相対的にエモい


「エモい」という言葉も、すっかり馴染んでみんな普通に使っている。「ヤバい」との違いがよくわからない。


エモーショナルを文字って「エモい」。


エモーショナルなモノゴトなんて十人十色なはずなのに、フィルムカメラ風の加工をあしらった写真が「エモの代表」とされるのに納得がいっていない。

ノスタルジーは感じるが、別にエモくはない。Y2Kの流れなのだろうけど、多分近い未来はまた別の文化がエモいと言われるようになる。


今のティーンエイジャー視点では、平成初期のデザインに憧れがあるのだろうか。体験したことのない時代に心が動かされるのだろうか。

これも個人から勝手に派生した感性ではなく、デザイントレンドによって刷り込まれたのだろう。当時流行ったデザインの面影を尊重しつつ、現代風にアレンジされ、アイドルがそれらを身に纏っている。


推しがY2Kファッションをしてる!
かわいい!!!!
エモい!!!!!


絶対的な自分の価値基準ではなく、周りが「エモい」と言っているから、メディアがそれを「エモい」と定義しているから、適切な表現だと思い自分も使いはじめる。

Y2Kファッション自体が「エモさ」を内包しているわけではない。顔もスタイルも良いトレンドの最先端にいるアイドルやモデルが着用し、ファッション誌をはじめとするメディアが後押しすることによって、「エモさ」が付与されている。

もしそういったファッションがまだ浸透していない時に、街ゆく人が平成を彷彿とさせる格好をしているのを見て、「エモい」と感じるだろうか。


「ちょっと今風になってるけどどこか昔を引きずってるよね」と、自分との価値観とのズレを感じる人は、少なくないと思う。これも、今のトレンドと比較して古いという認知から生まれる価値観、つまり「相対的に古い」という価値観だ。

少し前までは「古いファッションのダサいやつ」だったものが、時代が移り行く中で世間にその概念が認められると、「トレンドに敏感なオシャレさんのマストアイテム」として見られる。

全て、相対的な価値判断だ。


別にそれが悪いと言っているわけではない。時代の流れには逆らえないし、絶対的な自分の感性を発信することで、「流行りに疎い頑固な人間」として村八分にされることもある。ほどほどに空気を読んで自分の身を守らないといけないことも出てくるだろう。


あらゆるモノゴトについての「世間が捉えている相対的な基準」を前提条件として認識し、「絶対的な自分の中の価値観」とどうやって調和させるかが、意見のすれ違いや心無い差別を生まないために大切なことだと思う。




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