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『カンボジアの失われたロックンロール』を見た/カンボジア6,70年代音楽についていろいろ

音楽のドキュメンタリーなんだけど、カンボジア内戦の話でもあるのでめちゃくちゃツライ。

でも、音楽に関わっている人には見てほしいなぁ。

カンボジアの音楽文化のことを知ってほしい。

サブスクでこの映画のサントラなどいろいろ聴けるので試しに聴いてみてほしい。

めちゃくちゃかっこいいのよ。


劇中で自分が「おおおー」ってなったのはディスコティークがチラッと映ったところ。

フランスから完全独立したのは1953年。

フランスとは友好関係だったので当時のフランス文化が入ってきてた。

第二次大戦中にナイトクラブでレコードをかける文化が生まれ、大戦後はディスコティークと呼ばれるクラブがパリにできていた。

ニューヨークにディスコティークが開店したのは1960年代初頭。

それが後のディスコになっていき、現代のクラブ文化にまでつながる。

そんなディスコティークがカンボジアにあってもおかしくない。

レコードをかけて踊る文化がおそらくあったんだろうと推測。


フランスのポップスが入ってきたり、クリフ・リチャードが人気になったり、ベトナム戦争のときにはアメリカの音楽も入っていた。

チャチャチャやマンボなどラテン音楽、ボサノヴァ、ブルース、フォーク、サイケデリックロック、なんでも取り入れて発展していった。

なんとユーライア・ヒープのカバーもある(日本でもザ ・ピーナッツがカバーしてた)。

たぶんカバー、たぶん。

しかし1975年、クメール・ルージュによる原始共産制社会への回帰政策により、富裕層、知識層、留学生、芸術家、音楽家など全て殺された。

音楽家は音楽家であることを隠して生き延びていたと映画では語られていた。

音楽が時の権力に否定され消されそうになった。


しかしそうはならなかった。

1979年にクメール・ルージュがプノンペンから追い出され、虐殺は終わった。

都市に音楽が戻った。

当時のレコードやカセットは残っており、1996年に『Cambodian Rocks』というブートみたいなアルバムがリリースされて一部の音楽愛好家に注目された。

その後もブートっぽいアルバムがいろんなとこから出てちょいと問題になってた。

2014年には音楽家たちの遺族に著作権の所有が認められて、現在はサブスクなどで聴くことができる。


音楽は無くならなかった。


この映画の内容であるカンボジアのロックに関しては10年位前から知ってて、日本語字幕で確認したって感じなんだけど、自分の好きなミュージシャンが虐殺で命を落としたことへの悲しみと、それでも残る音楽の力強さを改めて感じたよ。

自分とカンボジアの音楽に引き合わせてくれたDengue Feverに感謝。

Dengue Feverは2001年にカリフォルニアで結成されたバンド。

この映画で取り上げられた年代の音楽をカバーし、サイケなオリジナル曲もリリースしている。

Voのチョン・二モルはタイの難民キャンプで生まれた人。

Dengue FeverがカンボジアでライブをやったドキュメンタリーDVD(輸入盤)があって、それで今回の映画の内容を知ったんだけど、英語字幕のみだったのでちゃんと理解できてなかった。

サントラはサブスクで聴ける。


ちょいとカンボジアの現在の音楽が気になっていろいろ聴いてたら面白いのを見つけた。

映画の最後の方に出てたMaster Kong NayがVannDaというラッパーと共演してた。

Master Kong Nayはチャパイという弦楽器の奏者で、当時を生き延びた人物。

天然痘で視力を失っており「カンボジアのレイ・チャールズ」なんて呼ばれたりするとか(歌はハウリン・ウルフを彷彿させる)。

VannDaはApple Musicのカンボジアチャートを見てて見つけたラッパー。

当代の人気ラッパーが当時を生き延びた伝統音楽の奏者と共演するのを見て、音楽は生き続けるし発展し続けるんだなぁと感じたよ。

映画のタイトルに「失われた」とあるが、ミュージシャンたちは失われてしまったけれども、当時の音楽は今でも聴けるし、音楽文化は無くなっていない。

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