フランツ・カフカ『カフカ・セレクション　Ⅰ 時空／認知』

カフカを読むということ。それは出口のない迷宮に身を躍らせることに他ならないでしょう。なにせ完結した作品が極めて少ない。3大長編の『失踪者』、『審判』、『城』はいずれも未完なのですから真に「読了」するということがあり得ません。もし完結した作品のみを読みたいと思ったのなら短編しかないのです。

さしあたり完結した短編のみを楽しみたいのなら、岩波文庫から出ている池内紀訳の2作が便利です。しかし、カフカほど未完であることに物足りなさを感じさせない文学は特異ですし、仮にその本質が未完であることによって生じる、出口の見えない迷宮性にあるとするならば、完結した作品だけではなく、死後に残された多くの断片や日記の記述に接することが大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。

そうはいっても、専門家ではない一般の読者があてどもなく断片に接しても、労多くして得るものが少ない結果に終わってしまうことでしょう。迷宮の中に入っても無事にもどってくるためには、やはりアリアドネの糸が必要なのです。

ちくま文庫から刊行された【カフカ・コレクション】全3巻は、独自の編集方針で読者にアリアドネの糸を提供し、カフカの迷宮に踏み込む勇気を与えてくれる優れたアンソロジーです。カフカが残した断片も収録していることが大きな特徴なのですが、編者が読者に提供したアリアドネの糸は2本あります。

まず最初の糸はそれぞれの巻を年代別ではなくテーマ別に編纂したことです。第1巻から順に〈時空・認知〉、〈運動・拘束〉、〈異形・寓意〉となっているのですが、これはそれぞれ『城』、『審判』、『変身』につながってくるテーマであるといえます（なお「変身」は第3巻に収録されています）。これによって謎に満ちたカフカ文学を辿る手がかりが与えられ、短すぎて一見意図不明に思える断片も興味深く読むことができます。

もう一つの糸は、それぞれの巻の作品の配列を徐々に長くするようにしたことです。もちろんどこから読もうと読者の自由なのですが、順に読み進めることによって、最初の方にぶっきらぼうに置かれている断片のモチーフが、後半のまとまった作品の中に反映しているのが見えてきたときの驚き、喜びは他に変えがたいものがあります。

もちろんこれでカフカの全てがわかる、といったことはありません。しかしこのシリーズを読むと、間違いなくカフカに対する視野が広がることでしょう。読者によっては、各巻ごとのテーマ以外に各巻を横に貫く新たなテーマを見出す方もいるでしょう。そのうちのいくつかは解説で示されていますが、それ以外のを探すのも読書の楽しみのひとつだと思います。