宇宙の一部だから"孤独"でもいい

ここ半年ほど、『孤独』について考えている。

若い頃の私は人と関わるのがめんどくさくて、一人でいるのが楽だからと孤独であろうとし続けた。人と関わらなければ自分が傷つく可能性も下がるし、もし傷ついたとしても最小限で済む。
とにかく誰かと交わるということをしたくなかった。自分がすぐ影響を受けてしまうのはわかっているし、自分が自分でなくなる感覚があって、ひたすらに避け続けた。
避けると言っても人との接触頻度は変えず、自分が人と関わるときに一線………というより壁を設け、更に自分が分厚い鎧を装備するという程度だけれど。

けれども、ここしばらく考え続けた結果、孤独は、一人になろうとするのではなくて、生まれながらに人は人であり孤独であることを悟ることかなと思えてきた。
隠者のようにどこかに引きこもるわけではない。
生まれてから死ぬまで、誰かと本当の意味で混濁することはない、交わることはない、そういう意味の孤独。ぐちゃってひとつにはならないよってイメージ。

一人一人であるからこそ、世界や宇宙が構成されて今がある。たくさんの細胞があるからひとつの生き物ができるような、そんな感じ。
一つのレンガではただの人を滅せられそうな塊だけど、たくさん積み上がって建物ができるような、そんな感じ。

けど、多くの人は交わらなきゃ寂しくてつらくなっちゃうんだ。交われるはずがないのに交わろうとして、できないできない!って焦ってしまう。相手を完璧に理解しなきゃいけない、わからなきゃいけないって。
無理なのにね。
そもそも、手を繋いでもくっついて離れない!なんてことはないんだから、ひとつになれるわけがない。

私は私、あなたはあなた、それにすぎない。私たちは孤独であるけど、同時に宇宙を構成する一部なのだからそれでいい。
ただ、それだけなんだ。

最初に書いた通り、私は逆に交わるのが嫌だ、怖いって人だから変に孤独を捉えてしまうところがある。
けど、それは逆に人を求めてるとも言えるわけだ。嫌だ怖いの裏の感情の存在はなんとなく察している。本当にどうでもよかったら怖いなんて思わないだろうから。

今の私は近づいても私は保てるし、世界はそんなに大きくは変わらない、むしろもっと色のついた輝かしい世界になるかもしれない。だから、そんなに怖くはない。たぶん。

「会いたい」だとか寂しさきっかけのロマンスを否定するわけではない。恋愛のきっかけや物語の一つとしてありだと思う。そんな激情もあるだろうさ。

私が言いたいのは、お互いの寂しさや穴ぽこを埋めるだけの関係はしんどいよってことだ。下ネタじゃないよ。

寂しさフィルターを通した世界じゃなくて、今、自分の目にうつっている人を見たいねって話。
私は私でありながら、あなたはあなたでありながら、孤独を受け入れて生きたいなって思う。

今の私の世界はたぶんそんな簡単に壊れはしない。きっと壊そうとする人もいない。


May the wind be ever at your back


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