死に際に傍にいられる権利
最近、いろいろと考えることがある。
生理前で微妙に落ち込んでいたのもあるが、現時点でももやもや考えているので、ずっと引っかかっていたことなのだと思う。
今年で私は30歳になる。私の母は確か28歳で私を生んだ。それよりは前に結婚していることとなる。
私はすでに28歳の私のことなど覚えていない。なにしてたっけ?
元々恋愛・結婚願望はなかった。何よりも自分の時間を奪われるような感じがして、自由を奪われる感じがして気が向かなかった。
当時の同僚には「いつの間にか彼氏つくって結婚してそう」とか言われていたが、そんな気配は微塵もない。その同僚は仮に恋人と付き合うようになったからと言って話す義理でも関係でもないからね。
(私はガチの聞かれないと話さないタイプである)
そのあたりについて考えるようになったのは今の会社に入社してからだ。結構オープンな体質で、プライベートのことも仕事のこともべらべら話す人が多い。
普通に結婚後の夫婦間の話、子どもをつくるかつくらないかの話、彼女の両親にご挨拶に行くなどの話。いろいろ聞く。聞いてると、なんかめんでーなって思えてくる。私がものぐさなだけだが。
恋愛ならまだしも結婚はなんか違和感がある。
なぜ結婚を考えられないんだろう
少しだけなんで恋愛だの、結婚だのに前向きになれないんだろうと考えた。
私の実家は夫婦仲が悪いわけではない。親子間の関係も悪い方ではない。強いて言うなら私が家族の中で浮いてるくらいだ。
結婚のメリットを思ったよりも考えられない。
結婚のメリットってなんだろうって思った。税金対策?家賃が折半になる?そんなお金やら老後のために結婚するのか?って思ってしまった。
私の考える結婚のメリットは「病院などでの死に際に傍にいられる」だけだと思う。
扶養や税金?の諸々、世間体、子どもの有無、いろいろあるし、それらも一般的には大切なのだろうけれど、私にとってはどうでもいい。それらはあくまでもパートナーとの直接的な繋がりにはほぼ影響はなくて、社会に向けたナニカだ。対社会はどうでもいい。
結婚をしたらパートナーとの関係にどう影響があるのかを知りたい。感情や感覚、パートナーがいることで安心するのか?不安になるのか?それとも今までと変わらないのか?結婚をしててできることとできないことはなんだ?恋愛とどう違うんだ。
私の馬鹿な頭じゃ想像が全くつかない。
じゃあ婚前に子どもができたらどうするの?と言われるかもしれない。
以前私は子どもができたら自害しようとしていたと答えていたが、死のうとは思わないけれど根本的なところは変わっていないかもしれない。一人で解決しようとすると思う。けど、一人で育てるのは無理だ。ということは答えはただ一つである。
ここは私のあまりよくないところだなとは思っている。
いつどんな病気になるかわからない。死に別れるかわからない。生きて別れることができれば幸運なくらいかもしれない。
生きて別れられれば、その人は私の知らないところで幸せに過ごしている可能性が残るんだから。死んだらもうこの世界にその人はいない。
私はもしすぐ死んでしまうなら、大事な人の時間を私が死ぬまでの時間ほしい。私は欲張りさんだから、欲しがりさんだから、少しでも一緒にいたいと思ってしまう。
けど、それは重いなってのは自分でもわかってるから、嫌だけど身辺整理して別れようって言うか、勝手に決めて蒸発するのが目に見えている。
ほしいと言うわがままや弱さを見せるくらいなら、「結婚」という決断はしたくない。ただの私の覚悟と意地の問題だ。
くっそネガティブだなあ。
私はパンセクだけど、男性以外を好きになったら「結婚」の選択肢を選べない。
私は「結婚=死に際に傍にいられる権利」と思っている。
けど、世の中には「結婚」に近しい生活をしていても、認められない人たちがいる。私ももしかしたらそちら側になるかもしれない。その事実は変わりない。
なぜなら私が「パンセクシュアル」だからである。
仮に私が女性を好きになったとしよう。そのパートナーが危篤になったとしよう。
結婚はしていないから私はその病室に入ることはできない。家族ではないから病室に、その人の傍にはいられない。なんと酷いことだろうと思ってしまう。
スケールの大きな話になってしまうけれど、この日本は大声で「この人が好きだ」と胸を張って言えない人がいる。なぜか異性が好きにならないと恋バナってオープンにできない。
そんな人達も恋バナができる、惚気話ができる世の中になってほしいなって切に願っている。
「結婚」という選択肢が重い、檻のように感じる。
何かを選択するということは、何かを捨てるということだ。いくら欲張りさんだからと言って全部を引っ提げて生きることはできない。
恋愛以上に時間も労力も二人の暮らしに割かれることになる。
まずないが、専業主婦にでもなってみろ。私の世界はとてつもなく狭いものになる。近所と自分の家のみが私の世界になる。そんなのは絶対に嫌だと思った。
せめて仕事は続けたいし、好きなときに好きなタイミングで出かけたい。どこかに閉じこもっているのは耐えられない。
ただ、かのムーミンママもひっそりと出かけて息抜きにでかけていた。愛している人なら、好きな人ならいけるだろ!!とは思わないけれど、自分が納得した上での選択であれば、意外と受け入れられるのかもしれない。
「死」までの道を歩む覚悟
一緒にいられるのは当たり前じゃない。私の傍に誰かがいてくれる、体温を感じられるのは当たり前じゃない。
所謂、ご先祖様の選択が積んだ奇跡の連続だ。何か一つでも選択が違えば出会えなかったかもしれないのだから。
当たり前じゃないってことは必ず終わりがある。その終わりを納得ができるように、受け止められるように、「今」を大事にしたいと思っている。
「結婚」はあくまでも手段で、どうせ社会と一緒に定義は変わっていくわけだから、今、どうこうって話じゃないのかもしれない。
ただ、結婚するということは、愛する人の死をも受け入れるということだ。それだけは私は忘れたくない。
May the wind be ever at your back
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?