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死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目すぎるから 2021年は矢のように過ぎて行った

凛ちゃんが亡くなったのは今年の8月10日だった。

猪苗代湖でサップボードを初心者に教えているうちに、急に来た高波に飲まれ
3人の友達になったばかりの子たちを
救出して、自分は力尽き、高波に吸い込まれて行ってしまった。

午前11時28分。

警察と消防が救出活動をしていたけど
凛ちゃんは、10日間見つからなかった。

10日のうちに冷たい雨が降り続いた。

凛ちゃんは、筋肉モリモリの丈夫で気は優しくて縁の下の力持ちだったから、友達も家族もみんな、湖を泳いで向かう岸まで渡って、浜で疲れて寝ているんだ、と思っていた。

そうであってほしかった。

警察と消防の救出活動が終わった時も、凛ちゃんの高校時代の野球部の後輩や仲間や、駅伝の先輩や中学時代の同級生や、サップボードの仲間や、近所の兄とも慕っていた、穴澤さんがみんな総出で朝早くから、日がどっぷり暮れるまで
ボートや、ジェットスキーを出して探してくれた。

みんな、凛ちゃんを探して、家族の元に帰してあげたかった。何より、みんなは凛ちゃんの笑顔をもう一度見たかったのだ。

救出活動10日目の朝、凛ちゃんは、子どもの頃、母親と姉ちゃんと一緒に遊んだ小石が浜の、葦の生えている水場で、
家族以上に凛ちゃんの家族だった穴澤兄さんにみつけてもらった。

一緒に暮らしていた父さんが、凛ちゃんにすがって泣いた。

凛ちゃんは、ホッとした顔をして、全部やり切って清々しい顔をしていた。

棺に入れられたメッセージ入りユニフォーム
自然が友達の野生児だった

母さんと父さんは離婚していたので、凛ちゃんは高校三年生からずっと父さんと2人暮らしだった。

凛ちゃんが亡くなる前の年の11月2日、
凛ちゃんはふらっと彼の母親が住む都内に上京した。

「今東京にいるんだけどさ、昨日友達と渋谷で飲んで、ネットカフェに泊まったんだ。ママのところ行きたいけど、どうやっていくの?」

「あらまぁ、上京するなら言ってくれたら迎えに行くし、なんでネカフェなんかに泊まるのよ?ママの部屋に泊まればよかったでしょ?渋谷にいるなら、山手線で池袋まで行って、東口の西武デパートの正面に立って待ってなさい」

凛ちゃんはフットワークが軽くて、思い立ったら吉日のように、全国にいる野球仲間の友達のところにふらっと遊びに行くような、人懐こい子だった。

母親と凛ちゃんは西武デパートの前で落ち合い、すぐ向かいのビルのステーキ丼のチェーン店でランチをした。母親は、美味しいものを食べさせてやりたかったので、寿司屋に行こうと言ったのに、彼は、そんなにお金を使わなくていいよ、というのだ。

凛ちゃんと母親は、ステーキ丼の店に入り、食事をした。安い店だったけど、愛する人と食事をするのはなんで幸せなことだろうと2人は言葉にせずに思っていた。

「何を食べるか、より誰と食べるか?の方が大事だよね」

昔、2人でステーキ屋で食事をした時に凛ちゃんが言った何気ない一言を母親は思い出していた。

お会計の時、凛ちゃんは自分の財布を出して、母親に「ご馳走するよ」と言った。「まさか、自分の子どもにご馳走される日が来るとは思わなかったでしょ?」
凛ちゃんは、誇らしげに母親にそう言った。

母親はそんな息子がたまらなく愛おしかった。

それから2人で吉祥寺に行き、アンティークの店を探して街を散策し、タバコが吸えるカフェを探して、ドトールでお茶をした。

「あなた、タバコを吸うんだ」

ふと、母親はこの子は何かストレスを抱えているのではないか、心配になった。

2人でドトールでお茶をした後、一晩寝ずにお酒を飲んだから眠い、という凛ちゃんを母親は自分の部屋に連れて行き、
お風呂に入らせて、ひとつしか無い布団に息子を寝かせて、自分は寝袋に入って寝た。

翌朝、昼過ぎても凛ちゃんは眠り続けた。

その寝顔が、赤ちゃんのように無垢で安心しきっているので、母親は寝たいだけ息子をねむらせていた。

この子は随分疲れているようだ。母親はそう思った。実際、夜勤の工場勤務をしている息子は、三交代制であまり良く眠れていないと言っていた。

凛ちゃんの両親は離婚して5年経つ。

彼は高校卒業後、大学進学するつもりで、経済力のある父親の元で暮らすことになっていたのだが、何故か父親は進学を断念させて、就職することになった。

そのことを母親は悲しんでいた。経済力さえあれば、凛ちゃんを引き取って、凛ちゃんが大好きな野球をさせてあげたいと思っていたからだ。

凛ちゃんは福島の高校時代、野球部のキャプテンをしていた。投げても打っても素晴らしいプレイヤーだった。

母親は野球部の保護者会の経理を引き受けて彼を見守っていた。彼はスターみたいな扱いをされていたので、母親は敢えて目立とうとせずに裏方でみんなに感謝の気持ちを表したかったのだ。

不幸なことに、凛ちゃんが高校2年の時に、父親が母親に暴力を振るって逮捕されるという事件があった。

母親は事件後、シェルターに保護された。凛ちゃんは、学校の先生のお宅に泊まらせてもらい、先生の奥様に弁当を作ってもらったり、児童相談所に引き取らせて、山の中の老夫婦の里親に引き取ってもらったりして、学校に通い続けた。

どんなに心ぼそかっただろう。

だけど、凛ちゃんは負けなかった。いつもニコニコして友達とふざけ合っていた。

高校三年生の時、就職が決まり、みんなが大学受験で忙しくなり、自分だけ取り残されてしまった凛ちゃんは、自習時間に本を読んでいた。

それまでずっと、野球三昧で本など手にしたことがなかった凛ちゃんは、本を読んで、色々考えた。

そして、進学校を選んでよかったと思っていた。自分は勉強が嫌いだけど、勉強をしている友達の中に居て、環境が自分を変えてくれて、今こうして本が読めるようになったのだなぁ、と感じていた。

「ママ、世の中には必要でない人なんか誰も居ないよね」

高校2年に進級したばかりのある日、2階の母親の部屋に来て、凛ちゃんは突然そんなことを言った。

母親はびっくりしたような顔で凛ちゃんを見た。常日頃、自分が子どもに言って聞かせていたことを凛ちゃんは、ふと思い出したように、彼女に伝えてきたからだ。

「凄いね、凛ちゃんは」
母親は凛ちゃんを誉めた。

凛ちゃんは大好きな母親に褒められて、嬉しそうにニコニコ笑った。

世の中に必要でない人は誰もいない。

凛ちゃんが3人の人を救出して、自分だけ力尽きて亡くなったのはそんな彼の信念があったからなのだ。

その前に、自己犠牲はしてはいけないと教えておけば良かった。

母親は凛ちゃんが亡くなった時にそのことを思い、酷く悔やんだ。

だけど、それでいいのかもしれないと思った。

凛ちゃんは自分の背中をみんなに見せたのだ。

僕のように生きて、お母さん。
そして、僕のために泣かないで。

僕はお母さんの教えを守りました。
僕は、ママに会いたくて会いたくて、一生懸命生まれて、一生懸命生きたんだよ。僕はママに褒められたいんだ。

凛ちゃんの写真が部屋にある。

凛ちゃんは夏は猪苗代湖でサップボートをして遊び、冬は猫魔スキー場でスノボをする。

お葬式には全国から数百人の野球仲間、スノボ仲間、サップ仲間、地元のマラソン仲間やマラソンを指導していた子どもたちが集まった。

今年の冬は寒い。

凛ちゃんがアルツスキー場や猫魔スキー場に、いい雪を降らせているんだろう。

姿は見えないけど、天使になって、みんなとスノボに興じて、素晴らしいジャンプを披露しているのだろう。

ママは泣かない。
ママは凛ちゃんの背中を追いかけるという人生の目標ができたから。

もしも、来世というものがあれば、また会おうね、凛ちゃん。そしてこの地球をみんなで遊び倒そうね。

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僕の背中

渡部凛太郎
福島県郡山市生まれ
耶麻郡磐梯町育ち
2021年8月10日 没
享年 23歳


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