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サマセット・モーム『月と六ペンス』

あまりに有名なので、すっかり読んだつもりになっている古典というのがいくつか…いや、かなりあるのですが、本作もその一つでした。最近硬い傾向の読書が続いていたので、息抜きによくできた小説を読みたいと思い手に取ったのですが、期待通りに楽しめました。やはり名作は一度は読んでおかなくてはと改めて思った次第。

40過ぎまで家族と平凡に過ごしていた男、ストリックランドがある日突然それら一切を投げうって、絵に全てを捧げる生活を始める…といった物語で、主人公のストリックランドがポール・ゴーキャンをモデルにして造型されているのは有名ですが(私が読んだつもりになっていたのも、このことを知っていたため)、訳者の金原さんもあとがきて書いている通り、「この物語はこの物語で見事に完結」しているので。ことさらそれを意識する必要はありません。

短編の名手でもあったモームは、簡潔な描写で登場人物のキャラクターを浮き彫りにするのが抜群にうまく、本作でもその特質が遺憾なく発揮されています。なかでも印象深いのは前半で重要な役割を果たす「わたし」の友人ストルーヴェ。妻を崇拝に近いほど愛し、自らは凡庸な画家ながらも、誰にも注目されなかったストリックランドの才能をいち早く認め、なにかと彼の面倒を見るのですが、それが仇となって悲劇が起きてしまいます。

この悲劇が前半のクライマックスとなるのですが、このお人好しすぎた道化的キャラクターの描写を、これ以上は誇張しすぎと感じさせる寸前のところで押さえて、読者に一面的な感想ではなく、軽侮と憐憫の入り混じった複雑な感慨を抱かせることに成功しているのは見事だと思いました。

そして後半、タヒチに居を移したストリックランドに焦点があたると、この偏屈な天才のキャラクターが読者にはっきりと伝わってくるのですが、これも直接的な描写ではなく、主人公の死後に彼を知る人物たちから聞き出した、という設定にすることで、それぞれの語り手のキャラクターも併せて伝えることで物語にふくらみがもたらされているのが匠の技ですね。

現代の視点で見ると、作中人物の言葉として語られる女性観があまりに男性中心的なところが気になるところです。作品全体の価値を大きく損ねるまでには至ってないと思いますが、人によっては、どうしても我慢できないという方もいるかもしれません。その点を除けば、現代でも充分に楽しむことができる作品です。

さて、ここからは余談ですが、北杜夫に『月と10セント』と題された長編エッセイがあります。こちらはアポロ11号の打ち上げ取材のため渡米したどくとるマンボウこと北杜夫が、〈月乞食〉と称して自筆の短冊を1枚1ドルで売ろうと試みた顛末を中心にしたもの。モームとの共通点は何もないのですが、強いていえばルナティックな狂気に憑かれた人間を描いてる、というところで相通じるものがあると言えなくもないですね。今は入手困難になっているようですが、こちらも久しぶりに読み返したくなりました。

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