4、「愛」について考える。
1、作詞の際に便利な言葉、「愛」
「安達さんの曲の中に、
愛というタイトルがつく曲って
あるんですか?」
そんなことを聞かれることがあります。
最近はあまりないですが、
過去には『愛のかたち』という曲とか
作ったのを覚えてますね。
ちょっと25歳ぐらいに失恋していた時期が
ありまして(笑)
でもやっぱり僕は歌詞やタイトルに
「愛」とか余り使わない感じです。
やっぱり「愛」って使うとすごい
便利なんですよ。
曲が成立しやすいというか。
便利ではあるんですけど
結局「愛」という言葉の捉え方が
人によって違うので、
そういう言葉を中心に持ってきちゃうと
伝えたいニュアンスがなかなか
伝わりにくいのかなぁと。
なので、意外と避けている言葉です。
2、愛と聞くと何を思い浮かべる?
パッと浮かんだことで言うと、
「愛とは執着である」
ですね。
第一声それかよ!って感じですね(笑)
やっぱり愛って
すごく良いものだと思うし
大事な概念だとは思うんですけど、
「愛憎一如(あいぞういちにょ)」
という言葉が仏教にあるように、
「可愛さあまって憎さ百倍」
みたいな話があるじゃないですか。
そう考えると一概に愛と言っても
100%全部素晴らしいよっていう
話じゃなくって
愛が持つ特性の中に、
「愛がゆえに人を傷つける」
「愛がゆえに人を憎む」
という側面を避けては通れないかなと。
だから歌詞で簡単に愛って使いたく
ないんです。
愛というのは強い想いですけど
「想い」は「重い」ことがあるので
そこは押さえておかなくちゃと。
3、日本には愛という概念がなかった?
名前のことだま®的に言うと、
「日本にはもともと愛という概念がなかった」
という話があります。
愛は西洋から来た概念で、
特にキリスト教から来てるんですよね。
じゃあ、日本語には何があったのかというと
「愛」という漢字を訓読みすると
見えてくるんです。
それが
「愛(め)でる」。
月を愛でるとか、花を愛でるとか
平安貴族はやりましたけど、
要は「めでる」って「見る」ってことじゃ
ないですか。
だから愛というのは
まなざしのことだったんです。
親が子どもを常に目で見守っているのは
「親の愛」だし、
ついついクラスで好きな子のことを
見ちゃってバレるのも「愛」ですよね(笑)
4、「まぐわい」を漢字で書くと?
だから「見る」という行為が
愛の本質なんじゃないかと思うわけです。
それで言うと、これ面白い話なんですけど
「男女の交わり」のことを
「まぐわい」って言うじゃないですか。
まぐわいって最初聞いた時に
なんか淫靡な言葉だなぁと思ってたんですけど
実は漢字にすると
「目合い(まぐわい)」
なんですよね。
「目を合わせる」と書いて、まぐわい。
だから日本人は愛の行為のことを
体の交わりが本質じゃなくて
【目と目を合わせることが愛の行為である】
っていう風に考えていたってことですよね。
これって、とっても素敵な
日本人の感性じゃないかと思いますね。
5、愛とは動詞
だから「見る」ということも含め
「愛」ってやっぱり動詞なんだと
思うんですよね。
「愛する」という行為が
存在するだけであって、
「愛」というものが世界のどこかにあって
それを渡したりするものじゃない。
何かの行動の中に
「あ、そこには愛があるなぁ」
ということなんじゃないかと思います。
愛とは行動であり、実践であって、
そういう姿を見た時に
「あの人は愛の人だなぁ」と
まわりが思う。
そう考えると愛って「他者評価」な気もします。
もちろん、自分が愛を持って生きることは
大事なんですけど、
その人が本当に愛の人かどうかは
周りが一番分かってる気がしますね。
・・・そんなわけで、
自分が「愛の人」であるか
どうかは甚だ自信はありませんが(笑)
少しでも自分が愛の存在でいられるように
目の前の人を大切にしながら行動して
いきたいものだと思っています。
※このコラムで書いてる内容は、
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