奇跡の米づくり
2024/07/12 昨日の活動
せっかく毎日noteしてたのに、昨日は帰宅後頭痛に襲われて書けなかった。
こうみえてわたしは体が弱く、体の声を聞けば、一生涼しい部屋で過ごしていたい人生だった。心と体がまだ分かり合えてなくて、どうしてかすぐに冒険にでかけてしまう。
学生の頃たくさんやりたいこと、夢があったが、その夢のひとつに「旅人」っていうのがあって、今は旅人ではないが、冒険者ではあると思っている。
今日は先輩協力隊に誘われて、自然農法でやっている田んぼの除草作業の手伝いにいってきた。
今「自然農法」と書いたが、恥ずかしながら、この記事を書くまで、自然農法と無農薬栽培の違いも知らなかった。
みなさんは、『奇跡のリンゴ』をご存知だろうか。
全国的にもちろん有名だと思うが、東北では農業に関わる人からこの本の話を聞いたことは一度や二度ではない。
正直わたしは岩手に移住するまで農から遠い生活を送っていたため、近くに農業従事者がいないのはもちろん、普段米を食べ、野菜を食べ、肉を食べと生活しているにも関わらず、農業への関心は0。全く知らない世界だったのだ。
しかし、岩手に移住して、一気に農との距離が近くなり、こちらが意識しなくとも自然と農に関する話題を耳にするようになり、いつのまにか関心を持つようになり、少しずつだが知識もついてきて、にわか農家としてホップを育てたりもしている。
トライアンドエラーのスパンが1年単位ですごく長いこと、天候の問題など自分ではどうしようもならないこと、機械化が進んでいるとはいえ、手でやる作業がまだまだ多いこと。全部知らなかった。
だから当然『奇跡のリンゴ』の凄さもわからなかった。
でも今日自然農法で育てている田んぼの作業を手伝って、奇跡のリンゴが奇跡たる所以を少し感じることができた。ほんのちょっとだけ。
わたしが知っているこの時期の田んぼは田んぼに稲以外の植物がほとんどなく、絵に描いたような田んぼ。だったのだが、今日いった田んぼは稲と稲の間にびっしり雑草が生えている田んぼ。また、稲と雑草以外の隙間には、藻や小さい植物がびっしり生えていて決して「きれい」とはいえない田んぼだった。
でも近づいてみて驚いた。
匂いが全くしないのだ。田んぼといえばの匂いが。
有機肥料さえ使っていないこの田んぼはあの匂いが全くしない。
微生物の多さは数字に表れて、東北の中でダントツ。
除草作業は手押し式で、稲と稲の間を歩くのだが、このぬかるみが足にくる。
ほぼ毎日トレーニングしている冒険者のわたしですら、1往復もすれば息が上がって倒れ込むほどの重労働。これを75歳の菊池さんがひとりで一町二反分、それも年に3回やっているのだ。
正気の沙汰じゃない。
菊池さんはただ頑固なだけと言っていたが、ただの頑固だけでここまでやれるだろうか。
強い想いと信念に感動した。
菊池さんが育てているお米は「ササシグレ」と「亀の尾」。これまた聞いたことない米の品種で調べてみると、ササシグレはササニシキの親にあたる品種で、ササニシキの登場とともに徐々に姿を消した品種。亀の尾は大正時代に東北・北陸で広く生産された品種で、現存のほとんどの米の祖にあたる品種だそう。
現在主流となっている化学肥料を使った農法に合わず、徐々に姿を消してしまっただそう。しかし、亀の尾から作られた酒の味が忘れられない!と今は酒米として復活しているそう。
でもこの亀の尾先ほど書いたように、現代農法に合わず、栽培が非常に難しい。そこで菊池さんは昔ながらの自然農法でこの米を守っている。
わたしは今回の体験で健康と本当の安心安全について考えさせられた。自然農法が大変過ぎて、わたしはこれは続けていけない、と思った。菊池さんはもう30年も続けている。これをこれからも元気で継続していくにはどうすればいいのだろうか。
・・・わたしだったらもう現代の技術に頼ってしまう。それが本末転倒だとしても、だ。
それほどまでに自然農法は大変で、簡単に取り組めるものではない。だからこそこのお米の価値がもっと理解され、多くの人に届けばいいなと思う。
わたしはこれは「奇跡の米づくり」だと思う。10キロ18,000円のこの米をあと何回食べることができるだろうか。