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井上ひさし『ブラウン監獄の四季』
題名は「ブラウン管」にかけたもの…と書いてパッとわかる人は若い人には少ないでしょう。かつてテレビの画面に使用されていた部品で、「ブラウン管」といえば「テレビ」とイコールとなるほど知られていたものです。本書は24歳から37歳までの13年間をテレビ、ラジオの仕事に捧げていた井上ひさしが当時について振り返ったエッセイです。
当時を振り返ったといっても、そこは凝り性の井上のこと、言葉遊びはふんだんに、回想と現在を自在に往還した闊達な語り口の中に、まだ歴史の浅かったテレビ界の模様が生き生きと浮かび上がってきます。同時に読者は井上のペンネームの由来や、紅白の審査員に選ばれた時の様子、締め切りが遅れた時の珍言い訳を楽しむこともできるのです。
ここで語られている数々のエピソードはコンプライアンスという概念が浸透した現在となっては、えっと思うものも少なくありません。例えば当時住んでいた下宿が改装することになったため、1ヶ月間NHKに住み込んだ様子を描いた「NHKに下宿した話」。食事は社員食堂か番組出演社のために届けられたら弁当ですます、風呂は地下の浴場に入り放題、もちろんTVにラジオは好きなだけ聴ける、打ち合わせの時間にはまず遅れることはなく、良いことづくめ…というところは笑えますが、とある社員の机の上にあった転勤者予定名簿を見て、記載のあったディレクターが家を買おうとするのをそれとなく止めようとするくだりは、昔ならともかく現在ではちょっとすなおに笑いにくいものがあります。
しかし井上は、なにかにつけて大ざっぱだったけれど「先番組、後管理」だった当時のテレビ界の方が現在(執筆当時)の「後番組、先管理」より正しかったと言い切るのです。これについても、今の私たちが素直に首肯するのは難しいと感じます。管理=コンプライアンスが浸透したことで改善された意識もあるからです。ただし、こうした点も含めて、本書は時代の言説のサンプルとしての価値もあると言えるでしょう。
本書の後半は戯作者調が影を潜め、執筆当時のテレビ界に対する痛烈な批判が主となります。個人的にはもっと「ひょっこりひょうたん島」執筆当時のエピソードを読みたかったので、いささか残念ではありますが、そこで井上が訴えていることは完全に同意はできないまでも、今でも通用する指摘も多いのです。特に「ザ・ドーナッツ、考査室と戦う」の章での、思想の自由、表現の自由と今で言うところのヘイトな言説についての毅然とした意見にはおおいに共感しました。