無名人インタビュー:無名人インタビュアーになった還暦の人
2020年の2月に、qbcさんが無名人インタビューという企画を始め、約一年と半年。現在、私も含めインタビュアーが5人。本日はそのうちのお一人です。ということで、現在は無名人インタビュアーとしても活動されている、オンキさんの回。楽しんでいただければ幸いです!
本日ご参加いただいたのは、松田雄行さんことオンキさんです!
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▼イントロ
そんり:本日は無名人インタビューにご参加いただきありがとうございます。では、どういったインタビューにしていきましょう。
オンキ:どうしましょうか。
そんり:何かお話されたいこととかありますか?
オンキ:無名人インタビューって、すごい素敵な企画だなと思って。僕もこういう事がやりたかったんだと思いました。僕もね、インタビューシリーズみたいなのを数年前やってて。今、頓挫してるんですよ。
そんり:はいはい。
オンキ:それが、うちの家内がつくった企画で。どんな人にも自分の知らない生きる種っていうのがあるっていうのを、聞き出していく中で探してって。その人の一番の核みたいなのを、探り出していくインタビューをやってたんですけども。仕事のことやなんやらでしてるうちに、どんどん尻つぼんでいく形に、今はなってますね。
そんり:なるほど。
オンキ:なんでいつもそうやって、途中ですうっとフェードアウトしていくことばかりを続けていくのかなあっていうのが、自分の心に引っかかっているなっていうかな。
そんり:それは、興味がなくなってしまうってことですか?
オンキ:続かないんですよね。共感者や協力者をいつも募って、じゃあやろうよ、これ面白いねってことになってはじまるのに、だいたい2~3年ぐらいでそれが頓挫してしまって、その連続ですね
そんり:3年ぐらいは情熱で走れるけど。それ以降は本人の強い意志がないと、なかなか続けるのは厳しいんじゃないかな、とは思いますね。
オンキ:僕、今年63歳になるのかな。すごい歳なんですよ。
そんり:いえいえ、そんな。
オンキ:映像の仕事してるんですけども。じゃあ、今まで意味のあるけっこうな仕事してきてるんですけど、本当の意味で手応えないままなんですよ。このまま死ぬのかと思ったら…おい!って思いますね。
そんり:ああ、そうか。何か形に残したいというか、1つでも手応えがほしいというか。
オンキ:その、フワッとしたまんまの感じが、ずっとありますね。
▼みたまを継ぐもの
そんり:この「無名人インタビュー」に、魅力を感じられた理由は何ですか?
オンキ:逆にインタビュアーとなることで、僕自身がモヤモヤしたものを成仏させたいし。インタビューすることによって、その人の中の力に気がついて、前へ進んで行けるっていうお手伝いできればなみたいな、勝手な妄想を抱いてましたね。
そんり:なるほど。オンキさんは、もともとインタビュアーとしてご応募いただいてたんですよね。
オンキ:qbcさんに、先ずはそんりさんにインタビューしてもらったほうがいいよって言って勧められて。
そんり:いえいえそんな、ありがとうございます。先ずは、「無名人インタビュー」を体験していただきたいなっていうのが、あったんだと思います。で、以前は、映像関係とかのお仕事もされたってことで。映画を撮られてたってことですかね?
オンキ:注文仕事なんですけど、映画も1本撮りました。
そんり:どういった映画ですか?
オンキ:それがすごい特殊なんですよ、発注元が靖国神社で。どうもなんだか、コアな支持層はいるけど、若年層、これからの世代みたいなのが、自分たちの存在価値をどうも見失っているというか。伝えきれていない感じがするので、何らかの形の映像を作ってくれって言われて。1~2年ぐらい企画会議やりましたかね。で、結局ドラマを作ることにしたんですよ。
そんり:はいはい。
それが、働けなくなってるニートの青年と、バリバリとエグく仕事をしてる父と子の対決みたいなやつになったんですけど。当時の嫁との会話と自分たちの関係性を、だいぶ投影してしまったので。変な作りの映画になりましたね。80分だったんですけど。
そんり:タイトルは、どういったタイトルなんですか?その映画は。
オンキ:「みたまを継ぐもの」っていうやつですね。
そんり:その時の手応えはどうでした?
オンキ:自分では、やったなと思いましたね。
そんり:私は在日なので靖国神社って聞くと、それだけで結構ドキッとしちゃうんですよ(笑)
オンキ:しかもね、その時の制作体制が整わなくて、二進も三進ももいかなくなった時に、あの人に手伝ってもらわなきゃ今回上手くいかないよっていって、お家までお願いに行ったのが、在日の方だったんですよ。
そんり:ああ、そうなんですね。
オンキ:なんでその在日の方と、この表現は許せない、ここの部分は納得いかないんで話し合おうって言って、脚本でずいぶん闘いましたね。でもその方がいなかったら、できなかったと思います。李さんっていう女性だったんですけど。
そんり:靖国神社発注で、「みたまを継ぐもの」ってタイトルだと、戦犯のお参りじゃないけど、そういった感じなのかなって印象はしますよね。でも内容は、父と息子のドラマなんですよね?
オンキ:そうなんですよ。父親がとにかく成功者なんですよ。マテリアリスティックというか、新自由経済主義者というか。とにかく、お金を稼げて成功することこそが、この社会での勝者だっていう、言ってみれば普通の価値観の。
そんり:否定できない一面ではありますよね。
オンキ:それで息子さんは、それに乗って学校も出てなんだけど。なんかこう、やっぱり手応えのない暮らしをやってて。周りの人間とかも、就職の一番氷河期っていう設定にしたんで。自分でネットビジネス始めるヤツがいたりなんだとか、ガンガンやれるヤツがいるのに。自分は毎日、ゴミ屋敷みたいな部屋の中で、ジーッと蹲ってるっていう。そういう観点で描きましたね。
そんり:うんうん。
オンキ:そんなヤツが、お爺さん、お父さん、代わりになる世代と恋人っていう、3世代との関わりで自分を取り戻していくっていう。そこにコーヒー栽培とコーヒー焙煎をする職人さんたちとの関わりもでてきて、自分が再生していくっていう話にしたんですよ。
そんり:ああ、なるほど。
オンキ:靖国と全然関係ないじゃないかって言われるんだけど。そのコーヒーの産地が、パプアニューギニアなんですよ。そこは激戦区で、たくさんの日本人が死んだ場所で。その追悼をする旅の中から、コーヒーとの関わりがでてきて、それを恋人が繫いでくれたっていう設定で。
そんり:反戦の意味合いも、多少は込められてるって感じなんですか?じゃあ。
オンキ:反戦っていうより、他者との関わりっていうか。人を生かすために、自分を自己犠牲まで持っていけるとこまで行けると、人間ってシュッとする、みたいな。人の為に役立てる人間って、シュッとするじゃんっていうのを知ったっていうところじゃないですかね。
そんり:ああ、なるほど。
オンキ:親父はとにかく人を貶めようがなんだろうが、とにかく金だっていうことで勝ち進んでいくんだけど。それで最後は、父と子の殴り合いの喧嘩になっていくんですけど。そこでね、戦争が良い悪いっていうんじゃなくて、戦争に行くまでの日本人の誤りはあったんだけど、個人個人っていうのは、大きな運命に翻弄されながらも、朗らかに、コイツらの為に生きていくんだったって、生きてた人も沢山いたっていうところを知って、生きる目的と実感を失っていく子が、少しだけ良いものになるっていうことを描いたんですね。
そんり:現代は犠牲って言葉が、ものすごく嫌われてますよね。
オンキ:なんでかな。
そんり:それはまるで悪だ、みたいな。でも最近、友人とたまたま話していて、犠牲も極めれば愛なんだって、その友人が言ってたんですけど。
オンキ:すごいですね、それね。
そんり:なんかこうなんだろう…それを犠牲と呼ぶか、貢献と呼ぶか、愛と呼ぶか、それは人によって違うと思うんですけど。
オンキ:うん。
そんり:その上でいま、自分たちが生きているっていうところにも、やっぱり繋がってきますよね。誰もが時代に翻弄されてみ生きてるんで。当然、私たちもそうだし。なんかあれですね、タイトルと発注元からは、全く想像つかないような親子ドラマというか。
オンキ:だから、全く関係ないって言われないように、どれだけ関係があるようにしていくかっていうことで、そういう設定を。それでもかなり、遺族会の方々とかとも相談して、了承を得て作ったんですよね。
そんり:それはかなり大変でしたね、いろんな方の想いがね、交錯しているので。
オンキ:結構ヘビーでしたね、本当に色々ありました。
そんり:でも何かを表現するってになった時に、誰も傷付かないっていうのは有り得ないですからね。
オンキ:そうなんですよね。真反対の立場の方が喧喧諤諤として出した提案に、ダメ出しをしてくる時のほうが、良いものになりますね。それいいね、それでやろうっていった時は、大概はフニャフニャのもんになりますね。
そんり:ああ、はいはい。それはわかる気がしますね。
オンキ:最初はね、なんでそんな酷いこと言うかなって腹立ててましたけど。今は来たなと、チャンスだぜと。こんな横槍入ってきたぞ、しめしめと思うようになりましたね。
そんり:本当、そうですよね。賛同者ばっかりってことは、外野には届いてないってことですからね、基本的には。
オンキ:本当、わからずやの真逆の立場のやつに、揶揄中傷された時の方が良いですね。
そんり:本当にそうですね。そうなって初めて、自分の手の届く範囲を超えた所まで届いたんだなって実感できる。
オンキ:自分の出した、テーブルに出したものを、いろんな角度から見るようになりますしね。
そんり:自分がアウトプットしたものに対して、感情的になってくれるっていうことは、その人の心に触れたって認識なので、私はそういうのを、基本的にはポジティブに捉えてるほうなんですけど。
オンキ:ただ、それが本当にその人の、心からの信念から言ってる場合はいいんですけど。保身から言う人もいるんですよね。
そんり:もちろんもちろん。
オンキ:その時にね、抑えきれない怒りが爆発して。ビジネスに参加してる人間としては、あまりやっちゃいけないぐらいの抵抗運動も、まあ仕方ないねっていうふうに流せないですね、なかなか。
そんり:ああ、本当に作家の方なんですね。
オンキ:そうなんですかね?注文仕事ばっかりなんですけどね。
そんり:モノを作る方というか。うまく折り合いがつけられないっていうことですよね。
オンキ:なかなかつけられないですね。
▼父親とマッチョ信仰
そんり:お話伺ってると、映画の内容がオンキさんの幼少期とか人生とかと、リンクしてるようにも感じるんですけど。
オンキ:その通りだと思いますね。
そんり:オンキさんは、どういったお子さんでした?
オンキ:一人遊びな子でしたね。父親が小学校4年の時に死んじゃってるんですよ。
そんり:大変でしたね。
オンキ:全然大変じゃないんですよ。その父親の死もね、なんだか自分で受け止めてないんですよ、僕。死体として横たわってる父親見ても、なんだかふざけてるような状態で。お葬式の時も、ぴょんぴょん走り回ってましたね。
そんり:差し支えなければお伺いしたいんですけど、ご病気で亡くなられたんですか?
オンキ:肺結核で亡くなりました。結核がまだ、死病だったころなんですよ。
そんり:そうですよね。お父さまは、厳しい方だったんですか?
オンキ:いえ、これが非常に不思議な、大変なインテリだったんですけども。なんていうのかな、いわゆる立ち塞がって、自分の人生の価値だとかで断罪したり、ビシビシ鍛えるとかっていうことが、父親としてありますけど。そういうところが、ほぼなかったですね。
そんり:ああ、なるほど。
オンキ:よく覚えてるのが、死の半年ぐらい前かな。テープレコーダーで、家族のインタビューを父親がしたんですよ。
そんり:へえ。
オンキ:子供の頃、怪獣映画とかが好きだったんで、僕、雄行(おさゆき)っていうんですけど。雄行くんは怪獣っていうのがどうも好きなようだが、君にとって怪獣っていうのは、どういう存在なのかねってことを聞いてきたんですよ。
そんり:変わったお父さまですね。
オンキ:変わった父でした。小学校3年生の僕にそれを聞いてきまして。そんなこと、まともに答えられるわけがないじゃないですか。だから、グワーッときてるだとかドカンとしてるとか、そんなこと言ったと思うんですけども。そのときにはっきり覚えてるのが、父親は、自分の子供として現れた僕という人間そのものを、興味深い存在だと思ってくれてんだなって。その暖かい感触だけは、すごく覚えてるんですよ。
そんり:はいはい。
オンキ:そこんとこは、僕も継いでるような感じはしますね。
そんり:それが、この「無名人インタビュー」のインタビュアーとして、立候補してくださったところに、つながってますね。
オンキ:根っこにはきっとあると思いますよね。あと親父はインテリだったんで、自分の子育てのことについても、書いてたんですけども。それを友だちの学者に、批判されてましたね。
そんり:なぜですか?
オンキ:父として、そのような子との関わりをするのは、それは正しいとは言えないと思うよって批判されてるのまで、親父の遺稿集に載ってて。それって歪んだ親子関係なんじゃない?って周囲に見られてたんだなって、3〜40年経ってから知りましたね、それは。
そんり:現代の父親像としてはすごく理想的ですけど、それって半世紀ぐらい前ですもんね。
オンキ:半世紀前ですね。
そんり:と思うと、お父さまはかなり先を行ってたというか。周りの同年代の男性達には、なかなか理解はされづらいでしょうね。当時の“男として強さ”という意味では。
オンキ:学生の時は男の強さっていうものに、めちゃくちゃ負のイメージしかなかったですね。
そんり:ああそれは、どういったところに抵抗があったんですか?
オンキ:なんだろう。すごく醜く汚く、実は弱い。もうとにかく、男が男であることが本当に嫌だなって、男ながらに思ってましたね。
そんり:ああ、なるほど。マッチョ信仰みたいな。
オンキ:非マッチョ信仰なんですけど。ただ、自分の中に、すごいマッチョな部分もあると思うんですけど。非マッチョ信仰ですね。
そんり:今こうやってお話をお伺いしてて、そういったイメージは、全くないですけど。私よりちょっと上の世代の男性とかだとね、そういうのありますもんね。
オンキ:まあでも、仕事柄っていうのかなんていうか。いわゆる男社会成功型マッチョみたいなの、僕の周りの人には意外と少ないんですよ。少し柔らかく身を保ってないと、発想が湧かない、仕事にならないっていう人たちが多いんで。いわゆるマッチョな、いわゆるオッサンみたいなのは、少なめですね、周囲は。逆に言うと、承認を拗らしてる困った老人が、たくさんいますね。
そんり:このインタビューの前に、オンキさんのFacebookのプロフィールを送っていただいて。事前情報ぐらいで、さらっと見させていただいたんですけど。でも見た目は、ごりごりのマッチョですもんね(笑)
オンキ:ですよね。これで、マッチョで男性的なものに忌避感が高かったとか言っても、どこがやねんって突っ込まれると思いますよ(笑)
そんり:だってスキンヘッドで、髭をたくわえていらっしゃるじゃないですか。さらに、靖国発注の映画を撮ってる人って知った時、これはヤバいと。めっちゃくちゃ右なんじゃないかって、かなり不安もありましたけど。
オンキ:百田さんみたいなの、出てくるんじゃないかって感じですよね(笑)
そんり:そうそう。でも、このインタビューどう転ぶんだろう?って、楽しそうだぞっていうのもありましたね。
オンキ:丸裸にされるんじゃないかと思って、実はね。怖えなって思ってしまって、僕、ビクビクしてましたよ。
そんり:いやいや、そんなこと(笑)でもなんかそう考えると、どうしても映画の話がメインになってしまって、申し訳ないんですけど。映画の中での父親像って、オンキさんにとっての社会制度とか、社会の生きづらさっていうのかな。
オンキ:そうですね。
そんり:レールに乗ってない人間の生きづらさの象徴なのかなって、そう感じたんですよね。
オンキ:まさにそうだと思いますね。
そんり:今の社会とかに対しての不満って言うと、嫌な言い方ですけど。どういったところに生きづらさを感じたりとか。もっと、こうなるといいな、みたいなのって、お持ちなんですか?
オンキ:妄想からすると、社会全体が森に帰っていく最中なんじゃないかなって感じがしますね。
そんり:森に帰るっていうのは、どういったことですかね?
オンキ:森から草原に出て、畑をつくり、里山をつくり、工場をつくり、都市というものに守られた人工世界をつくり。そして、それを精緻にしていって、ネットワークを組むっていうふうにしたけど、結局、それがもう一遍、森に戻っていく最中だって感じがしますね。
そんり:また原点回帰をしている最中っていう感じですか?
オンキ:新しい形の。それで、どんどん発展していくときに、知恵と能力を使って、お金が動かして循環させるっていうシステムを、ここ300年ぐらい?がんばって回してきたんだけど、それが首を自分たちで絞めるようになってきて。今、自分は何をやってるんだろう?っていうことに気がついた人が、30年ぐらい前から増えてきて、二進も三進も行かなくなってきて、っていうところ。それでそこから外れて、色んな事とを始める人が増えてる。そうじゃない生き方をしてる人が、そこでも楽しくやっていけるよっていうのを、実例を見せてくれてて。そっちも良さそうだなあって、みんなが指を咥えながら、どこへ行こうかなって思ってるのが今、って感じはしますけどね。
そんり:いわゆる終身雇用も危ぶまれてますしね。戦後、日本人がこの日本っていう国で信じてたものが、崩壊してきてますよね。確実に。
オンキ:その崩壊を認めたくないですよね、おじいちゃんたちは。そのおじいちゃんたちからやってくるお金にぶら下がってる人も、実は崩壊してるけど。大丈夫ですまだまだいけますよ、みたいなのを、裸の王様たちは囃し立ててるって感じがしますよね。
そんり:気持ちもわからなくないですね。自分の信じてたものが、目の前で一気に崩れ去るのって、やっぱり誰も、私もそうですけど、見たくないですもんね。怖いですもん。
オンキ:そうですね。
そんり:そういうふうに生きてきた先代の人たちが、間違ってたとも、やっぱり思わないですよ。その時代の中で、自分がやれることを一生懸命やってた。
オンキ:そうですね。そのときそのときの真実っていうのかな。そこではもう、やるせないじゃないや、いたしかたないじゃないや、とにかく止むに止まれずそこでやらざるを得ないことを、皆さんがやってた事を断罪するなんてことはできないですよね。
そんり:できない。できないけど、変化はやむを得ないし、変化に乗れない人は淘汰されていくのは自然界の摂理ですし。それが社会単位で起こってるなっていう感じは、やっぱりありますよね。
▼ガラパゴス化にあらがう還暦
オンキ:僕、個人単位でも、どんどんガラパゴス化してますよ。
そんり:そうなんですか?そんな感じ、しないですけどね。
オンキ:いやいやいや。よく家内にも言われるんですけど。「このバブルの生き残りが」って言われるんですよ。
そんり:(笑)
オンキ:僕のころの制作体制っていうのは、お金もあって、分業がいくとこまでいってて。とにかく何十人っていうスタッフが、企画から制作から仕上げから発信まで、寄ってたかって作ってた時代の中にいた人間なんですよ。でも、今はそんりさんも含めて、さっと人と関わり、さっと纏めて、さっと出せるっていう。メディアを確保する為に色んな人を煩わしたり、お金が必要だったりする世界ではないじゃないですか。当たり前のことですけどね。だったらそこに、身を合わせていけばいいじゃんっていう世の中になってるのに、全然対応できてないですね、僕は。
そんり:そうですか?こうやってインタビューにも参加してくださって、インタビュアーとしても立候補してくださってるって時点で、変化に対応していこうっていうお気持ちがあるんだと思います。良い意味で、諦めてないというか。
オンキ:その通りですね、足掻きながらダラけてるっていう感じですね。
そんり:ダラけてるんですか?そんな感じしないですけどね。さきほどね、みんな、自分で自分の首絞めてるよねって仰ってましたけど。どういったところで、そういうのを感じます?周りの人とか、ご自身とかも当然あるだろうし。
オンキ:周りの人はね、わりと頭のいい人が多いんですけどね。頭がいいっていうか。上手く距離をとって、そこに必要な分だけお付き合いをする。それに従って伸び縮みしながら、新しい現実に対応する、自分の試みをやってるみたいな、頭のいい人がいっぱいいるんですけど。でも、なんだかな。僕がお金をもらって映像を作る人たちっていうのはその逆で。古い体制の中で、それでもなんとか生き延びなきゃいけないっていう。なんていうかな、虚像のような人たちとのお付き合いが多いですね。
そんり:そういうところに、そういう人たちも含め、そういう人たちと仕事している自分みたいなのに、嫌悪感をお持ちなんですか?
オンキ:嫌悪感っていうか、言ってることと付き合ってる人、違うじゃんって。頭がそっちに突っ込んでんのに、腰から下はそっちにいるんだ、みたいな感じですね。
そんり:そこにご自身に居心地の悪さを感じてるっていう。
オンキ:ありますね。
そんり:ああ、なるほど。
オンキ:そんりさんも昔、踊り場がお好きだったようですけど。未だに僕は好きなんですよ。そのキワッキワの音楽の現場のところに行けば、そういう会話が聞こえてきたり。そういうのから、逃れてっていうのは変だけども。己の自由を自分で仕立ててるような人とは、たくさん出会えるじゃないですか。
そんり:はいはい。
オンキ:そうすると、やっぱりホッとしますね。
そんり:やっぱりそちらのほうが、居心地がいいと。
オンキ:明らかに居心地はいいですね。
そんり:今オンキさん自身で、何かしら企画はされてないんですか?
オンキ:ないですね。インタビュープロジェクトが存在してる間に、あまりにも音好きなので、音で語り合う場みたいなのを企画して、二度ほどやったことはあります。
そんり:音で語り合う場っていうのは、どういう?どういった催しというか。
オンキ:「音起カプセル」っていうのをやったんです。1番最初に自分を開いてくれたと思った音と、2番は自分がどんなに落っこちてもこれは聞けるっていう音、3番目はこれが今の自分だなと思える音を、3つ持ってきてもらって。その音を流しながら理由を話してもらい、お互いの根っこを曝け出し合うみたいな会を、2回ほどやりましたね。
そんり:でもそれ、オンラインでも全然できますよね。ZOOMとかで。
オンキ:やっていけますね。そうだ、なんでそっちに行かないのかな。出来ますね、それね。
そんり:うん、今からでも。
オンキ:そんなの、集うのも簡単だし。あんまり多くなるとね、話せないんです。これ、けっこう話が、6人ぐらいでやったときとかも、どんどん個人的な話になっていきましたね。あとそれが個人的であればあるほど、じゃあ僕・私も、そこの話していいんだっていうのの扉が開いちゃって。どんどん広がっていくっていうのはあって、結局4時間ぐらいになっちゃいましたね。
そんり:やっぱり、自分のこと知ってほしいなとか、認めてほしいなって、誰でもそういう欲求って絶対あると思うので。また共感してもらえたときは、より嬉しいし。
オンキ:あと、語りたい語りたいってずっと思ってるっていうよりは。あ、これを語っても良いんだみたいなところに、他の人の手が入ってくると、岩が溶けていって、そこの奥にあった自分が本当に語りたいものが、そんなところにもあったんだって見っけるみたいなものってありますね。
そんり:他人の手を借りて、自分を知るみたいなのはありますよね。
▼アウトロ
そんり:残り、あと10分ほどですけど。インタビュアーとしては、qbcさんとお話していただいて決まると思うんで。私のほうから何とも申し上げられないんですけど。
オンキ:いや、もうこれから、無名人インタビューの愛読者になりますよ。すごい面白いです。
そんり:ありがとうございます。今までのそういった制作もされていて、今後も人に関わるお仕事をされていきたいって、思ってらっしゃると思うんですけど。このまま朽ち果てたくないって仰ってましたけど、寿命がだいたい80歳ぐらいだと思ったら、あと20年もあるじゃないですか、オンキさん。
オンキ:そうですよね。
そんり:ただ“死”に対しては、私よりもよりリアルに感じられていると思っていて。どう死んでいくかみたいなところまで見据えた時に、どう生きていきたいとかってあります?お仕事でもなんでもいいんですけど。
オンキ:ちゃんと人と関わって行きたいですね。知らん人に、まったく新しい人と話すのは、もうそれこそ楽しみでしかないんで。それが、何かを作ることであったり、畑に行くことであろうが、遊ぶことであろうが。それでちゃんと関わって、人と火花を散らし続けて行きたいですね。
そんり:うんうん。それが何か作品になったり、何か自分の活動の1つになったりっていうことですよね。
オンキ:ある意味、ぼんやりしてますよ。
そんり:形が見えてないっていうだけですよね。やりたいことは決まってるんですよね、だから。
オンキ:そうですね。
そんり:人と関わっていきたいっていうことですよね。
オンキ:それはもう、間違いないですね。
そんり:今後、どういった活動をメインでやっていくかって、ボンヤリでも考えてらっしゃいます?
オンキ:今、それは手探りなんですよ。であるからこそ、インタビューしてみたいっていうのは、さきほど言ったことの逆反射ですね。人と話すことによって自分を知るっていう場を、ちゃんと持ってたいっていうのが、インタビュアー募集に手を挙げた理由なのかもしれません、僕の。
そんり:ああ、なるほど。
オンキ:他人へ投げたボールが、こっちへ返ってきて。真っ暗闇の中にボールがコーンって当たった部分は、そこもまだ自分だったんだって思う部分も含めて、自分の全体像がおぼろげに見えてくるけど。それまた変わっていくじゃんみたいな、そんな感じですね。
そんり:本当にそうだと思います。他人が自分を作ってくれてるっていうのは、すごくありますよね、やっぱりね。たぶん今後、インタビュアーとして参加していただくことになるとは思うんですけれど。
オンキ:とてもやりたいですね。
そんり:その時は、どうぞよろしくお願いします。
オンキ:こちらこそ、よろしくお願いします。
そんり:今日はありがとうございました。
オンキ:ありがとうございました。
編集協力:有島緋ナ
〜終〜
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