さるかに合戦 Ver.2021


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かにの にぎりめしを奪ったさるは とうとう蟹に かたきをとられた

蟹は うす はち 卵と共に おんてきの猿を殺したのである

――その話は いまさらしないでもよい

ただ 猿を仕止めたのち 蟹を始め同志のものは どう云う運命に ほうちゃくしたか それを話すことは必要である

なぜと云えば おとぎばなしは 全然このことは話していない

いや はなしていないどころか あたかも 蟹は穴の中に 臼は台所のどまの隅に 蜂は のきさきの蜂の巣に 卵は もみがらの箱の中に 太平無事な生涯でも送ったかのように よそおっている

しかし それは いつわりである 彼等はかたきを取った後 警官の ほばくするところとなり ことごとく かんごくに投ぜられた しかも さいばんを重ねた結果 しゅはん蟹は死刑になり 臼 蜂 卵らの共犯は無期徒刑の宣告を受けたのである

おとぎばなしのみしか知らない読者は こう云う彼等の運命に かいがの念を持つかも知れないが これは事実である すんごうも疑いのない事実である

かには 蟹じしんの言によれば 握り飯と かきとを交換したが 猿はじゅくしを与えず あおがきばかり与えたのみか 蟹に傷害を加えるように さんざん その柿を投げつけたと云う 

しかし 蟹は猿とのあいだに 一通の証書も取り換かわしていない

よしまた それは ふもんに附しても 握り飯と柿と交換したと云い 熟柿とは特に ことわっていない 最後に 青柿を投げつけられたと云うのも 猿に悪意があったかどうか そのへんの証拠は 不十分である

だから蟹の弁護に立った 雄弁の名の高い某・弁護士も 裁判官の同情を乞うよりほかに 策の出づるところを知らなかったらしい

その弁護士は気の毒そうに 蟹の泡を拭ってやりながら「あきらめ給え」と云ったそうである

もっとも この「あきらめ給え」は、死刑の宣告を下されたことを あきらめ給えと云ったのだか 弁護士に たいきんを とられたことを あきらめ給えと云ったのだか それは誰にも決定できない

その上 新聞雑誌のよろんも 蟹に同情を寄せたものは ほとんど ひとつもなかったようである

蟹の猿を殺したのは しふんの結果にほかならない

しかも その私憤たるや おのれの無知とけいそつとから 猿に利益を占められたのを いまいましがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中に こう云う 私憤をもらすとすれば 愚者にあらずんば狂者である 

――という 非難が 多かったらしい

現に商業会議所会頭 某だんしゃくのごときは だいたい かみのような意見とともに 蟹が猿を殺したのは 多少 流行の危険思想にかぶれたのであろうと論断した

そのせいか 蟹のかたきうち以来 某・男爵は 壮士のほかにも ブルドッグを十頭ほど かったそうである

かつ また蟹の仇打ちは いわゆる識者のあいだにも いっこう好評を博さなかった

大学教授・某はかせは 倫理学上の見地から 蟹の猿を殺したのは ふくしゅうの意志よりいでたものであり 復讐は善としょうし難い と云った

それから 社会主義の某首領は 蟹は かきとかにぎりめしとかいう 私有財産をありがたがっていたから 臼や蜂や卵なども 反動的思想を持っていたのであろう 事によると しりおしをしたのは こくすいかい かも知れないと云った

それから ぼうしゅうの管長某師は 蟹は ぶつじひを知らなかったらしい  たとい 青柿を投げつけられたとしても 仏慈悲を知っていさえすれば 猿の所業をにくむかわりに かえって それを あわれんだであろう

ああ思えば いちどでも好いいから わたしの説教を聴かせたかったと云った 

それから――また各方面に いろいろ批評する名士はあったが いずれも蟹のあだうちには ふさんせいの声ばかりだった

そう云う中に たったひとり蟹のために気を吐いたのは しゅごう兼しじん の某・代議士である

代議士は 蟹の仇打ちは 武士道の精神と いっちすると云った

しかし こんな時代遅れの議論は 誰の耳にも とまるはずはない のみならず新聞のゴシップによると その代議士は数年以前 動物園をけんぶつちゅう 猿に いばりをかけられたことを いこんに思っていたそうである 


おとぎばなししか知らない読者は 悲しい蟹の運命に 同情の涙を落すかも知れない

しかし蟹の死は当然である それを気の毒に思いなどするのは ようじょどうようの センティメンタリズムにすぎない

てんかは かにのしを是なりとした

げんに 死刑のおこなわれた夜 判事 検事 弁護士 かんしゅ 死刑執行人 きょうかいし らは よんじゅはちじかん熟睡したそうである

そのうえ みな夢の中に 天国の門を見たそうである 天国はかれらの話によると 封建時代の城ににた デパアトメントストアらしい

ついでに 蟹の死んだのち 蟹の家庭は どうしたか

それも少し書いて置きたい 蟹の妻は ばいしょうふになった

なった動機は貧困のためか 彼女自身の性情のためか どちらか いまだに判然とはしない 

蟹の長男は 父の没後 新聞雑誌の用語を使うと「ほんぜんと心を改めた」

今は 何でもある株屋の番頭か何かしていると云う

この蟹は ある時 自分の穴へ 同類の肉を食うために けがをした仲間を引きずりこんだ 

クロポトキンが「相互扶助論」の中に、蟹も同類をいたわると云う実例を引いたのは この蟹であることは まちがいない

次男の蟹は小説家になった もちろん小説家のことだから 女にほれるほかは何もしない

ただ 父蟹の一生を例に 善は悪のいみょうであるなどと いいかげんな皮肉を並べている

三男の蟹は ぐぶつだったから 蟹よりほかのものになれなかった

それが よこばいに歩いていると 握り飯が ひとつ落ちていた 

握り飯は 彼の好物だった 彼は 大きいはさみの先に このえものを拾い上げた 

すると高い柿の木のこずえに しらみを取っていた猿が一匹 


――その先は話す必要はあるまい

とにかく 猿と戦ったが最後 蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である はなしを天下の読者に寄す 君たちも たいてい蟹なんですよ


大正十二年二月  芥川龍之介しるす



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