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無名人インタビュー:河口慧海の軌跡を辿ってたら植村直己冒険賞を受賞しちゃった美容師の人

いつかチベット行きたい!ヒマラヤ行きたい!ポクスンド湖見たい!とのたまってた私に、友人が「そんりちゃんの好きそうな子がいるよ」と紹介してくれたのが、稲葉香さんでした。(亜由美さんありがとう!好き好き大好き!)

リウマチなのに、ヒマラヤ登山?西ネパールで122日間越冬?美容師?はあ?まじクレイジーだわ…こりゃ話を聞かんといかん!とインタビューを打診したその翌日…「植村直己冒険賞」を受賞しちゃった!ので、無理矢理、美容院に押しかける形でのインタビューとなりました。この過剰なライブ感、楽しんでいただければ幸いです。

本日ご参加いただいたのは、稲葉香さんです!
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▼イントロ

そんり:今日はよろしくお願いいたします。

稲葉香(以下、香):よろしくお願いします、今日はカットで良かったですか?

そんり:はい、カットで。

香:分け目は真ん中?

そんり:はい、真ん中で。あ、インタビューもよろしくお願いいたします。

香:はい、よろしくお願いします。

そんり:えっと…今のご職業は?っていうか、今はどういう状態なんですか?

香:メインの仕事は、美容室を一人で経営していて。で、これ一本だったんですけど、ヒマラヤに通う活動がどんどん盛んになって行って、講演会も増えてきて、ヒマラヤの活動は傍って感じでやってきたんですけど、今年から美容師の傍らをやめて、「ヒマラヤに通う美容師」に変えようと思っていたら、受賞するということになり驚きで。でも美容師も面白くなってきて…。

そんり:はいはい。

香:なんで、今の職業は「ヒマラヤに通う美容師」(笑)

▼ヒマラヤに通う美容師、爆誕!

そんり:「植村直己冒険賞」って今年で何回目なんですか?

香:今年で25回目やったかな…。

そんり:今まで女性の受賞者はいたんですか。

香:いましたよ。いましたし、すごい人ばかりなんですよ。

そんり:いわゆる、プロの登山家とか冒険家ばかり?

香:そう、ホンマにすごい人ばっかりやったから、もうビックリしかなくて。

そんり:失礼だったら申し訳ないんですけど、いわゆるプロの登山家・冒険家ではないじゃないですか。登山家のカテゴリー?

香:登山家って私もイマイチわからないんですけど。でも分かりやすいかなって思って、「登山家ですか?」「はい」ってだけなんですけど。なんかやっぱりこうね、カテゴリー分けにしちゃいがちで。でも自分では説明出来ひん。

そんり:今、香さんの中で一番時間を割いてる活動は講演会とか?

香:そうですね。講演が増えて、出版物の発売も決まったので、今はそれに全力投球してる最中です。それは賞を頂いてからではなくて、前から決まっていたやつで、まだ他にも出したいものは沢山あるんですけどね。で、今やってるのはガイドブック的なやつですね。

そんり:西ネパールのガイドブックみたいな?

香:めちゃめちゃガイドブックではないけど、写真がたくさん載ってる。

そんり:写真は香さんが撮るんですか。

香:そうですね。好きな事は全部やるってスタンスで、とにかく自分が興味のあることはやりたい。

そんり:その中で一番興味があったのが、山だった?

香:うーん、山っていうか旅ですね、山の旅。さっきもチラッと話しましたけど、今は使命感が湧いてきてるテーマがあって、それを私のやるべきことでやろうっていうのが見えちゃったんで。

そんり:それはどういった、テーマですか。

香:河口慧海っていって、120年前の僧侶がいまして。仏典を求めてヒマラヤのチベットに密入国した方が、大阪の堺市出身でいるんですけど。その方の辿ったルートがカッコええな!

そんり:おお。

香:で、河口慧海の事をを調べてたら、私と同じリウマチ持ちやっていうのが分かって。

そんり:河口慧海はどういうルートでチベットに行ったんですか。

香:日本→中国大陸での陸路でラサ(チベット)を目指す方が多いんですけど、河口慧海は神戸港から出発して、インド→ネパールと語学を学びながら、現地情報を収集しながら、現地人になりすまして行くんですよ。しかも、ネパールから東に進まないで、西へ逆方向!西チベットの聖地のカイラス巡礼までしてから、ようやく東へと進み目的地ラサへと到着!超大回りの寄り道しまくり、これがまた、めちゃくちゃカッコええ!!

地図

そんり:へえ!

香:それが、先ずカッコええなって思ったのと、河口慧海のハングリー精神。だいたいその当時はまだ鎖国時代で、日本だけじゃなくて世界中やと思うんですけど、仏典を求めてチベットを目指すっていうのがあった中で、みんなお寺の修行だったりとか、政府からお金貰ってたとかで、行ってた人もいたみたいなんですよ。でもそれって、“行かされてる”って感じやん。でも河口慧海さんの場合は違う、自分の意思でやり遂げたんですよ。まだ鎖国時代だから、途中で殺されるかもしれへん、拉致されるかもしれへん、何があるかわかれへん。そんな情報がない時代の中、しかもリウマチで体で成し遂げたって、単純に「カッコええ!」ってなって。

そんり:確かに、カッコいい!

香:きっと、強烈にぶっ飛んだ人だったと勝手に想像してるんですけど。で、そのリウマチ持ちだったっていうのが、私の中でめちゃくちゃ大きくて。リウマチで、こんな長期で海外に行けんのかって、山も登れるんかって。そういう色んな要素が、私に勇気を与えてくれたんですよね。

そんり:うんうん。

香:じゃあ私もしてみたいって、出来る限り、同じ道を歩いてみたいってなって。それも最初はただのマイブームで、最初は自分で行ける範囲内で楽しんでたんですよ。ネパール側とチベット側も行ってみて。そうしてるうちに楽しいから、気持ちも紛れて、体もラクになるんですよ。でも、個人で行ける範囲なんて決まってるし、「これ以上はプロの世界や、私なんかが行ける訳がない」って思って、それ以上は諦めてて。でも、やっぱり気になるから、色々と調べていくうちに、河口慧海の研究プロジェクトがあるってのを知ることになって、そのプロジェクトの記録を、新聞とか本とかで読み漁ったんですよ。そうしたら、我慢出来へんくなって。

そんり:(笑)

香:まだその時はmixiの時代やったんですけど、その想いを日記に書いたら、その研究してる人たち知ってんでってて、そこにコメントしてくれた人がおって。その人は、当時勤めてた美容院の、常連さんの旦那さんの友達。

そんり:遠い(笑)

香:そう、ムッチャ遠いねんけど(笑)でもそこの繋がりだったら、メールさせてもらおうと思って。どうやったら、河口慧海の研究してるおじさんらと連絡取れるんですか?って。で、失礼じゃなければ、そのおじさんの連絡先を教えてくれって言ったら、その人が、この私の暑苦しい想いを伝えてくれて、繋いでくれたんですよ。そっからメールのやりとりが始まって。もうメールだとあれやから、話しに来たら?って。

そんり:おお。

香:でも実際に会いに行ったら、そのおじさんもビックリしてて。まだ30代半ばやったかな?その会った日に、熱い想いをぶつけたら、その年にまた河口慧海ルートの再調査いに行のが決まってたらしくって、その調査隊に入れてくれることになって。

そんり:ええ!すごい!

香:いやほんと、めっちゃラッキーでした。どこの馬の骨か分からんような、私みたいなのが。その人たち、日本山岳会のちゃんとした人たちなんですよ。そのおじさんは、もう亡くなっちゃったんですけど。

そんり:その方のお名前は。

香:大西保さんって方なんですけど。その方は「河口慧海ルート」の第一人者やったんですよ。そんなことも知らんと、山岳会がなんぞっていうのも知らんと。想いだけで「おじさん、話聞かしてー!」って(笑)で、それがキッカケで大きな遠征に行かせてもらって。その時に、今につながるおっきな扉を開けた!みたいな。

そんり:ステージが上がってる!

香:もうもう、ほんまに。その時、色々大変やったけど、でも楽しさの方が上回っちゃって。で、その『河口慧海プロジェクト』に携われるよになって、そのおじさんたちのね。

そんり:おじさん、おじさんって。偉い人たちなのに(笑)

香:そうそう(笑)みなさんご高齢なんで亡くなっちゃった人も結構いるんですけど。で、その『河口慧海プロジェクト』ってすごいプロジェクトやから、これをちゃんと次の時代に残しておきたいって気持ちが出てきたのと、それとは別に河口慧海さんのご親族とも繋がりが出来て。で、ご親族から連絡もいただいて、すごい応援してくれて。私も定期的にお会いしにって、色々報告するんですけど、それもめっちゃ喜んでくれて。

そんり:そりゃ嬉しいですよね。自分のご先祖様のルーツを他人が辿ってくれるって。

香:勝手にやけどね(笑)

そんり:そりゃ、勝手にだけど(笑)

香:いやあ…今まで誰も河口慧海さんの話なんて聞いてくれへんかったのに、受賞と同時に、色んな人が聞いてくれるわ(笑)

▼ベトナムのスケボー少年と植村直己

そんり:そもそも、旅に行くようになったキッカケって、何ですか。

香:それはリウマチが痛すぎて。

そんり:リウマチを発症したのはお幾つですか。

香:18歳、高校卒業して美容師の専門学校に入った頃ですね。でもリウマチって判明するまで、少し時間がかかって。最初は腱鞘炎かなって思ってて。でも、どんどん手が動かなくなって。ある日、自転車と正面衝突したんですよ。その時に右足を負傷して、ただの捻挫やと思ってほったらかしにしてたんですけど、たまたま地元の接骨院に行ったら、そこがリウマチ専門のところで。そこで血液検査して、一発でリウマチって言われて。「え?それって、おばあちゃんがなる病気ちゃうん?」って。で、とりあえずお母さんに報告したら、「アンタそれ一生治らへんやつやで」って言われて、「え?ウソやん…マジか!」って。

そんり:ああ。それはショック。

香:でもその時代はネットがなかったから、本屋行って立ち読みしても、暗いことしか書いてへんし、痛みはどんどんヒドなっていくし。でも専門学校行かせてくれた親に悪いと思って、とにかく国家試験を受けて、美容師にはなったんですけど、どんどん悪くなって行くんですよ。

そんり:それまではそんなに痛くなかったんですか?

香:いや、痛かった!

そんり:最初からめちゃくちゃ痛いんですか。

香:最初は指が痛くなって、だんだん肩が上がらんくなって、次は足。

そんり:え?じゃあチャリにぶつかった時点で、もう全身痛かったの?

香:痛かった!(笑)

そんり:え!何で病院行かんかったの(笑)

香:いや、最初は本当にただの腱鞘炎だと思ってて…。あ、量感は減らしたいですか?

そんり:あ、量感はそのままでお願いします。

香:じゃあ一旦流しますね。

そんり:はい。

*****シャンプー台へ移動

香:一応、大手の美容院に就職したんですけど、手が痛くてカットも出来んし、職場でも色々会って、小さな個人店に移ることになったんですよ。アメ村にある、ちょっと自分好みの店に。でもそこも忙しくて、体の痛さは変わらんし、一緒やんって。で、どんどんリウマチも悪なってって。それと同時に時間がなさすぎる生活が嫌んなって。

*****シャンプー台から移動→頭皮マッサージ

香:あ、これリフトアップするやつね。

そんり:これなんてやつですか?

香:あ、これなんやったかな…フットなんとかって全身に使えるやつで、なんでも出来るんです。歯磨きもなんでも。でも私はこれ虫除けで使ってたりする、スースーして気持ち良いじゃないですか。

そんり:うん、するする。あ、そうそう私、時々ハイキングで鈴鹿山脈辺りを歩くんですよ。で、あそこってヤマビルが凄くて。

香:あ、そうやん。御在所とかヤバイやん。

そんり:そうそう。で、ヒル避けでハッカ水作って全身に振りかけて行くんですけど。

香:あれ効きます?

そんり:ヒルは寄ってこないけど、ハッカ水って他の虫が寄ってくるらしい。

香:アカンやん、それ。私、網の帽子被ってますよ。おばちゃんとかが被ってるやつ(笑)

*****頭皮マッサージ終了

そんり:で、美容院で働きながら旅に出ると。

香:普通、美容院てあんまり休みがないじゃないですか。でも、とにかく旅に出たかったんですよ。

そんり:それは、以前から旅に出たいなって思ってたんですか?

香:あったんですよ、バックパッカーやってみたいなって。『アジアン・ジャパニーズ』って本を読んでね、それがすごく面白かったんですよ。若い時ってね、エネルギーが有り余ってて、どこにぶつけていいか分からんみたいな。で、私はとにかく旅に出たくって。で、最初の旅がベトナムやったんですよ。で、そこで普通にベトナム料理食べたり買い物したりして、楽しむつもりやったのに、なんか手足のない人たちばかりに目が行くんですよ。自分がリウマチで手足痛いから。

そんり:ああ、はいはい。

香:でね、たまたま見かけたスケボーに乗った男の子がいたんですよ、上半身だけのね。それであの交通量の多い道路を横断するの見て、すごいビックリしてパンチくらったんですよ、なんなん!?って。生きるエネルギーとか強さとか、そういうの。当時の私にはそんなんなかったから、スゴイ!って。で、ようやくその時に、日本に生まれただけで恵まれてるってのが分かったし、リウマチってだけで死ぬ病気やないし、なんなら手足あるやん私って。ない人もおんねんでって。そんなん比べるもんじゃないけど、なんかようやく、自分と真正面で向き合えるようになって。

そんり:うんうん。

香:で、そん時に思ったんですよ。これはベトナム戦争やって。ベトナム戦争って1975年に終わってるんですよね。なんでこんな小さい国がアメリカに勝てたんやろうって。で、それからめちゃめちゃ本読んだんですけど、難しくてわかれへんやん(笑)でもその中で、戦場カメラマンの人が書いた本があってね、すごいそれに感動したんですよ。歴史的な細かいことは、結局最後までわからんかったけど。なんかその写真からエネルギーみたいなもんを感じて。あ、これは本気で生きやなかんなって。

そんり:それはどなたの本だったんですか?

香:石川文洋さんの本やったんですけど。

そんり:それをキッカケに、リウマチに対しての気持ちは吹っ切れたんですか。

香:吹っ切れまではないけど、そやね、キッカケやね。なるべく前を向いて生きようって心掛けるようになったかな。で、旅が楽しなってきて。次はどこ行こうってのが、どんどん出てくるんですよ。でも自分ルールがあって、自分の中の100%のアンテナを越えないと行かないっていう。それは今だにあって。だいたい一年に一回一ヶ月くらいを繰り返し行ってたんですけど、ちょっと旅に飽きてきた頃に、『神々の山嶺』って本に出会ったんですよ、ネパールのエベレストの話で。その時、ああ山かって。その時はもうネパールも行ってて、山は眺めるだけやったし、こんな足で登れるわけないって思ってたし。でもなんか憧れが出てきて。で、色々と調べてるうちに、冒険家の植村直己さんを知ることになって。でも、え?なおみ?男?女?ってくらい、当時はその人のこと知らんやって(笑)

そんり:(笑)

香:で、植村直己さんの本を何冊か読んで、惚れ込んじゃったんですよ。で、次にカンボジアに行こうって思ってた時に、植村直己さんってアラスカ州のマッキンリー(現デナリ)で亡くなったっていうのを知って、やっぱアラスカ州に変更しよ!って。自分で勝手に「植村直己、追っかけの旅」って言ってるんですけど。好きすぎてヤバかってん。とにかく植村直己さんが行ったところは、全部行きたいってなって。泊まったホテルの部屋まで行ってね。で、そこ行って大自然にも圧倒されてね。もう山に行きたくてしかたなって。

そんり:じゃあ植村直己さんの追っかけになって、山に憧れて。なんかここら辺の話は、きっと色んなところでもお話しされると思うけど。そう考えたら、「植村直己冒険賞」受賞なんて、死ぬほど嬉しいですよね。

香:ほんと!めちゃくちゃ嬉しい、ビックリしかない!アメリカ行って大自然に圧倒されて、植村直己さんを知って、とにかく山に入りたいってなって。で、次の年にネパールに行って、そこから山登りが始まる。

そんり:え?でも入山料ってバカ高くないですか?

香:それはエベレストとか、7~8000メートル級の山やね。あそこってヒマラヤ山脈なんですよ。その山脈の中に一番大きなエベレストがバーンってあって。ちなみに私が行ってるのは、エベレストと逆側の西ネパールで、エベレストは東側。最初は東側のミニ・トレッキング、山に登るとかじゃなくてね、って言っても登ってるんやけど。クライミングするわけじゃなくて、歩きで行ける。5,500メートルまで行けるんですよ。

そんり:え?それでも5,500メートル!?

香:で、そこ行った時に体が変わったんですよ。先ず、目覚めた朝から違うかって。朝にいつもどっか痛い…って起きるのが普通なんですけど、そこでは起きた瞬間に楽しさが勝ってね、バーッとカーテン開けて気持ち良い!ってなって、「あ、普通に立ってる!」ってなるんですよ。

そんり:クララが立った!みたいな(笑)

香:え?『アルプスの少女ハイジ』世代?一緒?良かった。私、1973年生まれ。

そんり:あ、私は1974年です。

香:一個違いやん。いや、キャラはハイジなんやねんけど、ほんまはクララやってん。全身痛いしな(笑)でもクララは、ハイジが連れ出してくれたから歩けたんですよ。私にとってのハイジは、山と植村直己さん。トレッキングって世界を教えてくれて、足が普通に動くってなってね。最初は2,000メートルから歩くんですよ。で、最終的に5,545メートルところまで歩く。

そんり:5,000メートル越えると、酸素が1/2くらい?酸素が薄いってどんな感じですか。

香:もうね、ちょっと動いただけで息がハアハアってなる。ね?ちょっと興味あるじゃないですか。エベレストも見たいし、行けるところまで行ってみたいって思って、トレッキングにチャレンジして。全行程で2週間歩くんですけど、だんだん標高が上がって行くにつれて、体が重くなるどころか軽くなっていって。それが嬉しすぎて。もちろんどんどん寒なるから、ロッジの中でペットボトルが凍るくらいなんですよ。なのに私は凍ってへんわってね。普段、寒くなるとこわばって動かなくなるなんてザラにあるのに、手足が普通に動くで!嬉しい!って。

そんり:そこって生き物います?

香:最終は5,500メートルが目標なんですけど、最後の宿が5,100メートルのところでね、真っ白の中を黙々と歩いとって。ガイドさんが先に歩いて、私は最後尾で後ろに誰もおれへんくって。その時に何かが、後ろをフワって通ってったような感触があってね。それなんやろ?ってずっと思いながら歩いてたんやけど、ふと気付いたんですよ。これはもう、生き物が生きられない世界に入ってるって。ほんまにここから植物も動物もいない世界、ここが神々の世界の入り口やって思ったんですよ。

そんり:おお。

香:それ以外にもね、自分のこのリウマチの体を諦めてたし、自然治癒力っていうのもあんま信じてなかったけど、それを体感して。そういう誰もが持ってると思うけど、眠ってる力っていうんかな、生命力っていうのか自然地癒力っていうか。私、自分が書くときは治癒力の“治”を大地の“地”にしてるんですけど、それは私がヒマラヤの大地に教わったって気持ちを込めてね。で、こう…ネパールって昔は電気もなかったし、山も整備されてなかったし、だから自分がフル回転せえへんと、もちろんそれは日本の山でもそうやけど、そういう人間のもともと持ってる力がどんどん目覚めて行って、体力も精神力も強なってって。その時に、私は体を山で治せるって思っちゃったんですよ。もう今から20年くらい前の話で、誰も耳を傾けてくれへんかって、医者も聞く耳持ってくれへんくって。話は聞いてくれるけど、責任持たれへんからって。

そんり:確かに。

香:でも当時、私もまだ若かったから怖なって、また先生のところに戻るんやけど(笑)

そんり:タンカ切ったけどビビっちゃった(笑)

香:そうそう、すんません…って(笑)でも、先生と何回か話し合って、薬を減らすってところで落ち着いて。で、薬を減らす勇気も出てきてね。とにかく痛いのが怖いから、薬を減らすのも怖かってんけど、もうほぼドラッグ中毒みたいなもんで。で、山に通い出して自信も出てきて、勝手に薬を止めちゃったんですよ。

そんり:その時は、薬は全く飲んでなかったんですか。

香:そう、飲んでなかったんですよ。完治したと思ってた。

▼臨死体験と友人の滑落死

香:その間にネパールの6,000メートルの山にも登りに行って、ほんまに完治したと思ってたけど、再発して。それは友達が山で滑落して亡くなっちゃったってショックも重なったんやけど。

そんり:それはショックですね…。

香:当時、山に登る技術を教えてもらう為に、長野県に通ってたんですよ。11月にクライミングに行く予定が決まってて、赤岳やったんやけど、そこに向かう車の中で倒れちゃったんですよ、私。そっから三日間、意識がなかったんですよ。

そんり:なんで?

香:いまだに理由は分かれへんくって。だからまた倒れるかもしれへんから、絶対に一人で車に乗るなって言われて。でも自分ではシンドくないし実感ないし。仕事もせなって感じでめっちゃ気持ちだけが焦ってて。でも周りは心配するし、流石に三日間の冬山登山はやばいなって思って、予定をキャンセルしたんですよ。1月の冬山やってんけど。

そんり:ああ…。

香:私の性格だから、その登山が一日だったら行っちゃってたんですよ、三日間だから諦められた。なんて言えばいいんかな…私は生かされたんだって。そこで山の神様が配慮してくれたんやなって思ったんですよ。でもショックすぎて、一年間は山に行かれへんくなって、その時にリウマチが再発して。

そんり:ああ、そうか。もし行ってたら、香さんは滑落してたかもしれないってことですよね。

香:それが2007年の冬。で、とりあえず落ち着いた頃に、ある人から連絡が入って、その人はもともとの知り合いで、霊視とかする人やったんですけど、私が意識なくした日の朝にすごい胸騒ぎがしたらしくってね。で、その人の師匠みたいな人に透視してもらったらしく。で、その師匠曰く、その時に一回死んでると、私が。

そんり:臨死だったこと?

香:そっち方面からみると、そうやたらしくって。でも死んでるのに、後ろに棺桶がないと。だからこの子は生きる子やって、アンタにはやり残してることがあるって、色んな神様と家族が私を引き上げてたんやって。でも私もその時、夢見ててん。家族が私を囲んどってな、でも私は元気やから「なんでおるん?バスで帰るで」って言っててん、夢の中で。その時に、アンタは生き返ったんやでって。だから、アンタは今の家族を大事にして、やり残してることがあるから、もう一度ちゃんと人生を生き直せって言われて。で、それが今の『河口慧海プロジェクト』を続けるって事なんかなって、自分の中の確信に変わってきてて。それまでは、ただ好きで自分が辿ってただけやけど、偶然にもご親族の方に会えて、応援してくれて喜んでくれて。これ私がやらんと、プロジェクトが終わってしまうなって思って。

そんり:うんうん。

香:いま私がやってる河口慧海の足跡を辿ること、そのプロジェクトを始めた方達のことも大事にしたいし。今でこそチベット行くのも便利になったけど、こういう大変な思いをして、その道を切り開いた人がおるんやでってのを残したいって。

そんり:なるほど。

香:だから、美容師なんやけど、本当はそっちなんじゃないかなとも思ってる。でも美容師の仕事も楽しくなってきて、ヘナが特に。私も美容師やから言われへんけど、パーマ液とかね、そういうのって体に悪いんですよ。パーマ当ててる人を前にして、言う事やないんやけど。

そんり:大丈夫です(笑)

香:パーマ液って「チオグリコール酸」ってので出来てて、それって脱毛剤と同じ成分なんですよ。

そんり:え!じゃあ、私ハゲちゃうの?

香:いや、徐々にやけどね。で、私チベット文化圏に行ったのって30歳やってんけど、彼らのチベットの人たちの美しさに圧倒されたんですよ。日本と美しさの種類が違うんですけど、それがすごく美しく見えて。ほんまに内側から湧き出てくるような強さと美しさが、私には眩しくて。

そんり:ああ、命本来の美しさとか強さなのかもですね。

香:うん、エネルギーやね。で、自分の美容師って仕事に疑問を感じちゃって。美容師って外側を美しくする仕事やしって思って、一時期は美容師を辞めようかなとも思ったけど、お金稼がなあかんしな。でも山に行ったら、そういうのもリセット出来るから、こう統合するって言うんかな。本物しかない世界やから、偽ってたら全部剥がれてまうし、都会ではカッコつけられても、カッコつけられへんくなってくるやん。外でトイレもせなかんし、風呂も入れへんし。そんなんもあって、美容師続けてたらヘナに出会って。

そんり:じゃあ、美容師ってっよりヘナに面白さを感じてるんですね。

香:昔はヘナが嫌いやってん。色もおばちゃん臭いし。でも自分がおばちゃんになってきて、ええやんって(笑)

そんり:確かに、歳とると似合う色も変わってきますしね。

香:昔は全然そんなんじゃなくて、体に悪かろうが何だろうが、なんでもええやんって。当時はクラブとかにも通って、夜遊びなんかもしてたから、昔の友達とかは、「どうしたん?なんで急にそないなったん?」って。

そんり:うん。ヒマラヤ行って5,000メートル登って、命のない世界を体感すると、そりゃ価値観変わるだろうなって思います。

▼アウトロ

そんり:あ、そろそろ時間だ。では最後にお伺いしたんですけど、もしリウマチになってなかったら、山に登ってたと思いますか?

香:リウマチになってなかったら…。リウマチになったからこそ、今の私があって、リウマチにめちゃくちゃ感謝してるんですよ。だから、山には登ってなかったかもしれないね。でも、もっと旅行はしてたかも。

そんり:ああ、そこは変わらないんですね。

香:そうそう。旅行好きやし、色んな見た事ないものを見るのが好きやし。

そんり:今後はどうされる予定ですか?

香:今後、うん。いろいろあって、今やっとスタートラインに立てたって気持ちなんで。そうやね、河口慧海ルートを極めたい。まだ知られてないルートもあるし。なんやろう、ルートを追うことによって、河口慧海の生きてきた軌跡を知りたいってのもあるよね。そのルートを歩きながら、何を感じてたんかなとか 。今はその『河口慧海プロジェクト』がここで消えてしまわないように、今までそのプロジェクトをやってきた人たちの、気持ちとか意思をここで終わらせたくないなって思ってます。

そんり:今日は本当にありがとうございました。

香:はい、ありがとうございました。

〜終〜

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