 
1868年(明治元年)10月
東京府判事
このころには「久元」に改名。
 
1884年(明治17年)7月
子爵
 
1884年(明治17年)12月
太政官書記官長 (~1885年7月)
以降、宮中顧問官、元老院議官など歴任。
 
1881年(明治14年)
内務大輔
 
1884年(明治17年)
中央衛生会会長
日本薬局方編纂総裁
 
1885年(明治18年)
太政官文書局監督

1887年(明治20年)7月


第1次伊藤博文内閣・農商務大臣 (~1887年9月)

1887年(明治20年)9月


宮内大臣 (~1898年2月)

 
1888年(明治21年)5月
枢密顧問官 (~1893年3月)
 
1893年(明治26年)
大日本私立衛生会会頭
 
1895年(明治28年)10月
伯爵
 
1896年(明治29年)
能楽会会頭
 
1899年(明治32年)
帝室制度調査局副総裁
女子教育奨励会東京女学館(現:学校法人東京女学館)館長
 
1900年(明治33年)
帝室制度調査局総裁心得
 
1903年(明治36年)
大日本私立衛生会会頭
日本美術協会(現:公益財団法人日本美術協会)会頭
 
1914年(大正3年)
宮内省臨時編修局総裁
 
1916年(大正5年)
宮内省臨時帝室編修局総裁
 
1918年(大正7年)4月
旧制國學院大學学長 兼 皇典講究所所長

1918年(大正7年)11月4日


肺炎により東京府にて宮内省臨時帝室編修局総裁他各種団体長在職中のまま死去。

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