ランサーの皆さん・仲間たちとともに。10年間の誇りと、感謝をこめて。
クリエイターのエンパワーメントで、「一億総デザイン社会」をつくるー自らの30代のテーマ。そして「株式会社自分」のビジョン。
ランサーズで過ごしてきた10年という一つの時代で、自分は何を考え、何に悩み、そして何を成し遂げることができただろうか。
こんにちは。ランサーズの曽根です。7月からわたしの役割が非常勤の取締役にシフトし、10月からはヘラルボニーという新たなフィールドでのチャレンジを始めるにあたって、このタイミングを一つの区切りと考えました。
ランサーズで学び・考えてきた「働く」ということ、ランサーズでの経営の振り返り、そしてこれからのこと。これまでお世話になった皆さんへの感謝の気持ちをこめて、このnoteを綴っております。長文になりますが、お付き合いいただければ幸いです。
1. ランサーズとの出会い
青いベンチャーの炎
私がランサーズにジョインしたのは、2015年の初めのこと。代表の秋好さんと出会ったのは2014年の10月のことなので、今からちょうど10年前になりますね。当時のランサーズはまだ50人に満たないくらいの組織規模で、当時まだ大企業にしか属したことのなかった自分にとって、ランサーズは「若くて青い志の炎に満ち溢れたベンチャー」という印象でした。
当時は、今ほど大企業やプロフェッショナルファームからベンチャー・スタートアップへの転身・参画が一般的ではなかった時代。その分、コンサルティングファーム・大企業とキャリアを歩んできたわたしという存在は、ランサーズにとってはまだまだ「異物」感が残るものだったと思います。
当時の秋好さんの髪型も、ソフトクリームみたいな感じ。それから10年で秋好さんの髪型も変化というか進化を遂げましたが、「すべてはユーザーのために」「自分ごと化」「人ではなくコトに向き合う」といった、現在まで脈々と息づいているランサーズの哲学や価値観や考え方を、出会った当時の言葉から感じたことを、今でも覚えています。
「Lancer of the Year」という魂
「ベンチャー・バージン」だったわたしにとって、ランサーズから最初にベンチャーの薫陶を受けると同時に、胸を突き動かされるきっかけとなったのは、LOY(ランサー・オブ・ザ・イヤー)という、ユーザー向けのアワード・表彰イベントでした。
まだ正式には入社もしていない2015年1月、渋谷のオフィスの一室で、「楽天市場にSOY(ショップ・オブ・ザ・イヤー)ってあるでしょ?あれのランサーズ版、やりたいんだよね」という一言を受けて、気づいたらいつの間にかそのプロジェクトの責任者となり、多数の人を巻き込みながら、2か月間走り回りって迎えた、2015年の3月26日のこと。
新しい働き方を体現する「ランサー」を社会のロールモデルとして表彰するー日本で初めてとなるアワードの実施を決めてから、受賞者の基準決め・会場の選定・来場者の集客・関係者の招待・運営オペレーションの設計・セッションの企画まで、足早にかけぬけた2か月。
暗中模索しながら企画を進めてきたイベント会場の、急造の手作り感が残る、でもそれでいて熱量のさめやらぬ、ある種の狂気に満ちた空気感。入社直後で迎えたこのアワードに、自分自身が並々ならぬ高揚と緊張を感じたことを覚えています。
表彰式での受賞者たちのスピーチを聞きながら、スピーチの中で語られる、一緒に夢の生活を実現した家族への感謝の言葉に耳を傾けながら、彼ら・彼女らの生の心臓に直で触れてしまったかのような、そんな感覚に私は襲われました。ランサーズとは、ここまでにアツい、しかし恐ろしいサービスなのか、と。
それは、ランサーズのもつ社会的大義と、一方で対となるその社会的責任を感じた一瞬でもありました。ランサーズというプラットフォームは、そこで得る報酬を得て生活するランサーの皆さんにとっての「人生の集合体」なのだと。そう私は理解し、震えを覚えました。
2. ランサーズが成し遂げたこと
フリーランスの存在証明
この10年の間に、ランサーズは大きく成長し、社会にインパクトをもたらしてきました。ランサーズという器を通して成し遂げることのできたことの一つは、フリーランスという存在に対する社会の認知形成とその中身の変化ではないかと思います。約10年前に最初にLOY(ランサー・オブ・ザ・イヤー)を開催したとき、社会における一般的な見方は、「フリーランス?フリーターのこと?」という感覚が大半だったように思います。
しかしその後、労働力人口の減少、IT人材の不足とデジタル競争力の劣後、世界の中でも圧倒的に低い労働生産性を背景に、2015年から「働き方改革」が優先度の高い政策アジェンダとして掲げられるようになってから、フリーランスという存在は、徐々に市民権を得るようになっていきます。
この10年間で、フリーランスの存在は社会に広く認められるようになり、2023年にフリーランス新法(「フリーランス・事業者間取引適正化等法))もでき、11月からついにその新法が施行になります。フリーランスをプロ人材ととらえて、積極的に活用する企業も圧倒的に増えたと思います。
もちろん、これはランサーズだけが成し遂げたことではありませんが、2008年に日本で最初にクラウドソーシングの事業をはじめ、誰よりもフリーランスのことを考え・事業をつくってきたランサーズなくして、今の状況はなかったと思います。
わたし自身、フリーランスという存在と向き合ってきた中で、「働くとは?」というテーマについてこの10年間、考え続けてきました。その思考の軌跡をすべて書き尽くすのは難しいですが、振り返ってみて、いま考えることを、短いながらもすこし記しておきたいと思います。
「自分らしさ」と「社会との接点」
「働き方」に向き合ってきたわたしにとって、とても大事にしてきた考え方の一つが、「働くとは、自分らしさと社会との接点である」ということです。
「自分らしさ」というのは、この10年間において、社会に大きく広がった働き方の主要な価値観の一つです。いまや、この言葉や考え方はアタリマエのものとして広がり、Z世代を中心とした世代においては、ほぼ所与に近い価値観として刷り込まれているのではないかと思います。
その根底には、ランサーズのミッションでもある「個のエンパワーメント」の潮流があります。個人・企業・社会のバランスにおいて、個人へのパワーシフトが起きてきたということです。お金を募るなり・仲間を集めるなり・商品をつくるなり・情報を発信するなり、それまでは国家や大企業にしかできなかったことが、個人でも簡単にできるようになった、ということです。
一方で、人が働くという行為には、何かしらの経済活動がひもづき、広義の「報酬」が発生します。つまり、「社会との接点」が存在します。金銭的な報酬に限らず、感情的な報酬や社会的な報酬が生まれることもあります。田坂広志さんによる『仕事の思想』というわたしの座右の書があるのですが、そこでも書かれているように、仕事の報酬とは、能力・スキルだったり、仕事・機会だったり、成長・人間力だったり、使命・大志だったりします。
何を報酬として感じるかは人によって異なりますが、働くにおける「社会との接点」は、このさまざまな報酬の広がりを生みだしてくれます。「自分らしさ」を求めることはもちろん素晴らしいことですが、この「社会との接点」によって得られるさまざまな報酬の広がりは、皆さんにとっての「働く」を、より豊かにしてくれるのではないかと思います。
「フリーランス」的な価値観の広がり
では、そうした考え方にもとづき、「働く」を考えるうえで、「自分らしさ」と「社会との接点」を、どのようにつないでいけばよいのか?
お伝えしたおきたいこと。それは、自分らしさを究極的につきつめた存在、それがフリーランスである、ということです。フリーランスとは、「Be Your Own Boss」を信条とし、自分の人生の主権を自分でにぎる「株式会社自分」の社長であり、自ら顧客・市場と直接向き合い、絶えず「株式会社自分」の商品開発とマーケティングの活動を続ける存在です。
フリーランスという存在は、一つの企業に雇用されて、安定的な月給が保証されているわけではありません。給与が不安定である一方で、自分の仕事や顧客を自ら探し・選ぶことができるという自由をもちあわせています。そこには当然、自分の仕事の結果に全責任を負う、という前提がつきまといます。それは、楽しく、同時にヒリヒリするものでもあります。
未来の社会においては、自分らしさと社会との接点を能動的にコントロールする「フリーランス的」な存在がより増えていくと個人的には考えています。個人がパワーをもち、リモートワークもこれだけ広がった現在において、自分の人生やキャリアに積極的にオーナーシップを持つ「フリーランス的」な考え方はより重要になってくるのではないでしょうか。
3. ランサーズの経営の振り返り
市場の拡大・転換・変革を経て
ランサーズが社会に対して成し遂げてきたことに対して大きな誇りをもっている一方で、この10年間の経営の道のりは、決して順風満帆なものばかりではありませんでした。
働き方改革やコンテンツマーケの波をうけて市場とともに大きく成長した一方で、その反動や歪への対策に追われた市場拡大期。上場直後にやってきたコロナ禍での急回転の追い風と逆風に向き合い続けた市場転換期。事業の構造転換を図りつつ、生成AIの爆発的な普及による大きなユーザーニーズの変化に対して経営の手を打ちつづける市場変革期。
上場から1年を経た2020年のタイミングで一度、ランサーズの経営を振り返るnoteを書いたことがあります。その時は、「上場とは『魂の浄化』」である、みたいなことを書きました(当時、自分の中での『進撃の巨人』ブームが強すぎて、だいぶ表現が偏っていますね笑)
市場の大きな変化に右往左往し、組織の成長痛や疾病に何度も直面し、ステージごとのさまざまな穴に落ちながらも、なんとか穴からはいあがり、ユーザーに向き合いながら愚直に進んできた。不器用だったながらも、これまでの軌跡を振り返っての経営としての学びは、以下のようなものです。
経営は「二周まわって思い出」
そんな中で、個人としては、ビジョン策定、バリュー策定、人材採用、資金調達、新規事業、アライアンス、M&A、事業ターンアラウンド、などを進め、役割としてもCFOからCSOからCOOまで、さまざまな役割・立場を経験させてもらいました。
たくさんの成功と失敗があり、出会いと別れがあり、喜びと苦しみがあり、笑いと涙がありました。控え目にいって、とても濃密な10年間でした。「経営とは、二周まわって思い出」とはよく言ったものです。とくに、一緒にこの長い道のりを歩んでくれた仲間たちには、ありったけのハグを。上場前に記されたOB・ユーザーたちによる「#私とランサーズ」のブログリレーは、今でも読むと泣けてきます。
これまでのみずからの「自分史」を振り返ってみても、ここでは書けないようなことやしょうもないことも含めて、事件や出来事がたくさんありました笑 あのときは本当にダメダメだったな、なんて思いだしつつも、皆さんの支えと叱咤もあって、自分自身、少しは人間として成長できたのかな、と感じます。未来の自分で恩返しをさせていただければ幸いです。
もちろん、もっとうまくできたかもしれない、と思うところはたくさんあります。が、自分なりのベストを尽くした結果として、ランサーズは社会の公器である上場企業となり、ここからの市場の変革期においても、収益をあげながら着実に事業を成長させていくための道筋は最低限つけることができたのではないか、と考えています。
未来へ向た経営のバトンタッチ
自身の役割を一定果たしたうえで、次なる経営体制へとシフトすることを決めてから、次なる体制への引継ぎを1年近く進めてきました。社内ではあらたな取締役2名を選任、資本提携にともなって社外からもあらたな取締役1名の選任をしたうえで、新たな経営体制へと移行すると同時に、7月からわたしの役割は非常勤の取締役にシフトしております。
あわせて、社内向けには、穴に落ちながらもそれをなんとか乗り越えながら進んできた自分自身の経験やノウハウをすべて詰め込んだ「ランサーズ経営ブック」なるものを、4か月間かけて16万文字ほど書き記しました。おもに執行役員チームへ向けて、20回以上のセッションを行い、拙いながらも、経営ノウハウの伝承を進めてきました。
この経営ブックの内容は、もちろんランサーズでの経験をベースにしていますが、ランサーズに関わってくださった多くの社外の皆さんからの教え・学びもふまえて書き記したものです。深く感謝を申し上げつつ、今後、より広く、何かの形で業界全体にも学びを還元していければと考えています。
お世話になった皆さんへ向けて
わたしは今後も非常勤の取締役として一定期間、ランサーズに関与していきます。一方で、別のnoteにも書かせていただいた通り、10月からはヘラルボニーでの新たなチャレンジを自身のメインミッションにするということもあり、このタイミングで振り返りのnoteを書かせてもらいました。
ランサーズはいつでもビジョンに忠実に、「すべてはユーザーのために」さまざまな事業を・サービス育ててきました。結果として、ランサーズという器は社会に受け入れられ、未来へ向けて、一定の収益をあげながら着実に成長していくフェーズになったと考えています。
とにもかくにも、これまでの10年間の、ユーザーやパートナーや仲間たちとの出会いに、さまざまな先輩たちからの愛あるご支援に、生活を支えてくれた家族に、心から感謝をお伝えしたいと思います。 ぜひ引き続き、ランサーズのことをご支援いただければ幸いです。
感謝の気持ちをこめて。 2024年10月