#36 名大病院のメモ

仕事ノートの整理をしていたら、8/26に名大病院で最初の面談を受けた時のメモが出てきた。私はメモ魔で、なんでもメモする。メモが取っ散らかるので、基本的に仕事のこともプライベートの事もすべて一つのノートにまとめている。トピックごとにメモ帳を使い分けるよりも、後々自分の中でメモを探すとき、脳みそのメモリ内で一番検索しやすいが時系列だからだ。

名大の移植科教授とコーディネーターさんはものすごく丁寧に、細かいことまで1時間以上我々家族に時間を使って説明をしてくれた。

肝臓の解剖基礎から、非アルコール性肝炎、非対償性肝炎の予後、生体肝移植の手術方法と国内/名大実績。5年~10年の術後生存率。移植条件。倫理問題。適応の評価方法。生体ドナーの術後。国内死亡例の詳細と現在での再発防止策。拒絶反応の仕組みと、免疫抑制剤の作用機序。想定される医療費。血液型不一致に対する免疫療法の仕組み、使用する予定の薬。

ここまで細かく説明してくれると、なんとなく手術してもらえるんだろうと思えてきたのか、お母さんは面談後に立ち寄ったカフェで「娘たちがドナーになってくれることがうれしい、子育てしてきてよかった」と泣いていた。そして検査入院までしたけれども、お母さんの手術は断られた。

もちろん事前に名大病院からは「必ずできるとは限りませんから」とは言われていた。
私も、断られる覚悟は十分していた。受けてもらえる確率は10%くらいだと思っていた。

でもやっぱりショックだった。
お父さんはもっと派手に、わかりやすくショックを受けていた。
お母さんは?

名大病院から、地元の市立病院へ送られる帰りのタクシーの中、お母さんはじっと押し黙って、付き添いのお父さんが話しかけても殆ど反応がなかったらしい。お父さんは、がっくりきて、涙をこらえるのに必死だったそうだが、お母さんは口を真一文字に固く結んで、無表情のままタクシーに乗っていたと。

どんな気持ちでタクシーに乗っていたんだろうか。
想像してみた。
「これから私は死ぬんだな」
「悲しんでも仕方ない」
「名大病院は何で検査入院させたんだ、最初から断るつもりだったのか」
「貴重な最後の時間を検査で無駄に使ってしまった」
「これからどうなるのか、どうしようか」
私とお母さんは性格が似ているので、こんな感じじゃなかろうか?
硬い表情で何も言わなくなるその感じもめっちゃわかる。
ぐるぐる考えちゃうのだ。
でも、口に出してもしょうがないことが分かっているのだ。
だから黙ってしまうのだ。ザ、長女。

メモを見ていたら、そんなことをつらつら~っと思い出した。

今、お母さんは腹水もきれいに抜けていて、名大の時と同じように検査入院はしているけれど「食欲が出てきた」「今までで一番苦しさが少ない」「どうにか筋肉を付けなきゃ」「野菜ジュースが飲みたい」「パンとか麺が食べたい」と前向きな発言が出てきた。(結局くいもんのことばっかなんだけど、それが一番「お母さんの生きる気力」がわかりやすい)

この間検査の帰りに少しだけ面会の許可が出て、肝性脳症も落ち着き、少しだけ話せたので病室で面会をした。

「お母さん、私の検査はすべて終わったよ。ドナーとして適格だって言ってもらえたよ。あとは手術日が決まれば、手術できるよ」と声をかけた。

お母さんは「本当に、手術してもらえるんだ…」と呟いた。

また、手術を断られる不安と心の中でずっと戦っているんだろうなと思った。

正直、お母さんの今の体調や、血液型不適合、年齢なんかを考えると手術できたとして、元通り元気になれる確率はそんなに高くないんじゃないかと思う。50%くらい?30%くらい?お母さんがどう捉えているかはわからないけど。(あの人ポジティブなので、そこはあんまり考えていないかもしれない)

でも、お母さんは手術したいんだと思う。

「死を受け入れて、悪い体調をごまかしながら、最後に家族や友達との時間を大切に生きる。」なんて生活は嫌だ!という意志をほんのり感じる。ほんのりね。

私も嫌だね。
そういうの、うちの家族の性に合わない。

というわけで、気持ち新たに頑張ろう。
来週、追加の血液検査も頑張ろう。(何を)

なんてことを、メモを見ながら思い出しましたとさ。ちゃんちゃん。

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